第145話 ソルマンの弱点

「ソルマン・ベルフルト・ド・バルバーリ、私はあなたが、だいっっっっっっっっっ嫌いよ‼」


 叩きつけるように放った言葉が、静かな空間に響き渡った。だけどすぐさま、何事もなかったかのように、静寂が戻る。


 耳元から唇を離してソルマンの正面に立つと、彼は薄く唇を開いたまま、まるで金縛りにあったかのように固まっていた。


 身動き一つしない。ただ瞬きだけが、激しく繰り返されていた。


 理解不能。

 その顔は、まさしくそう物語っている。


 握ったままだったソルマンの手に力を込めると、宙をさまよっていた緑色の瞳が、ハッと私をとらえた。瞬きの数をさらに多くしながら、今まで聞いたことのない困惑声を発する。


「き、聞き間違いか? 余のことが大嫌いだと言ったように聞こえたが……」

「聞き間違いじゃないわ。何度でも言ってあげる。私は、ソルマン――あなたが大嫌いよ」


 まるで心を許した相手に好意を伝えるかのような気安さで答えると、今度こそソルマンは言葉を失った。

 

 握った手の内から、あの男の動揺が震えとなって伝わってくる。

 今まで、自分の力によって全てを思い通りにしてきた暴君の心が、私の言葉一つで酷くぐらついている。


 なんて滑稽なのかしら。

 当時ティオナを人質に取られていたからとはいえ、こんな男を、ずっと私は恐れていたなんて。


 今まで溜まりに溜まった憎しみが、先ほどの大嫌い宣言を引き金に溢れ出した。血の気が引いているソルマンとは正反対に、燃え滾る激情で私の体温が上昇していく。


 三百年間、エルフィーランジュが抱き、封じ込めていた憎しみを、ここぞとばかりに畳みかけた。


「私は、フォレスティ王国が大好きだったわ。あの国で娘の成長を見守り、年老いて消滅するまでルゥ――ルヴァンとともに生きたかった。それだけが私の望みだった。だけど、あなたはそれを身勝手な理由で奪った。私の宝物を、喜びを、この世界で生きる理由を奪った。憎かったわ、ソルマン・ベルフルト・ド・バルバーリ。あなたが憎くて憎くて、堪らなかったっ‼」


 気づけば、握っていたソルマンの手の甲に爪を立てていた。痛みのせいで彼が一瞬だけ眉をひそめたけれど、握った手を逃すまいと力を込める。


「よ、余が……憎い? 一体、な、何を言っている? 初めて出会った時、お前は余に笑いかけて……」

「初めてあなたと出会った時、私はあなたがもつ膨大なオドが恐ろしくて堪らなかったの。だけどフォレスティ王妃として、それを表情に出すわけにはいかなかった。だから、あなたへの恐怖を隠すために笑っただけ」

「そんな……そんなわけが……」

「言ったはずよ。私は、あなたの救いなど求めていないと」


 ソルマンの意識が、再び思考の中へと沈む。


 きっと頭の中で、必死になって考えているのだろう。今までのように私の言葉を、自分の都合の良い妄想へと変換しているかもしれない。


 そんな暇は与えないわ。


「あなたは私を愛していると言いながら、私のためだと言いながら、全て自分のためだった。あんなもの、決して愛なんかじゃない。ただの支配よ。だけどルヴァンは違う。彼は常に私を尊重してくれていた。時には私を咎め、時には正しい道を説き、人として未熟だった私を導いてくれたわ。人生を共にする伴侶として……」


 ルヴァン王と過ごした日々を思い出すと、心が凪いだ。憎しみで歪んでいた口元が、自然と笑みを形作る。


 だけどソルマンはルヴァン王の名を聞くと、今までの戸惑いなどなかったかのように声を張り上げた。


「だが、お前を殺したのはあの男だ! お前を無理矢理拉致し、殺したのだろう? 忘れたのか⁉」


 そんな風に思っていたの?


 まあこういう性格の人だから今更驚きはしないけれど、三百年間、自分が作り上げた妄想を信じていたと思うと、呆れを通り越して笑ってしまう。


 尚更、真実を教えてあげなくちゃ。


「無理矢理拉致? 私はね、自らの意思で逃げ出したの。あのとき、私の命はもう長くなかった。だけどこのまま死ねば、あなたの【愛】とやらに殺されたことになる。それだけは嫌だった。どうせ死ぬなら逃げだし、ルヴァンの元に帰るために足掻こうと思ったの。そして――奇跡が起こった」

「あの男と、会えた……のか……」

「そう。そして彼にお願いした。殺して、と。憎い男の愛に殺されたくなかったから。最期は、愛する人の手でおくって欲しかったから」

「そこまで……そこまでして、余を……拒ん、で……」

「ええ。あなたの存在が私を心身衰弱に陥らせたのに、それを正直に伝えられず、嘘の理由を告げるバルバーリのお医者さまが、気の毒でならなかったわ」


 クスッと笑うと、ソルマンの顔が蒼白になった。


 ああ、あの表情。

 やっと……やっと、理解してくれたみたい。


 すっかり力が抜けてしまったソルマンの手をしっかり握り直すと、私は満面の笑みを浮かべながら、ありったけの思いを込めて言い放った。


「私があなたを愛することは、決して無い。今までも、そしてこれからも――」


 緑色の瞳が大きく見開かれた瞬間、私はソルマンの左手首に着けていた金色の霊具を鎖ごと引きちぎり、この場から逃げ出した。


 三百年前からあの男は、周囲に心を開くことは決してせず、常に警戒をしていた。


 ただ一人、エルフィーランジュを除いて――


 エルフィーランジュに愛されていると錯覚していたソルマンは、彼女が自分に危害を与えるなど、裏切るなど、想像だにしていなかった。


 だからそれを逆手にとった。

 警戒心を抱かせることなく近づけるのは私だけ。


 そういう意味で私は、あの男にとって唯一の弱点。


 好意を持っていると匂わせながらあの男の懐に入り、ありったけの憎しみをぶつけた。そしてソルマンの注意を引きながら、ずっとタイミングを狙っていた。


 金色の霊具を奪うタイミングを。

 ずっと手を握っていたのは、そのため。

 

 もちろん今までの憎しみを、思いっきりぶつけてやるって目的もあったけれど!


 作戦通り、脳内のお花畑が焼き尽くされて放心状態になったソルマンから、霊具を奪うことに成功した。


 だけど霊具を奪った瞬間、放心していたソルマンの瞳に自我が戻るのを見た。


 あれだけ精神的ダメージを与えたというのに、正気に戻るの早すぎません⁉

 もし私がアランから同じようなことを言われたら、一生立ち直れないんですけど‼


 しかし、彼の口から出てきた言葉は意外なものだった。


「エヴァっ‼ 霊具を今すぐ僕に返すんだっ‼」


 リズリー殿下だわ。


 殿下が表に出てきたってことは、身体の所有権を明け渡すほど、ソルマンにダメージが入っているってことね!


 滅茶苦茶効いてるわ、エヴァ!


 私を捕まえようと追ってくる殿下の口から、


「ったく! エルフィーランジュがあなたを拒絶していることなど、誰の目から見ても明らかだったのに、それを本人の口から聞いてショックを受けるなんて……情けない‼」


とソルマンを叱咤する声が聞こえた。

 だけど、


「そう仰いますけど、あなたの気を引くために、私がアラン殿下と婚約したと大見得切っていたのはどなたでしたか?」


と言ってやると、リズリー殿下の顔がみるみる赤くなった。


 血は争えないわね。


 心の中で苦笑いをしながら、外に出るために穴の中に飛び込んだ。リズリー殿下は、それ以上追いかけてこなかった。ここから出られないのかもしれない。


 代わりに、ルドルフの魔法で固まっていたはずの穴の表面がドロドロと動き出した。どうやら穴を塞いで、私を閉じ込めようとしているみたい。


(もっと……もっと早くっ‼ 穴が塞がってしまう前に、外に‼)


 そう願った瞬間、後ろからもの凄い力で押し出された。強い衝撃に身を固くし、思わず目を瞑ってしまう。


 閉じた瞼の向こうに強い光を感じて目を開けると、視界いっぱいに青空が広がっていた。

 無事、外に出られたみたい。


 なら私がすべきことは、ただ一つ。


(ソルマンの霊具を、壊して)


 そう願いながら握りしめると、手の中の霊具がひしゃげ、真っ二つに折れてしまった。


 次の瞬間、胸の奥に温かいものが宿った。


 温もりは左右の手のひらに集まり、白い球と黒い球へと形を変えると、私の両肩に移動した。球体の周りに左右対称に金色の半円と、それを囲むように三枚の半透明な大きな羽が現れた途端、今まで不安定だった飛翔が安定した。


 もう、落ちるかもしれないって不安に思うことはない。


 安堵の息を吐くと、私を浮かしてくれている白と黒の球体を交互に見ながら謝罪した。


「本当にごめんなさい。ずっと助けてあげられなくて……長い間、ソルマンに力を奪われ続けて苦しかったでしょう?」

『『いいえ。我々こそ、貴女さまを守る役目を果たせず、申し訳ございませんでした、エルフィーランジュ様』』


 優しげな声色と冷然な声色が、ともに重なり同じ言葉を発する。


 精霊女王の守護者、精霊たちの司令塔である存在、光と闇の大精霊の声が――


 それは精霊女王としての力が、完全に復活したことを意味していた。

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