この場で終わる関係
「――と、すっかり落ち着いてしまっていたわけだけど」
トールがとある方を見やってからティシェを見る。
「もしかして、ご飯中だったりした……?」
トールが見ていたとある方には、鍋や皿などがそのままになっていた。
その上、皿には食べかけだろう肉が残されている。
明らかにご飯――食事中の風景だ。
どこか気まずそうなトールの顔に、ティシェは常の乏しい表情下で、ああ、と一つ頷いた。
「だが、気にするな。どうせ食わなかっただろうし」
ティシェが少しだけ含みある瞳でグローシャを見ると、彼女は流れるような動きであらぬ方を見やった。
目を合わせようとしないグローシャの様子に、ティシェは短く嘆息を落としてトールを振り向く。
「味気ない肉は飽いたらしい」
「味気ない……?」
「調味料の類は切らしてるんだ」
「ああ、なるほど」
納得顔で頷いたトールが、それなら、と立ち上がった。
アーリィの側に置いていた荷の前に座ると、何やらごそごそと始める。
あらぬ方を見やっていたグローシャも興味を引かれたらしく、ティシェが気付いた頃にはトールの背を見つめていた。
そして、彼女達は互いの顔を見合わせ、何が出てくるのだろうかと首を傾げたのだった。
*
途中、影からひょっこり這い出て現れたカロンに、トールが驚いて叫び声を上げたり、これはうっかり拾った子竜だと紹介したティシェに、カロンがむっとして噛み付いたりなど、ちょっと騒がしくしたのちに。
「じゃんっ。これこれ」
と言ったトールは、紙で包装された何かを手の平に転がした。
彼が丁寧に包装紙を解くと、その何かは乾物のようだった。
何だ、それは。と、ティシェの表情に変化はないが、蒼の瞳に訝しむ色が滲む。
グローシャもそれは同じだったらしく、どこか落胆した気配も漂う。
トールは彼女達の反応にくすりと笑うと、まぁ、見ててよ、とその乾物を器に入れ、火を熾す作業に取り掛かり始める。
その際に彼が、かせっとこんろがあれば便利なのに、と呟いたのが聞こえた。
聞き馴染みのないその言葉に、ティシェは反射的にトールへ聞き返そうとしたが、彼が荷から取り出したポーチの中身に興味を引かれた。
トールは革製のように見えるポーチから一枝を取り出す。その枝先は赤く明滅していた。
それはまるで燃えているようで――否、燃えているのだ。
「それは、竜の息吹から採れる火の粉か……?」
「ティシェさん詳しいね。それなら知ってるかもだけど、これは
火木とは、火竜の生息地に生える木のことだ。この木は燃え尽きることがない。
火竜の息吹には、体内で弾けた火の粉が混ざる。ゆえに、世代を経る毎に火への耐性を持つようになったのではないか、というのが書物の記述にある。
荷から取り出した薪木に、着火材となる布。そこに種火を点し、トールがアーリィを振り返った。
彼女は心得たとばかりに、頭を下げて小さく鳴いた。
すると、どこから吹き込んだのか、小さな風が小さく巻き起こり、一気に火種を大きく成長させる。
十分な火力。トールはそこに手鍋をかけて湯を沸かし始めた。
それからややして――。
トールは乾物の入った器に湯を注いだ。
「見て欲しかったのはこれだよ」
グローシャが興味深げに橙の瞳を丸くし、ティシェの膝に乗ったカロンは、洞穴内に広がる香りに息を吸い込んだ。
ティシェも常の表情が乏しいままに、それでも驚きで蒼の瞳を瞬かせる。
「驚いた。トマトスープ、だろうか?」
「そうだよ。お湯を注ぐだけで簡易的に食べられる持ち運び可な食料。僕達『風の商人』だけが扱う一品だよ」
風の商人。その一言にティシェは顔を上げた。
トールの背後にある荷は、確かに一人旅にしては多い。
なるほど。行商人だというならば、それも納得だ。
「風竜と共に商いをする一団で働いてるんだ。だから、旅先で風竜を見かけたら立ち寄ってみるといいよ」
そう言って、トールが器をティシェに差し出す。
ティシェは目の前に差し出された器を見、蒼の瞳を瞬かせてからトールの顔を見やった。
「どうぞ」
「……どうぞと言われても。これは商品なのだろう」
「うん、まぁね」
「ならば、受け取れない。今は路銀も足りない」
差し出されたトールの手をやんわりと押し返す。
ティシェが調味料の類を切らしているのには、そういった懐事情もあった。
深い森を抜けられず、しばらく街には立ち寄れていない。
ゆえに調達がままならなくなっている上、稼げてもいない。
「作られた料理を乾物に置き換えるなど、珍しい製法のはず。受け取れない」
「製法は僕が住んでた国のものだし、そこまで珍しいってわけでもないよ?」
「だとしても、そこに伴う労力を思うと、気軽に受け取ってはいけないと思う」
それでも断るティシェと、どうしても食べて欲しそうなトール。
そんな中で洞穴内には、場違いな程に美味しそうなトマトスープの香りが広がる。
グローシャは美味しそうな匂いに舌なめずりし、カロンは楽しい気分なのか、ティシェの膝の上で身体を揺らしている。
「……労力って言っても、
そこまで言いかけて、それまで興味がなさそうに傍観していたアーリィが、トールの背中を小突いた。
トールが何をするのと振り返ると、アーリィの天色の瞳がじぃーと彼を見下ろす。
その瞳に見下され、トールははっとして息を詰まらせた。
「――ああ、そうだったね」
トールにはアーリィが言わんとすることが伝わったらしい。
つい、話しすぎちゃった。トールが視線を落とし、ぽつりと呟く。
その横顔が少しだけさみしそうに見えたのは、ティシェの思い込みだろうか。
彼が顔を上げてティシェを振り向いた時には、にこりと笑顔を浮かべていた。
「――とまあ、そんな品ではあるんだけど、一晩の宿をこうして分けてもらったお礼ってことで、受け取ってよ」
「……だが、洞穴は私が掘ったものというわけでは――」
眉を寄せながら、なおも断ろうとするティシェに、トールが言葉を被せて来た。
「僕は、きちんとこの場で貸し借りはなしにしておきたんだ」
トールの顔に、にこりと浮かぶ笑顔。
「ティシェさん達とはこの場で終わる関係なんだから、そこははっきりとしておかないと。あとからふっかけられても困るしね」
それは、彼にはっきりと引かれた、線引に見えた。
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