第2話 ハードモードスタート


 そうして転生した俺、イスト。


「いやぁぁぁ! 助けて、誰か!」

「うるせぇ!」


 ガシャーーーン!

 親父の手が女性の髪を掴み、逃げようとした女性がラックの上のグラスを落とす。

 割れたグラスは粉々で、舌打ちが部屋から聞こえた。

 俺は寝室の隣のダイニング——と呼ぶにしてもあまりに汚く、テーブルが一つしかないが——で縮こまっていたがゆっくり立ち上がる。

 女——もとい何人目かわからない後妻は顔をパンパンに腫らし、涙と血でぐちゃぐちゃになった顔で俺に手を伸ばす。


「助けて、おねがい、助けて……」

「っ……」


 来た時は若く綺麗な人だった。

 ここ数日でこの有様だ。

 神は確かに、全能ではないのだろう。

 けれど、俺が生まれた異世界はあまりにも底辺な場所。

 スラム。

 そして親父はクズ中のドクズ野郎。

 他人様の年頃の娘を、攫ってきたりわざと少額の金を貸して利子と称して借金のカタに連れて帰ってくる。

 俺を産んだ人も、そうして無理矢理連れてこられた人のようで、今はもういない。

 俺を産んだせいで、この人間のクズに殺されたらしい。

 このクズ野郎が酒を飲み、上機嫌になると武勇伝のように俺に語って聞かせるのだ。

 その後も俺の世話をする——親父の後妻は後を絶たない。

 逃げ出したい女性は手助けするが、体なり顔なりを親父が気に入ると彼女のように足枷でベッドに繋がれてしまう。

 顔を腫らしているところを見るに、彼女は体が気に入られてしまったのだろう、可哀想に。

 これだけ殴られ、穢されてもまだ俺に助けを乞う元気と正気があるのは心も強い女性なのだろう。

 親父は、それが気に食わなかったのだ。

 だから顔を腫れるまで殴った。

 本当にクズだ。

 ……ああ、俺だって……俺だって助けたいよ……お姉さん。

 ごめん、ごめんな……俺まだ小さくて、このクズを殴り飛ばして助けるほどの力もなくて……ごめん。


「グラス片付けておけ」

「……」


 返事をすると殴られる。

 頷いてしゃがみ、無言で割れたグラスを集めた。

 頭の上ではクズが女性を乱雑に犯す。

 その不愉快な音と悲鳴、嗚咽を聞きながら無心で手早く片付ける。

 このグラスのかけらで、あのクズの首を掻き切ってやったらこんな生活から自由になれるだろうか?

 彼女も助けられるだろうか?


「あ? おい!」


 親父が女性に声をかける。

 髪を引っ張るが、そういえば先程から声が聞こえない。

 見上げると、そこには——。


「チッ、舌噛み切りやがった! ったく、誰が片付けると思ってんだ」

「…………」


 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。

 グラスを両手で包み、ダイニングに戻ってゴミを入れる壺の中にそれらを入れる。

 寝室ではギシギシと死体を犯す、クズの呻めきと音。

 唇を噛む。

 数えて六年ぐらい、俺はこの世界にいるが……死体になってまで侵される女性を見るのはもう、耐えられそうにない。

 ひとしきり楽しむとクズ野郎が女性の体を担いで外へと出ていく。

 どこかへ、捨ててくるんだそうだ。

 冗談なのか本気なのか俺にも「いつかお前も捨ててやるからな」と笑いながら言っていた。

 ここにいればいつか殺される。

 機嫌が悪ければ殴られるし、今まで“後妻”たちが庇ってくれたから致命傷にならず生きていられたけれど……今後どうなるかはわからない。

 前世でも虐待のニュースはよく見たものだが、いざ虐待児になってみると本当にたまったもんじゃない。

 俺は前世の記憶があるから上手く立ち回れているけれど、なにも知らない子どもじゃあ死んでしまうのが当たり前だ。

 記憶があって、上手く立ち回ってるつもりでも、いつ死ぬかわからないんだから。


「…………」


 外を覗く。

 家の外に出ることは禁止されている。

 捨てに行ったなら当分は帰ってこないだろう。

 こっそり行動範囲を広げ、外の状況を確認する。

 この町はスラム。

 王都の側にある、『ベイグルードス』という町の貧民街だという。

 俺以外にもクズ親に捨てられた子どもが集まって盗みを働いているところに出会したことがある程度には——治安はクソ。

 ギャングのような犯罪集団もいるらしいが、基本的にそれらは夜に活動するからお目にかかったことはない。

 浮浪者が座り込み、空を見上げて一日を過ごす街。

 ここから色んな意味で抜け出すのは、大変だろう。

 それでもいつか、こんないつ死ぬかわからない場所に引きこもるよりは、逃げて活路を見出す他ない。

 そして体を鍛えて強くなったあとは絶対あのクズ親父をぶっ殺す。

 俺を守って、育ててくれた“後妻”たちの仇……!

 みんな、みんな優しくて強かった。

 血の繋がらない俺を抱き締めたり、泣いてくれる人もいた!

 言葉を教えてくれたり、笑いかけてくれた人も。

 みんな、みんな、みんな……!

 絶対に許さねぇ、あのクズ!

 絶対に強くなって殺してやる!


「っず……」


 泣くな。

 泣いてる場合じゃない。

 強くなるんだ。

 彼女たちの無念を晴らすためにも。


「!」


 街の外れまで来ると、森がある。

 浮浪者が数人入り込み、入れ違いで森の恵みを持った浮浪者が出てきて会話している。

「今日はどうだ」「魔獣も見当たらない」「コグリの実が熟していた」「コグリの実はグラトニーグリズリーの好物だから十分に注意しろ」……かな?

 少し遠くて聞き取りづらいが、街がこんなに森と隣接していたなんて。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る