第114話 笑顔

 私たちの娘――ティオナ・ブライトリ・テ・フォレスティが一歳を迎えたころ、王国建国の祝賀祭が執り行われた。


 周辺諸国の国賓を迎える中、


「本日はお招きいただき感謝する」


 そう言って私たち夫婦の前に現れたのは、隣国バルバーリ王国国王――ソルマン・ベルフルト・ド・バルバーリだった。


 右手を胸の前に置き、ルヴァンに軽く頭を下げると、少し波打った襟足ほど伸びた金色の髪をわずかに揺れた。 彫の深い容貌と、どこか鋭さを感じさせる大きめの緑色の瞳が、玉座に座る私たちの方を向く。


「こちらこそ、遥々お越しいただき感謝している。最後にお会いしたのは和平を結んだとき以来か」

「左様。今後とも隣国同士、良い関係を築いていければと願っている」

「それはこちらも同じだ。過去の遺恨は水に流し、互いの発展のために協力できればと思う」


 そう返すルヴァンの声は、僅かに震えているように思えた。


 バルバーリ王国のことは知っている。


 フォレスティ王国はもともと、バルバーリ王国から分かれて作られた国。

 きっかけは、ソルマン王が作り出した【ギアス】と【霊具】による精霊魔法を認められなかったからだと聞いている。


 そして私がこの地に降臨した理由――フォレスティの地の荒廃を引き起こしたのも、バルバーリ王国のギアスによる精霊狩りによるものなのだと。


 今でこそこうして挨拶を交わしているが、ルヴァンは今でもバルバーリ王国を憎んでいる。


 しかし相手は大国だ。

 本来なら和平など結びたくない相手ではあったが、国民と国の将来を考えた結果、その手を握った。そこに至るまでに、どれほどルヴァンが苦悩したのかは、一番傍で見ていた私だけが知っていた。


 バルバーリ王国的には、いつでも滅ぼせるフォレスティ王国を武力で支配するより、生かして利用する方がいいと考えたのだろうと、彼が憎々しげに言っていたのを覚えている。


 私が実際に霊具を見たのは、少し前のことだ。


「……フィー、ちょっとこれを見て貰えないか?」


 ティオナの寝顔を見ていた私に、ルヴァンが真剣な表情を浮かべながら銀色の筒を差し出してきた。

 それを見た瞬間、中に何が入っているものの正体を知る。


「……精霊が閉じ込められてる?」


 ありえなかった。

 視えないはずの精霊を、こんな道具に閉じ込めることができるなど。


 しかしルヴァンは私の答えを頷いて肯定した。


「これは、隣国バルバーリ王国が精霊魔法を発動する際に使っている道具だ。霊具という」

「れいぐ? 精霊魔法は誰でも使える魔法なのに、なぜ道具が必要なの?」


 ルヴァンは、バルバーリ王国で使われている精霊魔法について説明をしてくれた。


 現国王であるソルマンによって、精霊を閉じ込め、マナが尽きるまで使役する精霊魔法が発明されたこと。

 それによってバルバーリ王国では、偉大な存在である精霊が道具と同じ扱いをされていること。

 ギアスと霊具を使うことで、心のあり方など関係なく一定の効果が得られるため、国民からの支持をうけている精霊魔法であること。


 ぞっとした。


「霊具に捕らえられた哀れな精霊たちを、救う方法はないのだろうか」


 縋るような彼の視線を受けながら、私は考える。


 精霊を閉じ込めている力は精霊魔法ではない。

 人間が本来もつ力――オドによるものだ。


 だけど、オドの使い方を精霊に願いを伝える以外で見いだすなど。

 ソルマン王とは一体何者なのか。


 そんなことを頭の隅で考えながら、私はルヴァンの問いに頷いた。

 彼の表情が、希望を見出したかのようにパッと明るくなる。


「ほ、本当か⁉」

「霊具に閉じ込められている精霊たちに、私が力を注げば逃げ出せる。ただ、力を奪われすぎて弱った精霊までは救えない」


 精霊たちには、私の力を受け入れる許容量というものがある。もし力を注いだとしても、霊具の拘束力を超えるほどの力を精霊が受け入れられなければ逃れられない。


 ルヴァンは首を横に振った。


「それでも充分だ」

「今ここで解放する?」

「バルバーリ王国が霊具とギアスを捨てなければ、同じことが繰り返されるだけだ。精霊の母たる君には申し訳ないが、まだ様子を見たい。それに精霊女王の存在を、バルバーリ王国には特に悟られたくはないからな」


 眠っているティオナの頬をそっと撫でながら、ルヴァンが呟く。


「バルバーリ王国に霊具とギアスを捨てさせるために……この国をもっと大きくしなければ」


 確かに、元の原因を絶たなければ意味がない。

 霊具に閉じ込められている精霊を思うと心が痛んだが、私はそれ以上、何も言わなかった。


 精霊を大切に思うルヴァンなら、きっとギアスと霊具も何とかしてくれる。

 この時は、そう思っていた。


 ただ、オドを使った魔法を生み出したソルマン王の存在だけが気がかりだった。


 その人物が私の前にいる。


 私は戦慄していた。


 ソルマン王から感じられる、底の見えないオドの量に――

 

 通常、人間がもつオドの量とは明らかにかけ離れている。

 元々オドには、精霊の力であるマナと同じような力がある。しかし人間のもつオドの量は多くないため、それを精霊魔法のように願いを具現化することができない。


 だがこれだけのオドがあれば、この人間はいずれ、オドによる魔法を生み出し、自由に使役することができるだろう。


 現に、ギアスというオド独自の魔法を生み出し、普通の人間たちが使えるように改良までしているのだから。


 だけど、ソルマン王から感じた恐怖を顔に出すわけにはいかない。

 ようやくバルバーリ王国から国として認められ、平和になったフォレスティ王国を、私の挙動のせいで再び不仲にするわけにはいかない。


 だから――笑った。

 ルヴァンが素敵だと言ってくれた笑顔を、ソルマン王に向けた。


 ソルマン王の緑色の瞳が、大きく見開かれた。

 唇が薄く開き何か言おうとしたが、すぐさま真一文字に結ぶと、頭を下げて退出した。


 一通り国賓たちとの挨拶を終えた後、私と二人きりになったルヴァンが不機嫌そうに呟いた。


「あの男……さっきからずっとフィーを見ている」


 ルヴァンの視線を追うと、その先にはソルマン王がいた。

 彼の視線から私を守るようにルヴァンが立ち位置を変えると、憎々しげに吐き出す。


「……気に食わない」

「そんな顔をしないで、ルゥ。せっかくの祝賀祭なのに、怖い顔はダメ」


 眉間に寄った皺を、私は指でつついた。


 私はルヴァンに敵意がないことを示すために、彼の肩越しからソルマン王に笑いかけた。


 ソルマン王の口角が持ち上がり僅かに頷いたので、私の気持ちが伝わったのだと思い胸をなで下ろした。


 彼が何を思って頷いたのかも知らずに――


 祝賀祭が終わった数ヶ月後、私はティオナを連れて郊外の別邸に移動していた。久しぶりに家族で休暇をとることになったからだ。この時のルヴァンは別の用事があり、後で合流する予定となっていた。


 家族水入らずで過ごす楽しい時間を想像しながら、私たちは馬車に揺られていた。


 少し見通しの悪い街道にさしかかったときのことだ。


 突然、甲高い悲鳴が響き渡ったかと思うと、馬車が横転した。

 私は咄嗟にティオナを抱きかかえると、彼女を守るように身体を丸めた。私たちの身体は、馬車の転倒の衝撃で外に投げ出された。


 大精霊が私たちを転倒の衝撃から守ってくれたため、怪我や痛みはない。


 ホッとしたのも束の間、私は目の前の光景に言葉を失った。


 地面が、倒れた護衛達や馬車を引いていた馬の血によって、真っ赤に染まっていたのだ。

 そこかしこで、苦痛に呻く声が聞こえてくる。

 

 私の恐怖に反応し、大精霊が私を守ろうと動いた。

 しかし――


「ギアス」


 低い男の声とともに、大精霊の気配が消え去った。


 大精霊は常に私とともにいる。

 その存在が消え去るなどありえなかった。


 何かの間違いだと必死で大精霊の行方を捜す私の前で、土を踏む音が聞こえた。


 私たち以外に生きている人間がいたのかと、音が鳴った方向に視線を向けた先にあったのは――


「迎えに来たぞ、エルフィーランジュ」


 まるで最愛の人を目の前にしたかのようにほほ笑む、ソルマン・ベルフルト・ド・バルバーリの姿だった。

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