雨夜を分け合う


「……お邪魔してごめんね。てっきり自然下の竜かと思ってたんだ」


「構わない。困ったときはお互いさまというやつだ」


 青年と白き竜を洞穴内に招き入れたティシェは、申し訳無さそうに笑う彼に、いつもの表情の乏しいまま、構わない、と首を横に振った。

 青年は外套を脱ぐと、洞穴内へ足を踏み入れる前に、軽く振って雨粒を飛ばす。

 ずぶ濡れに見えていた外套だが、防水に優れた代物だったらしい。

 そうして遠慮気味に洞穴内へと足を踏み入れた青年だったが、白き竜は平然とした様子で彼の横をすり抜け、空いた場所に陣取ると、そこで遠慮なく身を振るって雨粒を盛大に飛ばす。

 グローシャが咄嗟に前足を持ち上げて被膜を広げると、自身とティシェの荷物を飛ばされた雨粒から守った。

 ビルルと批難を訴える声をもらすが、白き竜はふいっと顔を背け、その場に身体を落ち着ける。

 地に腹を付ける姿勢は、完全にくつろぐ姿勢だ。

 グローシャはその態度が気に入らなかった様子で、橙の瞳が細められ、彼女の体内から透ける灯の明滅が激しくなる。

 また光を強く放たれたら堪らないと、ティシェはグローシャを宥めるために首筋を撫でた。


「ごめん……」


 青年が申し訳ないと荷から清潔な布を取り出し、ティシェへと差し出す。

 だが、やはり乏しい表情下のままで、ティシェはそれをやんわりと押し返して首を振る。


「あんたが使えばいい。このくらい、グローシャなら問題ない」


 ティシェがグローシャを見やると、少しばかり気を落ち着かせた彼女は、ふんっと軽く息を吐き、熱をほんの少しだけ放出する。

 被膜にかかった雨粒が温められ、あっという間に空気中に還る。

 変化のない表情でティシェが青年を振り向けば、その様を眺めていた彼は、そうだね、と困ったように頷き、差し出していた布で自身の身体を拭い始めた。




 グローシャが体内から外へ放出した灯の珠が洞穴内を照らす。

 二頭の竜が姿勢をくつろげても窮屈さを感じないくらいには、洞穴内は広かった。

 ティシェはグローシャに寄りかかりながら、垂幕の方へと視線を投じた。

 垂幕の向こうからは、ざあああという雨音が聞こえる。変わらずに雨は激しい。

 雨はいつもティシェの心に寂寥を運び込む。

 世界にぽつんと取り残されてしまったような気持ちに、ティシェは身体を抱えるように丸くなった。

 それをグローシャが静かに囲ってくれる。

 ティシェの身体を囲むように長い尾をくるりと丸め、尾先を彼女の目の前に持ってくると、その尾先を飾る鉱石に似たそれをぽわぁと優しく灯す。

 まるで、ここにいるよ、と言ってくるているようで。

 そこでいつも、一人ではないのだと、安堵したように小さく息を吐き出すのだ。


「……大丈夫?」


 青年の声がし、ティシェはゆるゆると顔を上げる。

 その顔は変化に乏しいが、僅かばかりに強張っていた。

 青年は心配そうにティシェの様子を窺っている。


「……夜が、少し苦手なだけだ――特に雨の夜が」


「ああ……それは、少しわかる気がする」


 青年も小さく息をもらすと、ティシェと同じように白き竜に寄りかかった。

 彼もいつもそうしているのかもしれない。

 白き竜に、柔い羽毛に沈む青年を嫌がる素振りはなかった。


「終わりも始まりも、いつも夜で雨が降ってたな――」


 どこかぼんやりとした呟き。

 青年の横顔を、洞穴内を浮かび漂う灯の珠が照らす。

 今にも夜に溶けてしまいそうな彼の黒の髪は、光に透けると茶に見えた。

 そんなことを薄ぼんやりと見やりながら、ティシェも静かに口を開いた。


「……私も、終わりと始まりが雨で、夜だった」


 青年の茶の瞳と、ティシェの蒼の瞳が交わる。

 その瞳には、互いに同じ色を滲ませていた。

 同じような寂寥――独りのさみしさを知る者だ。

 互いに瞳を瞬かせ、そして、互いの竜に身を寄せる。

 それぞれの竜が、ピルルゥ、フルルゥ、と鳴く。その響きは労るようで優しい。


「――あ」


 青年が突として声をもらし、身を起こした。

 釣られてティシェも身を起こす。


「そういえばまだだったね。僕はトールで、こっちは風竜ふうりゅうのアーリィ」


 白き竜――アーリィの挨拶は、どうも、と素っ気なく、フルッと鳴く程度だった。

 そんな彼女の態度にトールは軽く小突いたが、逆にアーリィに口で頭頂部を小突かれる。

 ごすっと鈍い音がしたのは気のせいだろうか。

 表情が乏しいティシェの顔がふいに小さく、くしゃりと笑った。

 くすくすと肩を揺らして控えめに笑うティシェに、頭頂部を抑えて呻いていたトールが顔を上げる。

 まじまじとティシェを見やり、茶の瞳を丸くした。


「……君って、笑うんだね」


「表情筋が仕事をしないと、よく言われる」


 ティシェから笑いが引っ込む。

 だが、その表情は常よりも随分と柔らかだ。


「なぁーんだ、そういうことだったのか。てっきり歓迎されてないかと思った」


「困ったときはお互いさまだと言っただろう」


「でも君、表情に変化なかったからさ」


「――ティシェだ」


 ティシェがトールを見、ほんのりと笑った。


「これは灯竜のグローシャ」


 ティシェがグローシャの身体を軽く叩くと、彼女はトールに視線を向けて、よろしくね、とピルルゥと一つ鳴いたのち、アーリィをちらりと見やる。

 挨拶はこうやるんだと言わんばかりのグローシャの視線に、アーリィは天色の瞳を僅かに細め、鬱陶しそうにそっぽを向いた。

 それをグローシャはむっとしたらしく、彼女の体内から透ける灯の珠が淡く明滅する。

 呼応するように洞穴内を浮かび漂う灯の珠も淡く明滅し始め、ティシェとトールの影が仄かに揺れた。

 そんな竜達のやり取りを、淡く照らされる中で二人は静かに笑い合った。

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