交通事故現場

 通っていた高校の通学路の話。国道沿いの道にお供え物の集まる場所があった。僕を含む多くの生徒が曲がる角より少し先にあったので、初めの一年ほどはよく見たことがなかったけれど、当然重大な交通事故か何かがあった現場だと思っていた。


 それが誤解だとわかったのは、ある日の朝礼でのことだった。教師の一人がその場所のことに触れて、悪質ないたずらがあったと語った。曰く、この高校の制服を来た誰かの写真が例の現場に置かれていたが、こういうことはやめて欲しいとのことだった。


 続けて、あの場所で本当は深刻な事故など起こったことはない、と説明した。おそらく誰かがいたずらでお供えめいたものを置き始めて、真似した誰かが次々にお供え物を増やしているのだろうということだった。軽い事故がたまに起きる場所であるのは確かなので、ある種の抑止になると考えた近隣住人たちの間で相談して、結局放置されてきたのだという。


 割れ窓理論というやつか、この朝礼以降、「お供え物」は目に見えて増加した。内容もさぞバラバラだろうと思っていたが、これが意外なことに、妙な統一感を持っているのだった。例えばおもちゃは恐竜や働く車の関係が多い。それではこの「事故」にあったのは小さな子供なのではないか?と思って観察してみると、それを補強するように小さなキャップ帽やお菓子が供えられる。

 また、毎月11日には供え物が豪華になり、それが月命日だと思われた。


 事故が起こったのはおそらく1994年かその少し後。なぜわかるのかといえば、一年で完結するシリーズの番組のグッズが供えられているから。こういう番組のグッズっていうのは普通放送が終わったら生産終了して入手困難になるのに、わざわざそれを集めて供えているのかと思うとやはり奇妙な話ではあった。


 その他にあえて特徴的だった供え物の共通点をあげるとすれば、それは「犬」だ。犬種はバラバラで、柴犬らしい犬の絵本だとか、ダルメシアンらしきぬいぐるみとか、ダックスフントらしき刺繍のあるハンカチだとか、そういうものが供えられているのだった。正確に覚えているわけではないが、雰囲気としてはそんな感じだ。


 正直なところ、プロファイリングから見えてくるような小さな子供の像からは、このこだわりはズレているように感じられたのを覚えている。恐竜や働く車がそうであるように、なんとなく動物全般が好き、だとか、あるいは特定の犬種に思い入れがあるという方が、整合性があるのではないかと思った。

 とはいえ、結局そこは供える人のチョイス次第だし、そもそも供える人は本気ではないはずなのだから、深く気にすることではないだろう。


 一応明言しておくと、本当は深刻な事故があって、それが隠蔽されているのではないか、とかそんなことを本気で疑ったことはなかった。ただ、このプロファイリングが進むにつれて悲しい気持ちや後ろめたい気持ちが大きくなって、結局半年ほどでこの遊びはやめてしまった。

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