第153話 エピローグ①
旧バルバーリ王国領が、アランの領地として正式に引き継ぐことが決まった後は、とても大変だった。
当時の旧バルバーリ王国領内が、大混乱に陥っていたからだ。
日に日に自然の恵みは失われていく。
一時は、ソルマンが行った精霊狩りによって復活の兆しをみせたけれど、戦いに負けて、王国を囲っていた結界が消滅してからは、一気に土地の荒廃が進み食糧難へと陥った。
それに加えて、突然霊具が壊れてしまう怪奇現象が発生。
……まあこれは、私の仕業なのだけれど。
精霊魔法は、生活の一部になるほど身近な存在。
日々の生活が魔法で成り立っている今、突然魔法なしの生活をしろと言われても、受け入れられるわけがない。
私も精霊魔法が使えなかったから、その大変さはとてもよく分かる。
二十五年前――いえ、私が追放されてからもう二年が経ったから二十七年前――に精霊魔法が使えなくなったことがあったため、一応魔法が使えなくても生活出来るノウハウはあるとはいえ、実際するとなると手間がかかるもの。
止めは、バルバーリ王家が降伏したことによって、自分たちの国が隣国のものになったこと。
目まぐるしく変わる状況に、ついていけという方が酷かもしれない。
私が彼らと同じ立場なら、魔法は使えなくなるわ、食べ物がなくなってお腹すくわ、突然国がなくなっちゃうわで、何でこうなった⁉︎ と叫んでいるかもしれないわ。
そんな酷い状況の領地をまとめるという過酷な役目を引き受けたアラン。
バルバーリ領を引き継ぐことになったことを私に教えてくれた彼の目は、厳しさを滲ませつつも、強い覚悟が感じられた。
私は一度、食糧難であえぐ民の姿を見かねて、アランに救済を申し出たことがあった。
精霊たちにお願いして、自然を蘇らせようって。
だけど、
「それは最終手段だ。ここで多少の犠牲を払ってでもバルバーリ人の精霊に対する考え方を変えないと、また同じことが繰り返される。あいつらは、その身をもって理解しなければならないんだよ。寧ろ考え方を改めさせるのに、今の状況は悪くないと思ってる」
「理解?」
「ああ、そうだ。自分たちが、精霊によって生かされていることをね」
そう話す彼の鋭すぎる眼光が、今でも忘れられない。
何も言い返せなかった。
自然の恵みが失われても、バルバーリの民たちが精霊たちを道具だと見下し、自らの行いを改めようとしていないのを知っていたから。
アランは霊具工匠を解体すると、改めてギアスと霊具の使用を禁じ、使用した者には極刑に処すことを宣言した。
代わりにフォレスティ王国の精霊魔術師たちをこちらに呼びよせると、バルバーリの民に従来の精霊魔法の指導を始めたの。
もちろん当初は反発し、聞く耳を持たなかったバルバーリ人だったけれど、精霊魔法の指導を受ける代わりに食料が得られると知ると殺到したみたい。
だけど食料を得るために精霊魔法の指導を受けていた人々が、少しずつ精霊魔術師たちの話に耳を傾けるようになると、人々の心の変化を感じ取ったのか、私が生み出した精霊たちが次第にこの土地に留まるようになった。
精霊が留まるようになると、一人また一人と、精霊に力を貸してもらえるバルバーリ人が増え、土地の荒廃が緩やかになっていく。
従来の精霊魔法が使えるようになると、精霊魔術師たちの言葉が本当なのだと気づいた人々が、精霊を大切にする行いを心がけていく。
こうなると後はとても早く、従来の精霊魔法を使える人々が増えるにつれて、この地に留まる精霊たちも増え、土地の荒廃が止まり、むしろ自然が蘇る兆候を見せ始めたの。
ここまできてようやくアランから、自然の恵みを蘇らせて欲しいとお願いされ、私は大精霊たちとともに失われた自然を蘇らせた。
突然自然が蘇った奇跡は、すっかりバルバーリ人たちの間でもお馴染みとなった、精霊女王の力だと広められ、人々の心を掴んだと聞いている。
そのせいで、フォレスティの王都エストレアのように、至る所で精霊女王の像を見る機会が増えたのだけれど、いくら三百年前の姿とはいえ、やっぱり恥ずかしいわけで……
「はぁ……」
「エヴァ様、どうかなさいましたか?」
私の髪を結ってくれていた侍女の方が、慌てて声をかけてきた。
どうやら恥ずかしい気持ちが顔に表れてしまっていたみたい。目の前の鏡を見ると、知らず知らずのうちに、眉間に皺が寄っていた。
確かに今日この日に、この顔は……駄目ね。
心配して声をかけられても仕方ないわ。
「何でもないわ。ちょっと色々と思い出して恥ずかしくなっただけ。気にしないで? そういえば、叙爵の式典はもう終わったのかしら?」
「先ほどつつがなく終了したと報告がありました。アラン様は一度部屋に戻り、お衣装のお着替えをなされていると思います」
そう。
ならこれからアランはシュトラール公爵を名乗り、旧バルバーリ王国領は正式にシュトラール公爵領となるのね。
私も――
部屋にノック音が響いた。
許可を得て部屋に入って来たのは、いつもと同じ軽装鎧を身につけたマリアだった。
マリアは私の姿を一目見るやいなや、猫のような大きな瞳を見開きパッと表情を明るくした。
大股でこちらに近付くと、目をキラキラさせながら声をあげる。
「エヴァちゃん綺麗! 凄く素敵よ!」
「そう言って貰えて嬉しいわ、マリア」
「やっとこの日を迎えられるなんて……もうエヴァちゃんとアラン様のジレジレを、歯痒く思わなくて良いと思うとホッとするわ」
マリアは両腕を組みながら一人頷いているけど、どういうことかしら?
私がアランのことが好きだったことは、マリアが知ってて当然なのだけれど、今の言い方だとまるで、アランが私を好きだったことにも気付いていたみたいな……
いや、まさかね。
私だって、彼の気持ちに全く気付かなかったくらいなんだもの。
だけど、周囲にいる侍女の皆さんも何故かマリアの言葉に深く頷いているのは、どういうことかしら?
これ以上考えても答えはでないと判断すると、私は話題を変えた。
「マリアは式に出席できるの?」
「さすがに私は無理ね。これから警備の方にまわるから。だからアラン様が、こうしてエヴァちゃんと話す時間を下さったの」
「そうだったのね」
「アラン様よりも先に、エヴァちゃんの綺麗な姿を見るのは申し訳ないけれどね。代わりにちゃんと報告しておくわね? エヴァちゃん綺麗過ぎるから、心の準備をしてくださいって」
「や、止めてって、マリア‼」
ハードル上がっちゃうっ‼
マリアはふふっと笑うと跪き、白い手袋で覆われた私の手を優しくとった。
こちらを見つめる茶色の瞳が、僅かに潤んでいる。
「今日という日を迎えられて、本当に良かった」
「皆のお陰よ。マリアも、今まで本当にありがとう」
「エヴァちゃんが、頑張ったからよ。どうか……幸せになってね」
「……ええ」
マリアの手に自分の手を重ねると、ギュッと握った。
「エヴァ様、準備が整いました」
侍女の言葉に私は顔を上げると、マリアに支えられながらゆっくりと立ち上がった。
そして改めて彼女に向き直ると、秘めていた願いを口にした。
「マリア、一つお願いがあるのだけれど……」
「どうしたの? 私に出来ることなら何でも」
「あのね、マリアにベールダウンして欲しいの」
「え?」
茶色の瞳が困惑で揺れる。
だけど、
「いいの? 私なんかで。ほら、もっと相応しい方々が……」
「私は、マリアにして欲しいの」
だってマリアは、私のお姉さんなのだから――
私の気持ちが伝わったのだろう。
彼女の瞳が細められ、満面の笑みを作る。
ベールを下ろしやすいように少しかがむとマリアの手が伸び、
「……私の大切な妹のこれからに、幸多からんことを」
優しい声色とともに、頭を覆っている白いベールが顔の前にフワッと下りた。
これで身支度は終わり。
「ありがとう、マリア」
そう言って、鏡の中にいる自分の姿を改めて見る。
たくさんのお花で飾られた、真っ白いウェディングドレスを身につけた姿を。
今日この日、三百年前と同じこの場所。
フォレスティ城にある精霊宮で私とアランは、
結婚式を挙げる――
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