第142話 上位精霊の限界

 瞳を開いた先にあったのは、無数の金色の粒が舞う、幻想的な光景だった。

 あまりの美しさに、思わず声が洩れる。


「なんて、綺麗……」

「……エヴァちゃん? い、一体どうしたの?」


 緊迫したこの場にそぐわない私の声色と発言に、隣に居たマリアが声をあげた。


 ああ、そっか。

 私がエルフィーランジュと対峙した時間は、現実では一瞬だったのね。


 それを思うと、マリアが驚くのは無理ないわ。

 だってルドルフが倒れて悲しみにくれていた私が、突然人が変わったように、目の前の惨状を見て綺麗だなんて言っているんだもの。


 だけど、あまりにも美しすぎる光景に、声を出さすにはいられなかった。


 少し首を後ろにひねり、肩越しを見ると、膨大な光の粒が空に舞い上がっていくのが視えた。膨大な精霊たちが、まるで光の柱のように舞い上がり、四方八方に散らばっていく。


 この世界を育むために。


 私が産みだした精霊たちは、

 そしてこの世界は、


 とても、とても美しい――


「マリア、エヴァがどうしたんだ?」


 私たちの異変を感じ取ったのか、ノーチェ殿下と言い争っていたアランが話を切り上げ、こちらにやって来た。


 だけどマリアは、アランにどう説明していいのか困っているようで、繋ぎ言葉を口にしながら私を見ている。

 

「マリア、心配かけてごめんなさい。でも私は大丈夫よ」


 安心させるように微笑みかけると、アランが差し出してくれた手を取り、ゆっくりと立ち上がった。

 そして真っ直ぐ、彼の瞳を見据える。 


 私と目が合ったアランが、息を飲んだ。瞳を命一杯見開くと、引き寄せるように両肩を掴み、近距離で私の顔を覗き込んだ。


 驚きで揺れる青い瞳が、視界いっぱいに広がる。


「エヴァ、瞳が……ま、まさか……」

「ええ。取り戻したの、精霊を視る目を、精霊たちに願いを伝える声を」


 彼の肩越しには、大きめの金色の光が四つ浮いていた。


 これがアランと契約した上位精霊たちなのね。


 精霊たちから、アランに対する絶対的信頼が伝わってくる。いえ、フォレスティの人々に力を貸してくれている精霊たち皆から、同じような感情が伝わってくるわ。


 自分たちを大切にしてきてくれたフォレスティの民に、力を貸したいという気持ちが。


 アランの眉間に皺が寄り、今にも泣き出しそうな表情へと変わったかと思うと、強く抱きしめられていた。耳元を震わせる声が、息苦しいと感じるほどの腕の力が、強く強く、喜びを伝えてくる。


「良かった……ほんとうに、本当に良かった……」

「ありがとう、アラン。ずっとずっと、心配をかけてごめんなさい」


 彼の背中に腕を回して、想いに応える。


 騒ぎを聞きつけたノーチェ殿下たちが、こちらにやって来るのが見えた。

 マリアが事の経緯を話すと、殿下たちの表情が、驚きから喜びへと変わっていく。


 皆が喜んでくれる中、魔法による爆発音が鳴り響いた。浮ついていた気持ちが、一瞬にして冷静さを取り戻す。


 そう。

 まだ終わっていない。


 私は、アランから身体を離した。

 丁度ルドルフが倒れた辺りまで歩み出ると、バルバーリの精霊魔法士たちによる攻撃を受ける、フォレスティ兵たちの姿が見えた。 


 両手を胸の前で強く握り、瞳を閉じる。

 

 ――感じる。

 この気配は、上位精霊たち。


 私の願いを聞き洩らさないよう、集中してくれているのね。

 三百年間、大精霊の代わりを務めようと、人間を学び続けてきた上位精霊たちの成果なんだわ。


 感謝の念を抱きながら、強く願う。


(どうかフォレスティ兵の皆さんを、バルバーリ兵の攻撃から守って。<精霊の加護ディバインプロテクション>で癒しきれない傷を、どうか癒して――)


 精霊たちが、大きく動く気配がした。

 気配につられて視線を戦場に向けると、フォレスティ兵に降り注ごうとしていた炎の雨が、何かに遮られたかのように、一瞬にして消え去った。

 同時に、傷つき倒れていた兵士たちの身体が輝き、ゆっくりと身を起こす。


 一見、上手く私の願いが伝わっているように見える。

 だけど、


(精霊たちが混乱してる……)


 以前アランが言ったように、上位精霊たちが各々、下位精霊たちに命令を出しているため、混乱している様子が見て取れた。


 混乱しているとは言っても、この場にいる精霊の数が多いことと、願ったことが単純だったため、今のところ効果に影響はなさそうだけれど、私の願いが増えれば増えるほど、願いが複雑化すればするほど、その綻びは大きくなっていくだろう。


 私が大精霊の代わりをできればいいのだけれど、人間である以上、精霊たちの動きを全て監視し、命令を出すことはできない。


 さらに私の視線は、オドを奪われて倒れたままの人々に向けられる。

 精霊の塊が移動したため、真っ先に襲われた彼らの身体は、地面に放り出された形になっている。


 精霊たちに私の願いを正しく伝えるには、

 そして、闇の大精霊によって奪われたオドを回復させるには――


(大精霊を……取り返さなければ)


 バルバーリ王国の精霊魔法士たちから、悲鳴が上がった。


 私の願いに応え、彼らが持つ霊具が破壊されたからだ。

 願いに対する結果をとらえ間違えた上位精霊がいたのか、一部の精霊魔法士たちの身体が、強い力で突き飛ばされるのが見えた。


 しかし、この空間を満たしていた金色の光が、忽然と消え去ってしまう。


(ソルマンのギアス――)


 ジリッと胸の奥が熱を帯びる。


 私は、後ろにいる皆に振り返った。


「私、ソルマンに会いに行ってくるわ。大精霊を取り戻すために」


 あの男には、言いたいことが山ほどある。

 私を見つめる緑色の瞳を思い出すと、胸の内を焼き焦がす激しい憎悪がこみ上げる。


 この怒りと憎しみこそ、現状を打破するための鍵。


「だ、駄目よ、エヴァちゃん‼ 危険だわっ‼」


 マリアが反対の声をあげる。

 だけど、反対するかと思われたアランは、意外にも落ち着いていた。決意を固めた私を、真剣な表情でしばらく見つめた後、大きく頷いた。


「分かった。だけど、俺も行く」

「え?」

「俺にはエヴァほどの力はないし、足手まといになるのは分かってる。俺のことは盾にでもなんにでもすればいい。邪魔になったら捨て置いてくれても構わない」


 そう告げるアランの表情に、自分の力への歯がゆさが見えた。


 愛する人を、危険に晒したくない。

 だけど――


「足手まといなんかじゃないわ。確かに、私の願いが上位精霊たちに届くようになったけれど、やっぱり彼らにも限界があるみたい。だから、アランが手伝ってくれると、とても助かるわ」


 笑顔でそう言うと、アランの表情に光が差した。

 

 私たちは互いの手を握り会うと、こちらの様子を黙って見ていらっしゃったノーチェ殿下に、視線を向けた。

 殿下も、私たちが何を言いたいのか分かったのだろう。


 はぁっと諦めたように大きく息をつくと、降参だと言わんばかりに肩を竦めた。


「……くれぐれも気をつけて、アラン、エヴァ」

「ありがとう、兄さん」

「殿下、ありがとうございます」


 深々と私たちは頭を下げた。

 顔を上げた時、こちらを心配そうに見つめるマリアが視界に映った。


 アランから手を離し、マリアの方に近付くと、彼女の身体を力一杯に抱きしめた。驚いたのか、マリアの身体が一瞬震えたけれど、それ以上の力で抱きしめ返される。

 上ずった声が、耳の奥を震わせる。


「エヴァちゃん、気をつけて……無事戻ってきてくれないと、お姉さん許さないんだから……」

「大丈夫よ、マリア。戻ってきたら、いっぱい褒めてね?」

「もちろんよ! エヴァちゃんが恥ずかしいから止めてって言うくらい、褒めてあげるわね?」


 時折鼻を啜りながら、マリアが笑う。


 もう一度強く抱きしめると、私はアランの元へ戻った。

 彼の手を握りながら、ルドルフが命を懸けて足止めしてくれた精霊の塊と、塊内にある金色の核の中で、私たちの様子を嘲笑うように見下ろしているであろうソルマンを見る。


(今度こそ――全てを終わらせる)


 新たに宿った憎しみという名の熱に心を焼かれながら、私はアランの手を強く握り直した。

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