Episode3.花と触れる影に少女は竜を想ゆる

少女と竜は今日も空を翔ける


 肩口で切り揃えられた白銀の髪は、普段は一つに結わえられているが、今はきっちりと飛行帽の中に収められている。

 帽子横から伸びる耳を覆う部位――耳あてはきちりと顎下で留め、普段は額まで上げているゴーグルもまた、きちんと着用する。

 そのゴーグルの奥では、蒼の瞳が行き先を見極めるために細められた。

 これが彼女、ティシェの飛行する際の格好だ。

 騎乗用の鞍に跨り、金の竜を駆る。

 空を翔ける竜は灯竜のグローシャ。

 眼下に広がる雲は白く、ティシェの飛行服であるつなぎが寒さから彼女を守る。

 その上、グローシャから発せられるほんのりとした熱気は、さらにティシェを寒さから遠ざける。

 寒帯地には灯竜。とはティシェの言だが、便利だなと口にはしないながらも、常々彼女が思っていることだ。

 ティシェが重心を傾ければ、それを敏感に感じ取ったグローシャが被膜ある前足を一つ打ち、騎手であるティシェの意に従って身体を傾けた。

 彼女たちの姿が雲に沈んでいく。

 雲から抜けると、眼下に緑の地表が広がる。

 まだまだ森を抜けられそうにはない。

 その先に降り立てそうな開けた場所を見定めると、ティシェは掴んでいたグローシャの二本角から手を離し、彼女の首元を軽く叩く。

 グローシャの橙の瞳がちらりとティシェを見やり、ピルゥと小さく応えの声をもらした。

 ばさりとグローシャが被膜打つ音を耳にしながら、ティシェは背後を肩越しに振り返る。


「カロン、もう少しだから」


 すると、グローシャの背に積まれた荷物の影がにょっきりと伸びた。

 顔を出した影は、あかの瞳に怯えの色を滲ませながらちらりと外へ見やって、その高さに思わず瞳を潤ませた。

 まだ高かったらしい。

 ティシェが常と変わらぬ表情のままに、呆れを少しばかりはらませた嘆息を落とす。


「お前も竜だろう……」


 潤んだ紅の瞳がティシェを凝視する。

 だってぇ。と情けない色を湛えた。

 動かぬ表情下でその瞳にやれやれと首を横に振りながら、ティシェは片手はグローシャの角を掴んだまま、もう片方の手を伸ばす。

 にょっきり伸びた影にティシェが触れる直前、影は己に実態を保たせた。

 姿形を伴えば、影から上体が這い出る。

 夜色の鱗に二本角を頭部に抱く、それは竜。グローシャよりも何回りも小さく、ティシェが抱えられてしまう程の体躯。

 しかし、その下半分は未だ影に潜ったまま。

 ティシェの手がカロンの頭に触れると、彼はその頭を押し付けた。

 カロロォ、甘えた声を出すのも忘れない。

 そのときだった。

 ふわりと優しい香りがカロンの鼻先をくすぐり、なんだなんだと彼が瞳を瞬かせる間に、今度は花弁が鼻先をくすぐる。

 と、むずむずとした衝動が彼を襲った。そして。


 ――カルッッションッ!


 カロンがくしゃみをした――まではいいのだが、その弾みで影に潜んでいた身体の下半分が飛び出し、カロンが目を剥く間もなく、グローシャの背から転がり落ちて行った。

 それをティシェは表情の乏しい顔で見送る。

 彼女の目の前を花弁が過ぎた。


「……花弁が風に乗って舞ってきたのか」


 視線を持ち上げれば、花弁が群れとなって風にふわりと舞い上がる。

 グローシャもそれを視界に認め、橙の瞳だけで背のティシェを振り返った。

 ピルゥ? ――背で何か騒ぎがあったみたいだが、どうしたんだと視線だけで問いかける。

 ティシェは視線を前に戻すと、常のままの表情でグローシャに頷き返した。


「カロンが落ちてった」


 それは何でもないかのように紡がれた、呑気な口ぶりだった。

 だが、グローシャはその言に叫ぶ。

 ピルゥウッ!? ――グローシャが大きく目を見開く。否、目を剥く。

 慌てた様子でグローシャは被膜をたたむと、急いで旋回して急降下を始めた。

 ティシェは慌てることなく、身をグローシャにくっつけて降下の姿勢に入る。

 風圧で口は開けない。

 けれども、グローシャから発せられる熱の温度の上がり具合から、彼女の慌てぶりを察する。

 そんなに慌てなくとも大丈夫だろうに。

 ティシェは僅かに口の端を上げ、小さく笑った。



 カロンは竜なのだが、子竜ゆえか、未だ己の被膜を上手に扱えない。

 そう、つまり。カロンは飛べない竜なのだ。

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