第152話 両親が生きた証

 私たちが乗った馬車を迎え入れるため、目の前の門が軋み音を立てながら開いた。


 正門から見える建物が、馬車が進むにつれてどんどんと大きくなっていくと同時に、懐かしさがこみ上げてきて、気付けば両手を強く握っていた。


「変わってないね」

「そうね……」


 隣に座るアランの言葉に、私は僅かに頷いた。


 窓から見える景色は、追放を命じられることを知りつつもバルバーリ城へ向かったときに見た、あの日から何も変わっていない。


 これから歩む過酷な未来と自由を天秤にかけ、後者を選んだ自分に間違いはないのだと何度も言い聞かせながら、心の中でさよならを告げたあの日から。


 馬車が止まった。

 ドアが開くとアランが先に降り、


「エヴァ」


 続いて降りようとした私に向かって、恭しく手を差し伸べてくれた。


 ここを出ていくときは、一人だった。

 だけど今は……一人じゃない。


 お礼を言って彼の手を取ると、長いスカートの裾を踏まないように、ゆっくりと馬車から降りる。


 両足が地面につくと、アランと目があった。

 何かあったのかと問うように、彼が僅かに首を傾げている。そんな彼に、首を横に振って何もないと動きで伝えると、差し出された彼の腕に私の腕を絡ませた。


 すぐ傍に愛する人の体温を感じながら、目の前に立つ建物を改めて見上げる。


 私が生まれ育った場所。


 クロージック公爵邸を――


 ◇


 クロージック公爵家の当主であった叔父と義母は、バルバーリ王家が降伏後、賠償金としてフォレスティ王家に収めるはずだった家の財産を持ち逃げしようとし、投獄された。


 今までの行いと当主が罪人となったことで、爵位の剥奪は避けられないと思っていたのだけれど、イグニス陛下が特例を認めてくださり、女である私がクロージック公爵を継ぐこととなった。


 正統な後継者として――


「お帰りなさいませ、エヴァ様」


 屋敷の玄関前には、現在公爵邸を守ってくださっている使用人たちが並んでいた。

 皆、新しい顔ぶれだ。


 というのも、私が追放される時に屋敷にいた使用人たちは全て解雇され、フォレスティ王家が信頼できる人たちを雇い、ここに連れてきてくださったのだ。

 

 荷物をお願いすると、私はずっと心の隅に引っかかっていた場所――代々ここで暮らしていたクロージック公爵とその家族が眠る墓地へと向かった。


 墓地はとても静かだった。

 そこそこ広い土地は柵で囲われ、規則正しい間隔で墓標が並んでいる。


 これらのお墓がいつからあるかは分からないけれど、さすがにティオナのお墓はなかったみたい。


 私は一番入り口に近い、二つのお墓が並ぶ区画にやってくると、腰を落として墓標に刻まれた名を真っすぐ見つめた。


「ただいま戻りました。お父様、お母様……」

 

 手に持っていた花束を供えながら、私は亡き父と母に帰還の挨拶をした。

 

 お墓は綺麗だった。

 私が戻って来るからと、屋敷内で働いている皆さんが、掃除してくれたんだわ。


 だって追放される前、この場所の綺麗を保っていたのは、ルドルフと私だったから。


 胸の前で両手を合わせ目を閉じると、お父様との思い出が蘇った。


 私を力強く抱き上げてくれた、大きな手の温もりを。

 お母様が、お腹にいた私をどれだけ愛していたかを語る、優しい声を。


 亡くなる直前まで無償の愛を注いでくれた、お父様の笑顔を――


(たくさん心配をかけてごめんなさい。だけど私はもう一人じゃないの。お父様とお母様が守ってきたクロージック家は、私が必ず建て直します。だから安心してね)


 強く強く、決意を伝えた。


 ……そうだわ。

 アランのことも報告しておかないとね。


(私の隣にいる人は、私の、こ……婚約者でアランっていうの)


 正式な婚約者になってから随分経ち、互いの距離もかなり近くなったというのに、いざ両親に報告となると気恥ずかしさが勝ってしまう。


 だけど、


(……ずっとずっと、私を守ってくれた人なの。真面目で誠実で、ちょっと子どもっぽい部分もあったりするけど、そこがまた可愛かったりして……私を――大切にしてくれる人よ)

 

 気付けば、口元を緩ませながら、両親の前で惚気ている自分がいた。

 気恥ずかしさは消え去り、今まで私を守り支えてくれたアランへの感謝で胸が一杯になる。

 

(私も彼を守っていきます。お父様やお母様のような、仲睦まじい夫婦になれるように頑張るから。だからどうか……見守っていて)


 死んだ人は魂となって、新たな命を得るために流転する。

 分かっていても、そう祈らずにはいられなかった。


 長い挨拶を終えて目を開けると、隣にいたアランが立ったまま、目を閉じて手を合わせていた。


 私が立ち上がったのを気配で感じたのか、瞳が開きこちらを見る。


「エヴァ、もういいの?」

「ええ。アランも手を合わせてくれてありがとう」

「当たり前だよ。エヴァのご両親なんだから。それで……ご両親に何て報告したの?」

「クロージック家を必ず建て直すって。私を助けてくれる人がたくさんいるから、安心してねって伝えたわ」

「……それだけ?」

「えっ?」

「えっ? て酷いな。俺はちゃんとエヴァのご両親にお伝えしたのに」


 私の反応に不満があったのか、アランは僅かに唇を尖らせた。


 だけどすぐに優しく微笑むと、私の肩をそっと抱き寄せた。

 風が吹き抜ける音に、彼の声が混じる。


「エヴァを必ず幸せにするって――」

 

 喉の奥がキュッとなって、すぐに言葉が出なかった。


 嬉しくて――


「ありがとう、お父様もお母様も、あなたの言葉を聞いてきっと安心しているわ」

「そうならいいんだけど。それでエヴァはちゃんと俺のこと伝えてくれた? 君のご両親に、一方的に娘を貰おうとしている変な男だって、思われたくないんだけど」


 彼の言葉に、思わず噴き出してしまった。

 私の反応を見て、またアランが唇を尖らせる。


 こういう子どもっぽい部分が、すごく好き。

 

「ふふっ、ごめんなさい。ちゃんと伝えているわ」


 そう言って私がアランに寄り添うと、彼の尖っていた唇が驚いたように薄く開いた。肩に置かれた彼の手にそっと触れると、薄く開いていた唇が笑みを形作る。


「アランは私を大切にしてくれる人だって。そしてお父様とお母様のような、仲睦まじい夫婦になりますって……」


 肩を抱くアランの手に力がこもり、互いの身体が密着した。

 風と木々のざわめきの中に、アランの呟きが響く。


「……そうだね」


 その呟きは、まるで自身の心に刻み込むような力強さがあった。


 私たちは、しばらく無言で墓標を見つめていた。


 お墓に供えた花束についた露が、太陽の光を反射して、キラキラと輝いている。

 まるで私たちのこれからを、祝福しているかのように。


「そろそろ屋敷に戻ろうか」

「ええ」


 頷き返して彼の瞳を見ると、私が映っていた。


 命をかけて私を産み落としてくれたお母様と同じ、銀色の長い髪。

 私の幸せを願い、力を尽くそうとしたお父様と同じ、紫色の瞳。


 両親が生きた証を受け継ぎ、エヴァと名付けられた私の姿が――


(私を産んでくれて……愛してくれて、ありがとう、お父様、お母様……)


 その時、フワッと暖かな風が耳元を揺らし、ハッと目を見開いた。アランの肩越しから、風が吹き抜けていった先へ目を凝らす。


「……エヴァ?」

「あっ……う、ううん、何でもないわ。さあ、戻りましょう。これからやることが一杯だわ」


 不思議そうに見返すアランに笑って返すと、彼の手を握り、両親の墓標に向き直った。


 何かの聞き間違いだったかもしれない。

 私の願望が、幻聴となって現れただけかもしれない。


 だけど、どっちでもいいわ。


『――幸せに』


 吹き抜ける風の音に乗って聞こえたのは、私の記憶にはない――だけどどこか無性に懐かしくて堪らない、女性の声だった。

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