第4話 映画

 ザワザワとどこからともなく20代前後の若者の声が聞こえてくる。

古い鐘の音みたいなチャイムが鳴り響き、鐘の音で掻き消されないように真ん中の教壇に立っていた年配の教授が声をかけた。

 「今日の講義はここまでです。課題は一週間後までに提出するように。それではまた次の講義で。」

 教授の声が聞こえる前から既に教団の周りを囲んでいた学生たちは、めいめい筆記用具をしまい始めたり、隣の人と話し始めたりしていた。

 「あきら、今日も用事あるの?」

 1人の学生が聞いた。翠と呼ばれた青年は、少し乱れた髪を撫で、そしてまたその指を鼻の下をなぞり、また目を開いて相手に言った。

 「…そう、バイトだよ。」

 「やっぱりそうか。忙しいね。親の仕送りじゃ足りないんだ?」

 「最低限は払ってくれてるよ。だけど、これだけじゃお腹いっぱいご飯が食べれない。

  服もよれるから買い替えたいし、整髪料もそろそろない。」

 「大変だなぁ。…。でもまぁ、あんまり無理するなよ。じゃぁ俺はこれで。」

 相手は翠に微笑んで手を振り、鞄を持つと先に講堂を出て行った。

翠ももう既に机の上を綺麗に片づけていたが、ふと気になり、スマホのカレンダーを開いた。

あと2日バイトをすれば、休みがある…。カレンダーにはいくつかの講義の課題提出期限も記入されていた。

翠の指先は、アドレス帳をなぞり、先の友達、恭介きょうすけの電話番号を見つめた。

(でも、課題が…。)

翠は諦めてスマホを閉じ、講堂を出て行った。


 バイト先はアパートの近くのコンビニだった。

翠はユニフォームに着替え、鏡に自分の姿を映し、髪型を整えた。

するとガチャリと音がして女の子が入ってきた。

 「……。」

 女の子は外国語で何かを叫び、翠をよけてクローゼットを開けユニフォームを取り出して着だした。

 「おはようございます。」

 翠は相手の顔色を確認するように挨拶した。

 「おはようだよ。間に合った。」

 女の子は答えるとタイムカードを押し、事務所兼従業員室を出ていった。


 女の子の勤務態度は悪くはない。2か月前から入ってきた新人で、店長や翠や他のスタッフが業務を代わる代わる教えた。

今では一人で接客しレジを打っている。暇な時、レジの前で手持ち無沙汰にになっているが、声を掛ければ品出しや清掃などもきちんとこなしてくれている。

何より、二重の大きな瞳と中国系らしい端正な鼻と唇、綺麗な黒色の髪の毛…女の子の容姿は僕の興味を引いていた。

 「ありがとうございました。」

 女の子はお客さんに挨拶すると、

 「今日も会えてうれしかったよ。」

 と中年の男性客が手を振った。

女の子は、得意そうに口角をあげた。

(今日も無事に終わるな。)

 翠はレジの点検を始めていた。女の子はまだレジ点検はできない。隣のレジでお客さんを待機中だ。

「1…2…3…4…」

 翠はお札を慎重に指でめくって数えていた。

店にいるお客さんは2人くらい。まだ商品を眺めていた。

すると入り口のチャイムが鳴った。

 「いつもの。」

 店に入るなり大柄な男性客は、女の子に言った。

 「…いつ、も、のもの?デスカ??」

 女の子は分からず戸惑い、片言の日本語で聞き返した。

 「だからそうだよ、知らないの?!」

 「いつもの…とはナンデスカ?」

 男性は、発音の悪い女の子の声を聞いてこめかみに皺を寄せた。

 「ああ、もう、メビウスの10ミリだよ!!」

 男性は声を荒げて言った。

 「メ・ビウス…10…。」

 女の子は振り返って煙草棚を見た。目線は棚を上下するが、目的のものを見つけられないでいる。

 「なんだよ!遅い!」

 隣で小銭を数えていた翠は、異変に気付き慌てて女の子のレジへ行った。

 「お客様どういったご用件でしょうか。」

 「ご用件も何もないよ!いつもの煙草が欲しいと言ってるんだよ!」

 翠は大柄な男性客の目を見つめた。

 「ぇと、メビウス…の10ミリですね?」

 そう言って煙草を取り、レジを打った。

 「ああ、もう何なんだよ!最初からお前が出ろよ!

  なんでこんな…日本語もしゃべれない外国人…。」

 大柄な男性客は女の子の名札をじろりと見た。

 “笙鈴しょうりん

 「中国人かよ!中国人なんて置くからろくなことないんだよ!ふざけんな!!」

 大柄の男性は激昂した。

 他のお客さんもこちらの騒ぎに気付きこちらを見つめていた。

 「申し訳ございません。まだ新人でありまして。

  しっかり教えますので。本当に申し訳ございませんでした。」

 翠は深々と頭を下げ謝った。

 「本当に…!もう来ないからな!」

 大柄の男性客はそう叫んで出て行った。

翠は、男性客が消えていった入り口を見つめ安堵して振り返った。

笙鈴の姿はなかった。

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