出口専用
学生時代、確か春休みにサークルの借りている部屋で駄弁っていたときのことだと思う。先輩が思いつきで河津桜を見に出かけるというので、僕を含む四人ほどが車に便乗して出かけた。
ちなみに僕は、移動中に後部座席でドストエフスキーの悪霊を読んでいた。車まで出してもらいながら、我ながら遊び甲斐のない後輩である。
帰り際、心地よい疲れもあるけど、もう少し何か面白いことがあればな、という気持ちもあるようなタイミング。先輩は「洞窟/無料」の看板に引かれて国道脇の駐車場に入った。僕たちは、とにかく、暗くなる前にスパッと遊び納めをしようと勇んで、案内板の先に歩いて行った。
問題の洞窟を前に、僕たちは少しまごついた。たどり着いた穴の脇には白い板が貼り付けてあって、「出口専用」の文字があったのだ。
何人かは反対したけれど、無料の場所であるし、ぼんやりしていると日が落ちるような時間でもあったし、我々は結局「出口専用」の側から洞窟に入ったのだった。
入ってしまえば物珍しさの方が先に立ち、僕たちはそれなりに賑やかに歩いていた。けれど、体感で五分ほど歩いたあたりで、ふっと全員が黙った。先の方からぺたぺたと足音のようなものが聞こえたからだ。
誰が言い出すでもなく、反対から別の客が来たのだと思った。狭い道のことであるから、仕方なく脇による。しばらくそうしていたが、「ぺたぺた」は一向に近づいてこない。僕たちは顔を見合わせて、行進を再開した。
ほどなく、「ぺたぺた」を通り過ぎたのを感じた。とすると、やはりあれは、足音ではなく、洞窟の中にある何かが自然に立てる物音だったのだ。そう思った矢先、
ぺた、ぺた
背後の音が、心なしかついてきているような気がする。果たして僕以外の何人がそれに気づいていただろう。少なくとも先頭を歩いていた先輩は、目に見えて早足になった。
幸い一分も歩くと出口にたどり着き、暮れかけの駐車場にたどり着くことができたけれど、全く安心することはできなかった。「ぺたぺた」はもはや、洞窟の外までついてきているとしか思えない距離で聞こえていた。
自動車が発進し、流石に振り切れると期待したが、甘かった。
ぺたっ、ぺたっ、ぺたっ、ぺたっ
マラソンぐらいのテンポになった足音が、ずっとついてくる。だれかが、先輩の運転の荒さを指摘し、僕は「仕方ないじゃんか」と言った。
高速道路に入り、先輩がスピードを上げる。「ぺたぺた」のテンポが早くなり、しかしやがて途切れた。
しばらくの緊張の後、ふっと車の中の空気が弛緩した。
サービスエリアで休憩したとき、先輩が口火を切ってその話題になったけれど、やはり半分くらいのメンバーは何も気づいていなかったらしい。それで一気にこの体験はただの武勇伝になり、ほんの少しの間だけサークルの噂になってから忘れられていった。
不気味だったのは、帰り道で持参した飲み物に口をつけたメンバーが、軒並みそれを「腐っている」と言ったり、中身の残ったまま捨てたりしていたことだ。後になってから何人かにそのときのことを訊いても、「空気に飲まれただけだろう」くらいの返答しか帰ってこなかった。
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