第143話 私を信じて
私たちは、別々の馬に乗って戦場に向かって駆け出した。
フォレスティの精霊魔術師たちが、必死で精霊の塊を無に還そうとしているのが見える。
今は相手が動けないけれど、それも時間の問題かもしれない。
だって、精霊の塊が、ソルマンから流れ出るオドで新たに満たされつつあったから。
精霊たちの姿やオドを視る目を取り戻した今、ソルマンが黙ってルドルフの魔法に拘束されていたわけじゃないことに気付く。
そして私の耳の奥を、新たな爆発音が震わせる。
(バルバーリ兵による攻撃……)
今は、私から新たに生まれ出た精霊たちが、敵兵からの魔法攻撃を防いでいるけれど、私が新たに願いを伝えれば、防御に力を貸してくれている精霊たちが、そちらに移ってしまう可能性がある。
だから魂の傷が癒えたと言っても、精霊へのお願いは慎重にならなければいけない。
むしろ、色んな願いが伝わるからこそ、気をつけないと。
精霊の塊に少し近付いた地点で、私たちは立ち止まった。
ソルマンは、山のような形の精霊の塊の一番高い場所から、まるで神の如く私たちを見下ろしているのだろう。
「アラン、何とかソルマンのところに行けないかしら?」
「難しいな。そもそもあの高さだ。まずは精霊の塊を消滅させて、ソルマンを地上に引き摺り下ろさないと。まあ、あの男みたいに空が飛べたらいいんだろうけど」
空かぁ……
だけど、今ある精霊魔法に空を飛ぶ効果はないし、そもそもソルマンが使ってた魔法は、大精霊の力によるものなわけで――
そう思った瞬間、上位精霊たちからの反応があった。
伝わってくる彼らの意思に、口の中が緊張でカラカラになった。心臓が恐怖で早鐘を打ち、手綱を握る手が冷たくなる。
だけど――
決意を胸に、上位精霊たちの提案に感謝を伝えた。そして、隣にいるアランに質問を重ねる。
「アラン、どういう形でもいいからソルマンの所まで行く道を作るなら、どうすればいい?」
「それなら難しくない。精霊の塊をソルマンがいる核の部分ごと、俺の魔法で貫けばいい。少なくとも、核の前までは行けるはず。今はルドルフの魔法が効いているから、すぐに道も塞がらないだろうし」
上手くいけばあの男ごと吹き飛ばせるかも、と小さく笑ったけれど、再び困惑が浮かび上がる。
「道だけならすぐに作れる。でも、どうやってあそこまで行くかが問題だ。それに近付こうにも、地面一杯に精霊の塊が広がっているし」
「大丈夫よ」
「大丈夫? 何を見てそんなことを……エヴァ、何を、考えているんだ?」
馬に乗っていなければ、きっと私の両肩を掴んでいたと思う。それが無理な分、私を見つめるアランの視線は鋭い。
心配する気持ちが、痛いほど伝わってくる。
だから、わざと明るい声を出した。
「道さえ作ってくれれば、上位精霊たちが、あそこまで連れて行ってくれるみたい」
「え? ちょ、ちょっと待って! あそこまでって……まさか本当に空でも飛ぶつもりか⁉」
「そうよ」
上位精霊たちの反応――それは、私の身体を浮かせられる、という提案だったのだ。
私も提案された時には、凄く驚いたけれど……
ただ、一つ欠点がある。
「とはいえ、空を飛ぶときのコントロールが難しいらしいの。だから、上位精霊が空を飛ばせるのは、一人だけ」
「それってつまり……エヴァ一人で、ソルマンのところに行くってこと、だよな? 駄目だ! そ、そんな危険なこと!」
「でも、もうこの方法しかないわ。私たちに残された時間は、あまり多くはないの!」
「なら……エヴァの代わりに俺が行く」
「それは駄目。あなたが行けばきっと、ギアスで精霊たちを奪われて、飛ぶ力を失ってしまうかもしれない」
「でもそれはエヴァだって同じはずだっ‼」
「私は違う。少なくともあの男は、私を待っているのだから。恐らくこの方法が……最善なんだと思う」
根拠はと問われれば困るけれど、少なくとも、あの男の元に向かう私に、害を成すことはしないという確信はある。
アランは凄く難しい顔をしていたけれど、それ以上反論はしなかった。
唇が開く。
整った容貌を苦しそうに歪めながら、
「分かった」
と、だけ言った。
私たちはしばらく馬を走らせると、精霊の塊に少し近付いたあたりでアランが立ち止まった。彼が馬から降りたため、私も馬から降りて彼の横につく。
だけど、アランは私と目を合わせない。
まるで私を視界に入れないように、精霊の塊だけを見つめながら、硬い口調で言う。
「これ以上近付いたら危険だ。ここからソルマンまでの道を作る。だからエヴァは、じゅんび、を……」
突然、アランの声が震え、私に伝えるはずだった言葉が、彼の口の中で消えてしまった。何かに耐えるように唇を強く結び、眉根を寄せている。
「アラン、どうしたの? どこか苦し――」
「……エヴァの言うとおり、これが最善なんだろう。だけど……やっぱり、駄目だ。全然、納得なんて出来ない。出来るわけないっ‼」
喉の奥から絞り出すような声が、私の鼓膜を震わせた。彼の肩に触れようと手を伸ばすと、その手を掴まれ、強い力で抱きしめられた。
「嫌だ、行かせたくない。エヴァを危険な目に遭わせたくはない! この手を離せば、また君を失うかもしれない」
「アラン……」
「分かってる‼ この手を離さなければならないことはっ‼ 分かってる……だけど、怖い。エヴァをまた失う可能性が少しでもある限り、この手を離すのが怖くて堪らないんだ……」
彼の気持ちが、苦しいほど伝わってくる。
理性では私が行くしかないと分かっていながら、感情がそれを拒んでいるみたい。
「……エヴァを守る盾にすらなれない自分が悔しい。大事な時に無力な自分が……」
「そんなことないわっ‼」
私は大きく首を横に振った。
気付けば、彼の腕を力一杯握っていた。
泣きそうな顔でこちらを見るアランを、真っ直ぐ見据える。
「アランが今までずっと守ってくれたから、私は今ここにいるの! ここにいられるのっ‼ 自分の過去と前世、両方に決着を付ける勇気を貰ったのっ‼」
あなたの言葉が、私を救った。
あなたがいたから、私は私でいられた。
泣きそうな彼の顔を見ながら、笑った。
多分上手く笑えていなかったと思う。
でも、笑う。
「それに、エルフィーランジュやルヴァン王の想い、エヴァとして生きてきた人生、大切な人々から貰った温もりも。全てが私の心の支えになってる。三百年前になかったものが、今は――ある」
そう。
たくさん、数えきれないぐらいたくさん。
言葉にならない熱い感情が沸き上がり、悲しいわけでもないのに涙が滲む。
「私を……信じて、アラン。手が離れても、心は離さないで――」
涙が零れないように強く目を瞑ると、強く抱きしめ返した。
互いの体温を伝え合う一瞬は、まるで時が止まっているように長く思えた。
不意に身体から温もりが離れていく。
瞳を開いた先にあったのは、強い意志を感じさせる青い瞳。
彼の手が、私の頬を優しく撫でた。
「……信じるよ。ううん、信じている。だから必ず――俺の元に戻ってきて」
「ありがとう。ええ、必ず」
彼の手に自分の手を重ねて頷くと、アランは満足そうに微笑み、手を離した。
私を守り、勇気づけてくれていた手は離れてしまった。
だけどその温もりは、想いは、ここにある。
私は胸の前で両手を組むと、上位精霊たちに願いを伝えた。それと同時に、アランの叫び声が響き渡る。
「世界の根源、悠久に息づく精霊よ。我が命脈を受け取り、強き想いを更なる高みへ昇華せよ<
辺り一面が輝いたかと思うと、精霊の塊に一筋の光りが走った。
次の瞬間、爆音が響き、核を貫通する形で精霊の塊を貫いた。砕け散った精霊たちが、美しい光を放ちながら消えていく。
アランはすぐさま遠眼鏡を覗き、小さく舌打ちをした。
「残念ながら、あの男は吹き飛ばせなかったけど、ちゃんと道は出来たみたいだ」
そう報告する彼の表情は、苦しそうだった。
きっとあの呪文――オドを捧げたんだわ。それも身体に不調が出るほど、無理をして。
だけど、
「俺のことはいい。行くんだ、エヴァ」
そう言われ、私は駆け寄る代わりに大きく頷き返した。
私の願いに応えた精霊たちの力によって、身体が浮き上がる。
確かに凄く不安定でフラフラするけど……うん、大丈夫そう。
意識を目的地に向けると、何かに引っ張られるかのように、身体がそちらに向かう。とても速いのに、身体が少しの衝撃しか感じないのはきっと、精霊たちが助けてくれているから。
あらゆるものが、みるみるうちに小さくなっていく。代わりに目の前に広がるのは、精霊の塊に開けられた、大きな穴。
<
手の内に残るアランの温もりを感じながら、私は穴の中に飛び込んだ。
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