少女と竜は今日も朝を迎える
垂幕が持ち上がり、雨粒が表面を滑り落ちていく。
外に出て朝陽を見上げる。洗い流された空気に透けるそれに、目を細めた。
ティシェが草地に一歩踏み出せば、雨粒が葉の表面を滑り落ちる。
草木の雨粒が陽を弾き、きらきらとして見える朝の森の風景。
冷やされた空気をゆっくりと吸い込んで伸びをした。
洗い流された澄んだ朝焼け。
どんな雨夜を過ごそうが、いつも雨上がりの空を見上げると、ちょっぴり感動を覚えるのはどうしてだろうか。
ティシェに続いて、のっそと気怠そうに外へと出て来たグローシャは、くわあとあくびを一つする。
ぷわぁあ、と。グローシャの口から輪郭がふやけた灯の珠が漏れ、朝焼けの空へと昇っていく。
それをグローシャは、眠たげな橙の瞳でぼんやりと眺めて見送った。
「カロンは?」
ティシェが振り返って問うと、グローシャはまた小さくあくびをしながら、器用に尾を使って垂幕をまくり上げる。
一晩中洞穴内を照らしていた灯の珠がもれ、空へと昇っていく。
ティシェが洞穴をちらりと覗き見ると、灯の珠が外へともれ出たことで濃くなった暗がりの中、ぱっちりとした紅色の双眸が瞬いた。
その双眸がティシェを見つけると、暗がりが瞬く間に実態を伴い始め、カロンが顕現する。
ぴょんっとティシェへと飛び込み、彼女は伸ばした腕で受け止めた。
すりすりと甘えるカロンに、ティシェは蒼の瞳を和らげて彼の鱗を撫でる。
手の平にひんやりとした影竜の感触を感じながら、腕の中の生き物としての温度にほっと息を吐き出した。
雨はやがて上がり、夜はやがて明ける。
晴れ空に、夜明けの空を見上げた。
と。のしっと、ティシェは頭に重さを感じた。
「……グローシャ」
常の表情が乏しいままだったが、ティシェの声は、少しばかり渋面に染まる。
ティシェの頭に顎を乗せたグローシャは、ふすうと満足なげな息をもらした。
彼女の腕の中では、グローシャを真似たのかカロンが、ふんすっと少し荒めの息を吐き出した。
垂幕を持ち上げる音でティシェは振り返った。
「……起こしてしまったか?」
「ううん。丁度目が覚めただけだよ」
洞穴の外へと出て来たトールの受け答えの調子に変わりはない。
が、変わってしまったのは、やはりティシェへと向ける、にこりとした笑顔。
それは夜が明けてもそのままだった。
初めからその笑顔で接せられていたのならば、それがトールという人物なのだと思っていたのかもしれない。
だが、雨夜に確かに感じていた。たぶん、互いに。
それが今はない。感じさせない。
にこり、と笑う笑顔に隠されてしまって。
それが『遠い』気がして――と、ティシェはそこまで考えて、変化の乏しい表情下ではっとした。
何を、考えているんだ。己は。
ほんの少しだけ唇に力を入れて、小さく口を引き結んだ。
これ以上は踏み込んではいけない気がしたから。
ピィィ――。
細く高い鳴き声。
朝の森に響くその声に、ティシェもトールも竜達も顔を上げる。
先に動いたのはトールだった。
彼は首からさげていた何かを服下から引き出すと、それを口にあてがって小さく吹き込む。
ピィィ――。先程森に響いた声と同じ音が、それ――笛から鳴り響く。
ティシェも竜を呼ぶ笛を服下に忍ばせて首からさげてはいるが、その笛とはまた形も音色も違うようだった。
トールが空へと向けて片手を上げる。
と。ややして羽音が聴こえたかと思えば、空から鳥が舞い降りた。
それは
羽先や尾先は黄色を帯びた色をし、腹にかけては白をしていた。
けれども、何よりも目を惹きつけたのは、尾羽根の下から伸びた飾り羽。
朝風に揺れる様が綺麗だった。
「ラッフィル、おはよう。昨夜はちゃんと雨宿り出来た?」
トールがラッフィルと呼んだ鳥は、問題ないよ、と言うように自身の頭を彼の頬へと擦り寄せる。
ピィ、と一つ鳴きながら、すりすりと頭を寄せる様から、トールに随分と懐いていることが窺えた。
そこへ垂幕を潜ったアーリィがやってくる。
その背には、既に騎乗用の鞍と荷が積まれていた。
「……なんだ。もう行くのか」
「うん。はぐれてたラッフィルとも合流できたし、留まっている理由はもうないからね」
トールがラッフィルを乗せた手を軽く動かして放つと、彼は羽ばたいてアーリィの角先へと留まる。
続いてトールもアーリィの背に跨がった。
竜上からトールがティシェらを見下ろす。
そして、トールが何事かを言おうと口を開く――前に、ティシェが口を開いた。
「――ならば、さよならだな」
「さよなら……? またね、じゃなくて?」
トールが虚を突かれたように瞳を瞬かせる。
「これで別れなのだから、不思議なことはないだろう」
ティシェは、常の表情が乏しい顔のままで首を傾げた。
「次があるかはわからないから。私にも、相手にも。次を――
命というのは、いつ終えるともわからぬものだから。
僅かに視線を落とすと、グローシャがティシェの背に軽く頭突きをし、カロンが腕の中で跳ねて顎を殴打させる。
俯くなと言われている気がして、ティシェは変化の乏しい表情下ではあったが、微かに口をへの字にした。
が。
「……確かに、それもわかる気がする」
竜上からした声にティシェが顔を上げると、トールが少しだけ苦みのある笑みを浮かべていた。
今度はティシェが小さく目を見張った。
トールの浮かべるその笑みが、線引するようなあの笑みではなく、トール自身の笑みに見えたから。
彼との距離がわからなくなる――最後までわからない人だ。
ティシェがそう思っている間に、トールはアーリィの角に手を置いていた。
それを合図に己の角にラッフィルを乗せたまま、アーリィはティシェらに背を向ける。
歩く動作に合わせて、アーリィの白の羽毛が揺れる。
遠くなっていく彼らの背に。
「この場の限りの関係、か……」
ぽつりと呟いてから。
「さよなら……!」
声を上げた。
すると、トールが肩越しに振り返って。
「さよなら」
と、手を上げて振り、そしてまた、彼は前を見据え始める
雨夜にあった出逢いは、こんなあっさりとした別れだった。
*
「――それじゃ、私達も行こうか」
ティシェの声を合図に、朝食を食べ終えたグローシャは、げふぅ、とおくびを一つもらして、被膜ある前足を広げた。
グローシャの背に跨ったティシェは、彼女の角へ手を置き、カロンがその前へと跳び乗る。
「落ちるなよ」
ティシェの言に、カロロォ、とカロンが応え、グローシャは被膜を一つ打って飛び上がった。
被膜から巻き上がる風が草木を揺らし、落ち葉を舞い上げる。
ぐんっと高度を上げたグローシャは、未だ続く森の緑を眼下にとらえながら、森を抜けるべく被膜を羽ばたかせた。
だが――ピルルル、何かに気付いたグローシャが声をもらす。
ティシェが彼女の視線を追うと、カロンも一緒に視線を追いかけようとして、ぐっと後ろ足で立ち上がろうとしたが、足を滑らす前にティシェの手によって頭を抑えられた。
カロォと彼の不満げな声を耳にしながら、ティシェは視線を先へと投じる。
その先には森の緑の終わりが見えた。
「森、抜けられそうだね」
ティシェの呟きに応えるように、グローシャは被膜を打つ前足に力を入れた。
森を抜けるのも、あと少し。
この森を抜けた先には何があるのだろうか。
これは、少女と竜が旅の道中で出会った青年との、とある雨宿りのひとこま――旅の一頁だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます