第106話 だからお前は青いのだ

 今世の、私――?


 そう思った瞬間、私は護衛騎士たちの手でアランの元から引き離された。

 彼の表情が真剣なものへとかわる。


「今この瞬間も、生まれ出た精霊が君を守ろうとしてくれている。だから自分の身の安全だけを祈るんだっ‼」

「アランっ! いや、アラン――っ‼」


 私を取り囲む人々の間から、離れていくアランに向かって手を伸ばす。だけど彼の視線は、目の前にいる殿下に向けられ、私を見てくれない。


 ただ鋭い声色が、耳の奥を突き刺す。


「世界の根源、悠久に息づく精霊よ。この心と繋がり、強き想いを具現化せよ<氷槍アイスジャベリン>‼」


 次の瞬間、精霊魔法によって作られた巨大な氷柱のような氷槍が、リズリー殿下に向かって放たれた。


 私が見たことのある精霊魔法は、常に生活の一部として人々に寄り添うようなそんな魔法だけ。


 だけど分かる。


 アランが発した力は、恐らく通常の魔法士が使う精霊魔法よりも、圧倒的な強さを持っているのだと。


 これが、上位精霊と契約した精霊魔術師の力。


 しかし氷槍は、殿下の目の前でまるで何かの壁に阻まれたかのように、切っ先から溶けて消えてしまう。それを見た護衛騎士の誰かが、防御魔法か、と悔しそうに呟いた。


 だけどアランには想定内だったのだろう。先ほど私を捕らえようとした無数の拘束の鎖が、殿下の身体に巻き付く。


「行け、エヴァ‼︎」


 私は奥歯を噛みしめると、向かうべき場所――陛下たちのいる場所を真っ直ぐ見据えた。でも緊張と恐怖で両足に上手く力が入らず、両腕を騎士たちに掴まれ支えられながら走る。

 後ろでは、残してきた者たちの叫び声や、魔法攻撃による爆発音が響いている。


 もちろん、アランの声も――


 視界の端々に、消えたと思われていた精霊魔法の光が映った。


 アランが言っていたように、私が今この瞬間も精霊を産みだしているため、魔法が徐々に使えるようになってきているみたい。


 だけど、


「いつ相手がギアスを使うか分からん! 精霊魔術師以外の魔法は使い物にならないと思え! 魔法士たちは敵の動きの攪乱と補助を! 兵と精霊魔術師たちで敵を無力化する‼」


 ルドルフの命令が響き渡る。


 そう、相手がいつまたギアスを使うか分からない。だから今この場で精霊魔法に頼り切るのは得策じゃない。


 何とか支えられながら、私はルドルフと陛下の元へと避難した。


 ルドルフの姿を見た瞬間、安堵から彼のローブにしがみついてしまう。


「ルドルフっ‼」

「エヴァ嬢ちゃん、無事じゃったか⁉」

「私は大丈夫! だけど……だけどアランがっ‼」


 私の背後で、再び爆発音が響き渡った。そんな私を守るようにルドルフが私を抱きしめると、背中で爆風から守ってくれた。


 ルドルフに守られ、彼の肩越しから見えた光景に思わず目を瞠る。


 リズリー殿下の手が、アランの首を掴んでいた。その周囲には、先ほどの爆発で吹き飛ばされた兵士たちが、呻き声を上げながら倒れている。


 私の言葉よりも行動よりも早く動いたのは、イグニス陛下。剣を抜きながら、一直線にリズリー殿下の方へと向かっていく。


「陛下、危険ですっ‼」

「防御魔法はかけてある! ルドルフ、お前はエヴァを守れ‼」

 

 ルドルフが叫びながら手を伸ばしたけれど、もちろん届かない。代わりに、護衛騎士たちが陛下の後を追う。


 リズリー殿下は、相変わらずアランの首を掴み、彼の身体を持ち上げていた。その緑色の瞳は、殿下から逃れようと彼の手を引っ掻くアランの苦悶の表情を見つめている。口元には笑みすら浮かんでいた。


 それを見た瞬間、頭の芯が熱くなって何も考えられなく――いえ、正確にはたった一つのことしか考えられなかった。


(アランを、助けてっ‼)


 次の瞬間、リズリー殿下の身体が、何かに突き飛ばされたかのようにバランスを崩した。アランを掴んでいた手が離れ、彼の身体が地面に崩れ落ちる。


 それを見たイグニス陛下の走りが、少しだけゆっくりになった。


 アランが一時的にとはいえ、危機を脱したから、ホッとされたのかもしれない。陛下が僅かに振り返り、私にありがとうと仰っているかのように口元が緩む。


 私の表情が、強張っていることに気付きもせずに――


「だからお前青いのだ」


 イグニス陛下の傍に立ったリズリー殿下の嘲笑う声が響く。それを聞いた陛下の瞳が、恐怖と驚きで見開かれた。


 誰もが思った。


 こんな一瞬で、どうやって陛下のすぐ傍にやってきたのかと。


「世界の根源、悠久に息づく精霊よ。この心と繋がり、強き想いを具現化せよ<衝撃波ショックウェーブ>‼」


 ルドルフの詠唱が響いた。


 彼の魔法に耐えきれず、自身にかけていた防御魔法が解けてしまったためか、飛び散った建物の破片がリズリー殿下の頬をかすめて血が滲む。


 だけど殿下は逃げなかった。

 彼の手が、イグニス陛下に向かって伸びる。


 私は精霊を視ることはできない。

 だけどリズリー殿下の手から感じられる何かに、総毛立った。


 私の記憶ではない記憶が、心の中で叫ぶ。


 あれは、

 あの力は、闇の――


「だ、駄目ぇぇぇっ‼」


 感情とともに、言葉が私の喉の奥から迸る。


 リズリー殿下の身体が、グラリと揺れて大きく後退した。私の叫びに応えた精霊たちによって、大きく隆起した地面が、鋭い刃と形を変えたからだ。


 しかしその際、彼の指が僅かに陛下の額に触れたのを、それを両目を見開きながら笑うリズリー殿下の表情を、私は確かに見た。

 

 次の瞬間、イグニス陛下の身体が崩れ落ち、


「にっ……兄さぁぁぁんっ‼」


 アランの絶叫が響き渡った。

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