第128話 精霊魔法の未来

 穏やかならぬ単語に、心の中が不安と罪悪感でいっぱいになった。


 膝の上に置いた手でドレスの布をギュッと握る。心臓が激しく脈打ち、口の中が乾いていく。

 

 まずは、イグニス陛下の現状の報告が主治医からあった。


 陛下は未だに意識を取り戻されていない。しかしどこにも外傷はなく、肉体的には健康そのものであり、原因が分からないとのことだった。


 それを聞いていらっしゃった王妃殿下の表情が一瞬曇ったのを、私は見逃さなかった。


 心が罪悪感という手で握りつぶされそう。

 陛下が目を覚まされない理由を、嫌というほど理解していたから――


 そんな中、


「フリージア、君の見立てはどうだ?」


 ノーチェ殿下の視線が、フリージアさんに向けられた。医学の心得がある者ではなく、精霊魔術師であるフリージアさんに突然意見を求めたため、皆が意外そうに彼女を見る。


 フリージアさんは、表情一つ変えずに立ち上がった。


「恐れながら殿下。イグニス陛下のオドが、通常の人間と比べて極端に少ないことが原因かと思われます――そうですよね、エヴァさま」


 同意を求められ、私は一瞬言葉を失った。


 何故、陛下のオドが少ないと分かったの?

 人間には、オドの量は視えないはずなのに。


「た、確かにそうです……闇の大精霊には、精霊のマナや人間のオドを奪う力があります。イグニス陛下が倒れられたのは、ソルマン王が闇の大精霊の力を使い、陛下のオドを奪ったからでしょう」


 今の私には、精霊やオドを視る力はない。

 だけどソルマン王がイグニス陛下に使った力は、間違いなく闇の大精霊のものだと断言できる。


 恐らく、バルバーリ国王が倒れた理由も同じだわ。


「オドは、人間の生命力と同じようなものです。急激に失われると、その影響は肉体に現れます」

「それが、陛下が目覚めない原因というわけだね?」

「仰るとおりです」


 ノーチェ殿下の言葉に、私は大きく頷いた。切羽詰まったような声で質問してきたのは、アラン。


「エヴァ、どうすればイグニス兄さんは目覚める?」


 それを聞き、心が苦しくなる。


 陛下が倒れられてからもう三日経っている。未だに目覚められないということは、かなりのオドを奪われたのだろう。


 オドは回復するけれど、失いすぎると回復スピードも遅くなる。意識を取り戻すほどのオドを回復させなければ、肉体が衰弱して死に至る。


「肉体が衰弱する前に、陛下のオドが回復すれば……もしくは――」


 脳裏を過ったのは、金色の霊具。


「ソルマン王から、光の大精霊を取り返すことができれば、失われたオドを回復することができるわ。光の大精霊は、闇の大精霊と対をなす存在だから」

「取り返すって……でも大精霊たちは、エヴァが力を与えても霊具から逃げ出せないくらい、弱っているんだろ?」

「だけど大精霊は他の精霊と違い、消滅しても精霊女王の中から何度でも蘇るの。大精霊を取り戻すには、ソルマン王の霊具を壊すしかないわ」


 だけど逆を言えば、


「……それまでは、陛下次第かと」


 私はアランから目を逸らすと、俯いた。

 目の前にいるエスメラルダ王妃殿下のお顔が、見れなかったから。


 初めて会ったときの、国王夫妻の仲睦まじい姿が思い出された。

 お互いを思い合った関係だったもの。今の陛下の状況に一番苦しんでいるのは、エスメラルダ様なはず。お子さまだって、まだ小さいのに。


「申し訳ございません……三百年前、ソルマン王に大精霊を奪われたせいで……」


 全ては、私のせい――


「エヴァさん、顔を上げてください」


 エスメラルダ殿下の優しい声色に、ハッと顔を上げた。

 こちらを見つめていらっしゃった王妃殿下と目が合う。声色は柔らかかったけれど、浮かべた表情は真剣そのものだった。


 国の主が倒れた今でも動ずることなく、威厳を湛えたフォレスティ王国王妃の姿が、目の前にあった。


「責める相手を見誤るほど、私たちは愚かではありません。それに陛下は危惧されておりました。エヴァさんの一件がなくとも、バルバーリ王国にギアスと霊具がある限り、いずれこのような争いは起こっただろうと」


 エスメラルダ様の発言に、ノーチェ殿下も深く頷き同意された。


「その通り。これはもう、あなただけの戦いではありません。バルバーリ王国は、無断で我が領土に侵入しただけでなく、フォレスティ王国の主を傷つけた。この国の誇りを二度も傷つけられ、これ以上黙っていられるわけがない。それにこの戦いには、精霊魔法の未来もかかっているのです」

「精霊魔法の未来……ですか?」

「そう。バルバーリ式の精霊魔法は、術者の心のあり方に関係なく、一定の効果が得られる。その危険性について、考えられたことはありますか?」


 それを聞き、あっと声が洩れてしまった。


 脳裏に浮かんだのは三百年前、精霊魔法を使ってエルフィーランジュたちを守っていた護衛を殺害したソルマン王たちの姿。


「バルバーリ式の精霊魔法は、故意に人を傷つけることができる……」

「そのとおり。精霊は、心が清廉な人間にしか力を貸しません。だから精霊魔法は、戦争には向かないと言われていました。しかしバルバーリ式の精霊魔法が世界中に広がれば……人を殺す手段と変わり、偉大なる精霊たちは戦いの道具に堕とされる」


 ゾッとした。

 バルバーリ国内で聞こえていた精霊の悲鳴が、世界中で響き渡ることになるなんて、絶対に……嫌。


 ノーチェ殿下の声に熱が帯びる。


「だから、この戦いは絶対に負けられないのです。今まで霊具やギアスの技術は、バルバーリが独占してきました。しかしいくつかの国が、バルバーリ王国との接触を図ろうとしている。もしフォレスティ王国が負ければ、バルバーリ式の精霊魔法の価値を世界中に知らしめることとなる。その結果、バルバーリ式の精霊魔法が広がれば人々の心は歪み、世界の秩序は混沌に沈むでしょう」

「それに、国内の精霊が消費されれば、国同士が精霊を奪い合い、さらなる争いにも繋がるじゃろう。精霊を奪われた土地は衰退し、自然の恵みが失われ、新たな領土争いを招く。そうなれば、今は精霊を敬っている国でも、バルバーリ式の精霊魔法を取り入れざるを得なくなる。自国を、守るためにな……」


 ルドルフの言葉が、ノーチェ殿下の発言に付け加えられた。


 いつも優しく細められているルドルフの瞳は、静かな怒りを湛えているように見えた。

 

「もう……私だけの問題ではないのですね」

「そうです。例えあなたがこの国のために自死を選んだとしても、バルバーリ王国はフォレスティ王国を滅ぼすまで、戦争を止める気はないでしょう。もちろん、我々も」

「兄さんっ‼」

「いいの、アランっ!」


 自死、という言葉にアランが怒りを見せた。だけど私は彼の腕を掴むと、首を横に振った。


 考えなかったわけじゃない。


 私がもし死ねば、ソルマン王が戦争を続ける理由はなくなる。戦争を避けられるんじゃ無いかって。


 だけど、あのソルマン王だ。

 私が自死を選んだとしても、全ての責任をフォレスティ王国に――アランに向けるはず。


 今度は、それが戦争の理由になる。


 それにフォレスティ王国は、バルバーリ王国によって、再び君主を失う危機に瀕している。

 三百年前の出来事を知る者たちにとって、決して許せることじゃない。


 それが家族であれば、なおさら――


 もう止めることはできないんだわ。 


「エヴァ……ごめん。兄さんが……」


 アランが心配そうに私を見ている。

 自死、と言われたのが、よっぽどショックだったみたい。だから安心させるように笑って見せた。


「大丈夫よ、アラン。ノーチェ殿下は、私にハッキリ仰って下さっただけよ。この国のために、死ぬ必要はないって」

「でも言い方ってものがあるよ……まったく……」


 ノーチェ殿下の言いたいことは理解したけれど、でも納得がいかないという表情をするアラン。私のことを気遣っての発言だと思うと、緊張で固まっていた心が少し解れた気がした。


 もう始まった戦いを止めることはできない。

 私ができることは、前に進み、一刻も早く馬鹿げた理由で始まったこの戦争を終わらせるだけ。


 会議室にいる人たちの真剣な眼差しを受けながら、私はお腹の底にに力を込めた。

 

「もうすでに報告はお聞きだと思いますが、今の私は魂が傷つき、本来精霊女王がもつ力を発揮できない状態です。ですが……私がもつあらゆる力と手段を使って、フォレスティ王国に協力することをお約束いたします」


(もう、バルバーリ王国の好きにはさせない)


 これ以上、私の大切なものを奪わせたりはしない――


 ノーチェ殿下を含め、全ての人たちが私に向かって深く頭を下げるのを見つめながら、そう強く決意した。

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