第3話 絶望の淵


 森……そうか、森か。

 森の恵みに手を出して、それで食い繋いでいたのか、このスラムの人たちは。

 でも、話を聞く限り魔獣——異世界特有のモンスター的なアレがいるんだな。


「……先生になってくれる人がいればいいんだけど」


 あのクズが女性たちを「捨てる」場所は森かもしれない。

 魔獣がいるのなら「森に食糧を探しに行ったまま帰らない」と言い訳できる。

 本当にクソだな、あの野郎。

 ……ダメだ、焦るな。

 仕損じるわけにはいかないだろ。


「帰ろう……」


 たった六年ほど。

 この世に生を受けて、多分そのくらい。

 年末年始の祭りの回数で自分の年齢を数えて、だけど。

 前世は本当に平和な世界だったんだな、と思う。

 たった六年で、俺は人に本気の殺意を抱くほど——人を殺そうと誓うほどに変わった。

 それとも、これが『イスト』なのだろうか。

 わからない。

 次の女の人は、逃がせるといいんだけど……。




 ***




 それからまた、数日。

 薄汚いクズ野郎との同居生活は本当にクソだ。

 まず食事。

 あいつは自分の分しか買ってこないし、俺の分はない。

 だから近隣の家のゴミを漁るか、泥水を啜るかの二択。

 ただ、森の場所を知ったので隙を見て森の浅い場所に実ったポテツという芋を入手できるようになった。

 切ったり煮たり焼いたり揚げたりしたら、幅広く使えそうなのだが、生憎調理道具もなければ火も扱えない。

 そう、生齧りだ!

 ……ポテツの可能性だけを感じる生齧りだが、なにも食べないよりマシだし泥水よりは美味しい。

 料理したい、このポテツ。

 フライドポテツにしたら絶対美味しい。

 ダイニングの端に竈はあるのだが、薪を燃やして使う古風なタイプで幼児の俺には使えそうにないのだ。

 なんなら鍋やフライパンもない。

 あの家は料理をする、という概念が存在しないのだ。

 ……それにしても、あのクズはどうやって金を稼いで飯を買ってくるのだろう?

 定職についているようには、まあ、当然ながら到底見えないし。

 ろくでもない腐れ仕事をしているのだろう、というのは確信を持って言える。


「あぁ、こいつだ」

「!」

「へー、本当にガキなんか育ててんだ?」


 部屋の隅に縮こまり、いつものようにクズ野郎の視界に入らないよう努めていたら、玄関から二人の男が入ってきた。

 一人は親父だが、もう一人は若い男。

 派手な金の髪を後ろで一纏めにした、唇にピアスをつけた男。

 袖のない両腕には、蛇の刺青が走っていた。

 なんかもう、見るからにヤバい。

 正直この世に親父よりヤバい人間がいるのかと、ゾッとしたほど。

 その男は四十センチほどの籠を抱えている。

 俺を見ると、赤茶色の目を楽しそうに細めた。

 嫌な予感しかしないんですが。


「ボクゥ、お名前はなんていうのかな?」

「…………」

「そいつに名前なんてつけてないぜ、旦那。餌も与えてねぇのに勝手に育ちやがって気味が悪い。使うんなら売るぜ?」

「それも悪くないねぇ。ちょうど奴隷の世話をする小間使いがほしいかなって思ってたし」

「お、いくらで——」

「ああ、その前にコレコレぇ」


 どうやら俺は売られるらしい。

 このクズから離れられるのなら、とも思うが、販売先もろくでもなさそうだ。

 身構えると男が近づいてくる。

 そして、籠を俺の前に置いた。

 大きな蓋つきのバスケット……?


「君、コレの世話をしてほしいんだよ。うちに置いておくと、他の奴隷と混ざりそうだしここの方がバレなさそうなんだ。……そう、は誰にもバレちゃあいけないよぉ? 君と俺たちだけの秘密だ。ちゃんとお世話したら、ご飯をあげよう。甘いお菓子や、美味しい果物も」

「…………?」

「期間は半年。その間に必要なものは全部こちらで用意しよう。上手にお世話できたら、そのあとの世話係も君に頼むかもしれない。まあ、就職面接試験とでも思ってよ」

「…………」

「ガキにガキの世話なんかできんのかぁ?」


 最初は「なにを言ってるんだろう」と思った。

 でも、言ってる内容は……その、まるで……。


「……っ」


 息を飲む。

 まるで、俺に……このバスケットの、中身を、世話しろって言ってるような……?

 犬とか、猫、魔獣の子ども……とか。

 それらの人間以外の可能性を、俺はどうしても信じることができない。

 なぜだかわからないが、変な確信を持って言えた。


 このバスケットの中身は、人間の赤ちゃんだ。


 男は笑ってる。

 目の奥に、心の底から愉快だという気持ちが見えた。

 奴隷、と言っていたから、この世界には奴隷制度がある。

 それもゾッとしたけど、俺は、これから、それと関わる?

 嫌だ。

 けれど……。


「じゃあよろしくね。道具はあとから運ばせるけど……条件が一つ」

「っ?」

「絶対にこの子がここにいるって周りにバレてはいけないよ。赤子を隠すのはとても難しいから、頑張ってね。ああ、近くの森の中ならバレないかも? ふふ、じゃあそういうことで。死んでも構わないよ。本当なら『殺せ』って言われてるしね」

「……」


 にこりと、無邪気に笑って見せたこの男が心底恐ろしい。

 喉が張りついて、息がしづらいと感じるほど。


「旦那ぁ、んなガキに融通利かせるくらいなら俺にももっといい女を融通してくださいよ。この間のやつもすぐぶっ壊れたんですよ」

「テロギー、お前のスキル[透明]は盗みにとても便利だ。殺すのは惜しいと思ってる」

「……そ、そうでしょう? ええ、まあ……またいつでもお声がけくだせぇ! 旦那のためならいつでもお役に立ちますぜ」

「わあ、ありがとう。頼もしいなぁ」

「…………」


 ああ……マジで……この世界は、クソなんだ。

 渡されたバスケットを抱えて、俺は静かに、そして改めて絶望した。

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