第146話 償い

 新たな大精霊たちが私の中から生まれたことで、今まで戸惑い迷っていた精霊たちが、一瞬にして秩序を取り戻した。


 もうこの場にいる精霊たちに混乱はない。


 ようやくこれで全てが元通り。

 やっと……やっと私は、精霊女王としての本来もつべき力の全てを取り戻せた。


 安堵と同時に、今まで三百年という長き時間を、私を守るために頑張ってくれた上位精霊と、彼らの命令を聞き、私の願いを影ながら叶えてきてくれた下位精霊たちへの感謝の気持ちが湧き上がった。


 もちろん、大精霊たちを取り戻すことができたのも、精霊たちが頑張ってくれたお陰。


 あなたたちがルヴァン王の言葉に耳を傾け、変わろうと決意しなければ、私は未だにソルマンに運命を握られたままだった。


 だけどそれも、もうおしまい。


(みんな……今までありがとう。本当にありがとう……)


 心の中で強くお礼を伝えると、精霊たちから嬉しそうな反応が返ってくるのを感じた。だけど感謝されて嬉しいというよりも、私の魂の傷が癒え、本来の力を取り戻したことを喜んでくれているみたい。


 ずっと私のこと、心配してくれていたのね。


 精霊女王を純粋に慕う精霊たちの真っ直ぐな気持ちに、胸が詰まった。


 ……さあ、私のやるべきことをやらなくちゃ。


「ソルマンによってオドを奪われた人間の回復と、フォレスティ軍に所属する者たち全ての守護、そしてこの場にある全ての霊具を破壊して」

『畏まりました』


 柔らかな声色――光の大精霊が応えた。


 左肩の上で浮く白い球が目映い光を放った瞬間、オドを奪われて倒れていたフォレスティ兵たちが身じろぎをし始めた。自分たちに何があったのかと、ゆっくりと身体を起こしながら、周囲を見回している。


 よかったわ……皆、無事みたい。

 この様子なら、ルドルフもイグニス陛下も回復されているわよね?


 そう思ったとき、突然目の前の景色が切り替わった。


 一瞬ではあったけれど見えたのは、涙を流すエスメラルダ王妃殿下の頭を、イグニス陛下が微笑みながら撫でている光景と、少しふらつきながらも、周囲の制止を振り切って外に出ようとしているルドルフの姿だった。


 光の大精霊の優しい声が告げる。


『実際、ご覧になられた方がよろしいかと思いまして』

「ありがとう、光の大精霊」


 微笑みながら御礼を言うと同時に、今まで鳩尾の奥を重く重くしていたものが、一気に軽くなった。特に、気丈に振る舞いつつもずっと耐えていらっしゃったエスメラルダ様の心境を思うと、嬉しくてつられて涙が出そう。


 バルバーリの精霊魔法士たちからの攻撃も、ピタリと止んでいる。代わりに、場が混乱している様子が見て取れた。


 私が願ったとおり、霊具が破壊され、魔法攻撃が続けられなくなったのね。こうなったらもう退却するしかないはず。

 

 私の視線は、フォレスティ兵たちの中に紛れている黒髪の男性――別れた後、精霊魔術師たちとともに戦っていたアランへと吸い込まれた。

 

 互いの視線が交わった。


 言葉を交わさなくても分かる。

 喜びと安堵の気持ちが、その笑顔から――


(後は――)


 大精霊の力がなくなった今でも形を留めている、精霊の塊に視線を向けた。


 急に溢れ出したソルマンのオドによってルドルフの魔法が解けたらしく、今にも動き出そうと蠢いている。また戦場に、精霊たちの呻きが響き渡った。


 可哀想な精霊たち。

 今、助けてあげるわ。


 大精霊たちの指示を受け取った精霊たちが、一斉に動き集まりだした。


 集まっているのはこの空間の精霊だけじゃない。

 世界中のありとあらゆる場所から、大精霊の招集に応えた精霊たちが集い、見上げた空が、空間が、金色に染まる。


「あ、あれは何だ⁉」

「一体どうなっている⁉」


 叫び声が聞こえて下を見ると、フォレスティ王国の精霊魔術師たちが、何も無い空間を見上げたり、指さしている光景が見えた。


 ああ、そっか。

 精霊を視る目をもつ人たちには、視えているのね。


 膨大な数の精霊たちが押し寄せる、壮大にして美しすぎる光景が――


 金色の核の中にいるであろう男に向かって、私は叫んだ。


「視えているんでしょう、ソルマン! さあ、この数の精霊をどうにか出来るなら、やってみなさいっ‼」


 次の瞬間、集まった精霊たちが光の大波となり、精霊の塊を飲み込んだ。


 まるで強大な力によって岩が削り取られていくように、元気な精霊たちが、無理矢理一つにされた精霊たちと一つになり、散り散りに飛び立っていく。


 精霊たちが、無数の光の粒となって飛び立った後に残ったのは、


「うっ……ううっ……」


 頭を抱え、地面に座り込むリズリー殿下の姿だった。精霊の塊も、彼を守っていた金色の核も、跡形もなく消えている。


 だけど自身の周囲を見回すと、上空から見下ろしている私の存在に気づき、手を伸ばした。その表情は、激しい憎しみで歪んでいる。


「エルフィーランジュ……よくも余を誑かし、コケにしてくれたなっ‼ 許さぬ……決して許さぬっ‼」


 どうやら、ソルマンが肉体の支配権を奪ったみたい。

 激しい憎しみを向ける彼を見ると、ちゃんと私の言ったことが伝わっているんだって安心してしまう自分に苦笑してしまう。


 嫌われて嬉しいって、変なの。


「大精霊、霊具を破壊してもソルマンの魂はリズリー殿下に憑依したままだけど、どうなっているの?」

『『どうやら、互いの魂が半分同化しているようです』』

「それを引き剥がすことは可能?」

『『もちろんですが――』』


 珍しく大精霊たちがここで言葉を切ると、続きを闇の大精霊のみの声が続ける。


『かの魂たちは、貴女さまを酷く傷つけたと認識しています。ならばともに消滅させたほうが、合理的かと』

「それは駄目よ」


 闇の大精霊の提案に、首を横に振った。


「リズリー殿下とソルマンの魂は分離させて。リズリー殿下は、今を生きている人間。ならば彼を裁くのは精霊女王ではなく、国であり、この時代よ」


 そう。

 だから精霊女王が裁くのは、世界の理に反し、大精霊たちを犠牲にして現世に残ったソルマンのみ。


『『精霊女王の御心のままに』』


 私の言葉を受け入れた大精霊たちが輝き出した。


 右手を天に向かって掲げると、大精霊たちの輝きに共鳴するように、ソルマンの頭上に光が集まり輝く巨大な剣へと形を変える。


 実体はないから輪郭は揺らいでいるけれど、人の身体の三倍はある巨大な剣だもの。そんな物が頭上で浮いているなど、恐怖でしかないでしょうね。


 ソルマンも気付いたのだろう。


「あっ……ああっ……やめ、ろ……」


 緑色の瞳を見開き空を見上げながら、声を洩らす。


 だけど――


 もう、遅い。


 私が手を振り下ろした瞬間、


「あああああああああぁぁ――――っ‼」


 剣がソルマンの身体を貫き、人から発されたと思えないほどの絶叫を上げながら、地面に倒れた。


 ヒクヒクと痙攣するリズリー殿下の身体から、金色の球体が浮かび上がる。それは大精霊の力によって、無理矢理引っ張られるような形で、私の前にやってきた。


 ソルマンの魂だわ。

 上手く分離できたのね。


『ヤメロ、余ヲドウスルツモリダ!』

「あなたは、前世の記憶がなかったとはいえ、【世界】から与えられた力を、精霊たちを苦しめることに使ったわ。転生を許せば、また同じことが繰り返す可能性がある」

『転生ヲ許セバ……? マ、マサカ……ヤメロ、ヤメロヤメロヤメロッ‼』


 狂ったように同じ言葉を繰り返す彼に、私は躊躇することなく言い放った。

 私の声と、エルフィーランジュの声が、頭の中で混じり合って響く。


「裁きを受けなさい、ソルマン」


 長きに渡って精霊たちを道具に堕とし、身勝手な理由で、


 私の愛する人を、愛する家族を、愛する国を苦しめた罪を、


 今、

 ここで、


 魂の消滅をもって償って貰う。


 次の瞬間、ソルマンの魂が光ったかと思うと、もの凄い速さで逃げ出した。


 このまま転生し、私たちから逃れるつもりなのね。

 だけど、そうはさせない。


「闇の大精霊」


 声をかけると、右肩で浮いていた黒い球体がパカッと口を開け、ドス黒い靄を吐き出した。


 それはもの凄い速さでソルマンの魂に迫り、あっという間に後ろから巻きつくように魂をとらえた。


 捕まったソルマンの魂は何度も光って抵抗を見せたが、ゆっくりとこちらへと引き寄せられゆき、そして――


『嫌ダァァァァアアアア――――ッ‼』


 大きく口を開いた闇の大精霊の中へと引きずり込まれると、断末魔を上げながら消えていった。

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