竜の羽休めの地


 結果から言えば、落ちるカロンの下にグローシャが回り込むことで、ティシェが彼を受け止めた。

 ほら、大丈夫だった。慌てなくとも平気だったではないか。

 とティシェが言葉をこぼすと、じっとりとしたグローシャの視線が彼女に突き刺さった。




「……ちしぇ、げんめつ、した」


 拙く、舌っ足らずな声は、グローシャにしがみつき、ひんひんと鳴くカロンが発したものだ。

 あれから日に日に人の言葉を扱うのが上達している。


「幻滅なんて、そんな言葉どこで覚えたんだ?」


 ゴーグルを額まで上げ、地べたに座り込んだティシェが首を傾げた。

 足を広げ、足裏を合わせた形で座るティシェを、同じく地べたに腹を付けたグローシャが、じっとりとした橙の瞳を向ける。

 触れるべきところはそこではない、とその瞳は言いたげだ。

 落ちた。の一言で慌てた素振りもなく、カロンは怖い思いをしたというのに、それすら慰める素振りもない。

 カロンがいじけるのも頷けるグローシャである。

 グローシャはひんひんと鳴くカロンへ視線を落とすと、薄情なティシェに代わって、ピルルゥと優しく声を漏らしてあやし始めたのだった。




   *




 グローシャがカロンをあやしているならばと、薄情なティシェは周囲を見て回ることにした。

 顎下で留めていたものを外すと、耳あてを上に持ち上げ、今度は頭上で留める。

 これで周囲の確認もしやすいというものだ。

 ティシェはぐるりと周囲を見渡した。

 当たり前だが、周囲は木々しかない。

 その中で、ふと一つの樹木が目に留まった。

 立ち上がり、肩越しに振り返る。

 カロンはグローシャにまかせてよさそうだ。

 よしと一つ頷いたティシェは、目に留まったその樹木へと歩み寄り、手を伸ばして幹に触れた。

 樹表に走る縦筋。それが撫でる指先におうとつを感じさせる。

 まるで何かに引っ掻かれたような。


「……この痕、竜の爪か?」


 ティシェは伸びる幹を追うように見上げると、そこには実がなっていた。

 周辺の木々も確認する。

 この辺りはこの実の群生地なのかもしれない。

 もう一度自身がそばに立つ木を見上げ、実ったそれを見やる。

 いくつか齧った痕が視認できた。

 ティシェは少しばかり身を沈ませると、曲げた膝の反動を使って跳ぶ。

 手を伸ばして太枝を掴むと、片手でぶら下がって実をもぎ取る。

 すぐに手を離して地面に降りると、手にした実の齧った痕を見つめる。

 しばし見つめたのち、そっと鼻を近付けて匂いを確認した。

 この特有の匂いは、ティシェにとっては嗅ぎ慣れた竜の息の匂い。


「やっぱり竜だ」


 確かめるべきことを終えると、手にした実は自然に還すため、その木の根本に落とした。

 それからティシェは空を見上げる。

 広大な緑。そこにぽっかりと開けたここは、空から降りるには丁度よい。

 グローシャがここに降り立ったように、竜の羽休めの地になっていてもおかしくはない。

 いや、羽休めでなく被膜休めか。

 そんなどうでもいいことをティシェが考えたときだった。


 ――……ルゥゥ


 遠く。何かが聴こえた――これは、竜の声だ。

 はっと蒼の瞳を見開くと、ティシェはすぐに駆け出した。

 すでにグローシャは立ち上がっており、ティシェはその横でおどおどするカロンを抱え上げる。

 ティシェの隣に立ち並んだグローシャが、鋭さを滲ませた橙の瞳で空を睨む。

 警戒音をもらすグローシャに、カロンがびくりと身体を強張らせてティシェにしがみついた。

 怯えた紅の瞳で見上げてくるカロンを、ティシェは包み込むように抱え直す。


「……グローシャの警戒音に避けてくれると有り難いけど」


 頭上で留めていたそれを外し、耳あてを下ろす。

 すり足のようにしながら、グローシャの背に飛び乗れる位置に移動する。

 もしもの時、すぐに飛び立てるようにだ。


 ――ハルルルルゥ……


 竜の声が大きくなる。


「――こっちに向かっているな」


 ティシェの表情の乏しい顔が、厳しいそれに変わった。

 グローシャは身を低くする。ティシェの指示があれば、すぐに飛び立てるように。


「他の竜が居ると知った上で降り立つか」


 竜の中には好戦的な種もいる。

 そうなった場合には、もう祈るしかない。

 空へ逃げた竜を追いかけてまで襲うほどには、好戦的な竜でないことを。

 灯竜グローシャは穏やかな種だ。あまり戦闘は得意ではない。

 影竜カロンは強い種といえる竜ではあるが、彼はまだ子竜なのだ。

 ティシェはカロンを抱える腕に力を込めた――が、そこにふわりと香った。

 緊張感が張り詰めるその場に、場違いなほど華やかで、それでいて優しい香り。


 ――ハルルルルゥ


 ばさりと被膜を羽ばたく音と大きな影が、その香りと共にティシェ達の前に降り立った。

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