第113話 愛

 存続を選んだ私はその後、ルヴァンとともに森を出て、人間たちが暮らす街――王都エストレアへやってきた。


 時はすでに真夜中。


 突然城を飛び出し、見知らぬ女を連れて戻った王に、周囲は騒然とした。


 私が精霊女王だということは、国の上層部にのみに伝えられた。


 ルヴァンの説明に皆が懐疑的だったが、この地を蘇らせた者が私である証明は、簡単だった。


 私の存在に疑いの目を向けていた者たち全てが私の前に跪き、今までの非礼を、そしてこの地を蘇らせたことへの感謝が告げられた。


 私はただ【世界】から課せられた役目を果たしただけ。


 感謝なんてされたこともなく、どう反応すべきか困った。だけど、困惑する私とは正反対に、ルヴァンは何故か誇らし気だった。


 その後、私は自身の正体を伏せ、ただの人としてたくさんのことを学ばせて貰った。


 人間という生き物の知識はある。実際私の身体も、ほとんど人間と同じなのだから。


 しかし、人間の文化には無知だった。


 ルヴァンから人間の暮らしを、文化を教えて貰う代わりに、私は自身の話を、精霊の話をした。

 

 彼は私にたくさんの質問をし、その答えを書き綴って残した。


「君の話はいずれ、フォレスティ王国の精霊魔法を更なる発展へと導くだろう」


 そう笑いながら。


 彼の思想は、常に精霊と人間の共存に置かれていて、国民たちにも伝わっていた。


 だからだろうか。


 この地に存在する精霊たちがとても生き生きしている。たくさんの精霊たちがこの地にとどまり、フォレスティの人々にすすんで力を貸していた。


 居心地がとても良かった。


 人々との交流が増えていくにつれて、私も少しずつ相手の気持ちや感情が分かるようになっていった。


 乏しいと言われていた私の表情も少しづつ豊かになり、心が抱く感情には様々な名前や種類があることを知った。


 ある日ルヴァンがこう言った。


「フィーは笑顔がとても素敵なのだから、仲良くなりたい相手がいればもっと笑いかけるといい」

「なら、ルゥにいっぱい笑いかける」

「……え?」


 私の言葉に、何故か彼が頬を赤らめ目を丸くした表情を見たとき、思わず噴き出してしまった。

 だけど、何故彼が驚いたのかは分からず、訊ねても教えてもくれなかった。


 ルヴァンにアドバイスをもらってから、私はたくさん笑うようにした。


 笑顔を向けるだけで、相手も笑顔を返してくれる。その後の交流も上手くいく。


 笑顔は、良い人間関係を作るための魔法のように思えた。


 私はたくさんの初めてを、この地から、ここに住まう人々から――ルヴァンから教えてもらった。


 フォレスティ王国にやってきてから一年だった頃。


「フィー、これからも私と一緒にいてくれないか?」


 ルヴァンが真剣な表情でそう言った。


 いつも一緒にいるのに、何故わざわざ言葉にした理由が、私には分からなかった。


 でもこれからも一緒にいたいのは私も同じ。だから迷わず首を縦に振った。


 それを見て、彼は何故か深い溜息をついた。


「……今の言葉の意味、フィーは理解していないだろう……」

「一緒にいるという意味以外に、何かあるの?」

「相変わらず……言葉の裏にある相手の気持ちを読み取るのが下手くそだな、君は」


 ため息をつく彼に、唇を尖らせて抗議の意を示した。


 ルヴァンが私の長い銀髪を一房手に取ると、そっと自身の唇に触れた。手を開くと、銀色の筋がハラハラと彼の手から流れ落ちる。


 彼の手のひらが私の頬を包み込む。


「愛してる、フィー。私の妻となって、これからも傍で笑っていて欲しい」


 妻という言葉は知っている。

 ルヴァンは夫婦という、男女が共同生活を送り、お互いを支え合って暮らす最も親密な人間関係を、私と築きたいというこのなのだろうか。


 夫婦となった男女は、家族という新たなコミュニティを形成するため、子どもを作る。


 そうやって人は増え、社会を作る。


 だけど私は、


「……子どもは、難しいかもしれない」

「え? こ、こども? 急に話が飛躍したが……」


 ルヴァンが動揺しているが、私は構わず続ける。


 彼と夫婦になるなら、この問題は決して避けて通れない。


「私が子を残すと、自然と精霊のバランスが崩れた土地に降臨する際、その血に縛られてしまう。そういう制約がある」

「それは、どういう……」


 ルヴァンの表情が一変、真剣なものへと変わる。


 私は、【世界】によってほぼ人間同様に作られた肉体に受肉し、精霊と自然のバランスが崩れた土地に降臨する。

 

 しかしもし私が子――女児を残せば新たに肉体を受肉する際、一番初めに生まれた女児の血筋――つまり長女の血筋の中からでしか生まれることができなくなるのだ。


 私の力が必要な土地に降臨できないことは、よくない。


 だけど同時に思い浮かぶのは、どこかで見た仲睦まじい家族の光景。


 あの光景を、もしルヴァンと私たちの子で再現できたなら――


 強烈とも言える切望に、胸の奥が苦しい。


 こんなこと、初めてだった。

 無意識のうちに俯いていた私に、ルヴァンの優しい声が届く。


「もし私たちの血筋の中に、新たな精霊女王が生まれたら……君の力が必要とされている場所まで必ず連れて行こう」


 私は顔を上げた。彼の手が私の両手を優しく、しかし強く握った。


「新たにこの世界に生まれた君が役目を果たせるよう、力を尽くす。生まれた女児の中から、どうやって君を見つければいい?」

「精霊女王は、あなたたち人間が使う精霊魔法が使えない無能力者。呪文を伝えるためのオドを、私は常に精霊を生み出し、力を与えるために使っているから」

「ああ、そうだったな」

「でも前世の記憶はもっているはず。記憶は魂に刻み込まれるものだから。だからきっと自分が何者かを伝えられると思う。大精霊もいるし」

「分かった。フォレスティ王家の総力をもって、精霊女王としての役目を果たせるよう尽力することを約束する」


 力強く頷くルヴァンの瞳に一切の迷いは無かった。


 フッと彼の表情が、柔らかさを取り戻す。


「これで一つ、君の心配を取り除けたか? 他に何か不安に思うことはないか?」


 そう言われ私は少し考えると、ずっと引っかかっていた気持ちを口にした。


「ルゥは私を愛しているといってくれたけれど……私も同じ気持ちなのかが分からない」


 言葉は知っている。


 だけどそれに伴う感情が、どうしても理解できなかった。だから彼が私に抱く気持ちと同じものをもっているのか、判断つきかねていた。


 再びルヴァンの瞳が大きく見開かれた。

 だけどすぐに優しく微笑んだ。


「フィーは先ほど子どもを残せない話を私にしてくれたが、何故その話をしてくれた?」

「だって夫婦になれば、子を成して家族を作るものでしょう?」

「なら、私と夫婦になることに関しては、何一つ否定的な感情をもっていなかったということか?」

「何故否定する必要があるの? 私はずっとルゥと一緒にいたいのに」


 彼の質問に、思わず首を傾げて訊ね返すと、ルヴァンは、ああー……という呻き声に近い言葉を発しながら、口元を手で覆って俯いてしまった。髪の毛の隙間から見える頬は、真っ赤になっている。


 しかし軽く頭を振ると、ルヴァンは顔を上げた。


 少しだけ緊張を滲ませた声色が、耳の奥に届く。


「……もし今私が死んだら、フィーはどうする?」


 ルヴァンが死んだら?


 何故彼がこの質問をしたのかは分からない。


 だけど頭で質問の意図を考えるより先に、答えを口にしていた。


「消滅する。傍にいたいと思ったあなたがいない世界に、留まる理由がない」


 彼は何も言わなかった。

 ただ少しの間だけ瞳を伏せていた。


 そしてゆっくりと瞳を開くと――


「きっとそれが……君の求める答えだ」 

 

 私の身体を抱きしめながら、彼の唇が少し泣きそうな、だけど愛おしさで満ちた声色を響かせる。


 彼の言葉の残響を頭の中で響かせながら、重なった唇の温もりを感じていた。


 その後私は、ルヴァンの婚約者として必要な教育や環境を整えたのち、フォレスティの国民に祝福されながら彼と結婚した。


 そして娘――ティオナ・ブライトリ・テ・フォレスティを出産した。


 幸せだった。

 私が今までもつ膨大な記憶の中で、一番輝かしく素晴らしい日々だった。


 ずっとその幸せが続くのだと思っていた。


 ティオナや、これから生まれてくるであろうまだ見ぬ子どもたちの成長を見守りながら、ルヴァンとともに生きていけるのだと信じて疑わなかった。


 あの男。

 ――ソルマン・ベルフルト・ド・バルバーリと出会うまでは。

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