第104話 精霊宮の戦い

 理解できなかった。

 まだ、精霊女王の力をバルバーリ王国が独占するためだと言ってくれた方が納得がいく。


 盟約を結んだ真の理由は、ソルマン王が精霊女王との邂逅を果たすため?

 そしてその時の王太子を乗っ取り、精霊女王を伴侶にするため?


 そんなことのために、三百年前から―― 


「は、ははっ……こんなくだらない理由だった……の、か……」

「……アラン?」


 この場にそぐわない気の抜けた笑い声が聞こえ、私は声の主に目を向けた。それと同時にアランの腕から力が抜け、膝から崩れ落ちた。そしてら両手を地面につけて俯きながら、青い絨毯を強く引っ掻いた。


 喉の奥から絞り出したような悲痛な呟きとともに、彼の拳が床を強く打つ。


「こんなくだらない理由と妄想で彼女は……ティオナはっ‼」


 ――ティオナ。


 その単語に、心臓が痛みを感じるほどの衝撃が走った。

 

 まただ。

 また、私の記憶じゃない何かが反応している。


 自分の身体を抱きしめると、こちらを見つめるリズリー殿下、そして地面に崩れ落ちているアランから一歩後ずさって距離をとった。


「一体……何? あなたたちは一体、何を言っているの⁉」


 怖い。

 何が私の記憶なのか分からなくて怖い。


 まるで私が私でなくなってしまうみたいで、怖い。


 声を出さなければ、彼らの話に疑問を抱かなければ、私が私でなくなってしまうみたいで。


 私の叫びに真っ先に反応したのはアラン。


 俯いていた顔を上げて、後ずさった私を振り返る。だけど言葉を発することなく、苦悶の表情のまま私を見つめるだけだ。


 代わりにリズリー殿下が、声色を和らげながら言う。


「思い出せないのか、エルフィーランジュ。確かお前は前世持ちのはずだが、何か弊害があったのだろうな。だが案ずるな。バルバーリ王国に戻れば、すぐに思い出させてやる」

「やめろっ‼ これ以上彼女を苦しめるなっ‼」


 弾かれたように立ち上がったアランが、私を背中で守るように、リズリー殿下と私の間に立ちはだかった。


 殿下の瞳が僅かに光ったかと思うと、僅かに困惑が見えた。笑みを浮かべていた唇が、真一文字に結ばれる。


「……上位精霊、それも四大元素全て揃っているとは。なるほど、これがフォレスティ王国に存在する精霊魔術師とやらがつかう上位精霊の使役か。三百年前には存在しなかったと思うが」

「使役ではない、契約だ。彼女が死んでから三百年間に、精霊たちにも変化があったということだ。三百年前、母たる精霊女王の苦悶を知りつつ見殺しにしてしまった精霊たちの……罪滅ぼしだ」

「くだらん」

「お前にとってはそうだろうな。だがたちは二度と同じ過ちを繰り返さないと、そして彼女を幸せにすると誓ったのだ、今度こそっ‼」


 耳の奥に突き刺さるようなアランの叫びが、精霊宮に反響する。

 先ほどまで、力なく崩れていた彼の姿はどこにもない。


「今すぐその男の中から出ていき、死者として本来あるべき姿へと帰れ。でなければ力尽くで排除する」

「力尽くで? たかが上位精霊ごときが、大精霊の力に敵うとでも思っているのか?」

「通常ならな」


 嘲笑うような殿下の言葉を、アランが否定する。


「今のお前は、魂を大精霊の力と繋げて現世に留めている状態だ。その男の肉体に留まり続けたいなら、無駄に大精霊の力を消費したくはないはず。三百年前と比べて、大精霊たちの力が随分減っているのだろ? エヴァが精霊解放を祈ったのにも関わらず、逃げ出すこと出来なかったくらいなのだからな」

「……大精霊の力を使わなくとも、貴様の息の根を止める方法は、いくらでもある」


 リズリー殿下は、アランの言葉を否定しなかった。図星を指されたのか少しだけ唇を歪ませている。


 殿下が金色の霊具を握りしめた次の瞬間、アランが叫んだ。


「世界の根源、悠久に息づく精霊よ。この心と繋がり、強き想いを具現化せよ<防護壁プロテクティブウォール>‼」

「力に服従せし精霊よ、我が言葉に応え願いを具現化せよ<爆発エクスプロージョン>」


 ほぼ同時に、鼓膜を突き破るような激しい爆発音と、つんざくような精霊の断末魔が響き渡った。


 アランが魔法で守ってくれたから、私たちがいた場所だけは無傷だった。だけどそれ以外の部分は――私たちがいた場所から後ろの部分が吹き飛び燃えていた。

 なんて力なの⁉


「エヴァ、大丈夫か⁉」

「え、ええ……なんとか……アランは⁉」

「俺は大丈夫だ! とにかくエヴァは、自分の身を守ることだけを考えるんだ! 精霊たちが守ってくれるはず‼」


 私を背中で守りながら、アランが叫ぶ。


 舞い上がった土煙と火煙が、私の喉と目を刺激し、炎の熱が肌を炙った。

 熱くて息も苦しい。


(こんな危険な場所に一秒たりともいるわけには――)


 そう思った瞬間、周囲の温度がスッと下がり、煙による息苦しさが収まった。

 こんなことができるのは、私の苦しい気持ちを察して動いてくれた精霊たちに違いない。

 

 それと同時に、耳の奥に精霊たちの断末魔が蘇る。

 フォレスティ王国で、ずっと聞くことのなかった音だ。


 さっきの魔法のために、大量の精霊たちが使い捨ての道具のように消費されたと思うと、恐ろしくて堪らない。


 そのとき、ふと一つの考えが浮かんだ。


(私が願えばいいんだわ)


 金色の霊具の中に閉じ込められている精霊たちが解放されるよう祈れば、殿下は魔法を使えなくなるはず! 全ては解放できなくても、戦力を削ぐことは出来れば……


(精霊たちに力を! 殿下の霊具から解放される力を与えてっ‼)


 だけど変わりに耳に入ってきたのは、変わらない精霊たちの断末魔と、


「<拘束の鎖チェイン>」

「エヴァ、危ないっ‼」


 アランが私を抱きしめて横に倒れると同時に、銀色の鎖に繋がれた大きな輪が現れ、消失した。

 チッと小さな舌打ちが、殿下の唇から洩れる。


「あっ、アラン……私……願ったのに……精霊の解放を願ったのにっ‼」


 私が何を言いたいのか察してくれたのだろう。アランはクッと声を洩らし、下唇をきつく噛みしめた。


 私の言葉を聞いた殿下が嘲笑う。


「バルバーリ王国内で使われているギアスや霊具は所詮、貧弱なオドしか持たぬ民たちが使えるよう、余が簡略化したものだ。そんなものと余の力を一緒にしないで貰おうか」


 つまりリズリー殿下が扱う霊具とギアスの力は、一般的なそれらよりもずっとずっと強力ということ?


 それなら、物理的に潰すしかない!


 霊具を潰し、中にいる精霊たちに消滅という解放を――


「さっきから霊具に虫がたかっているな」 


 殿下の鬱陶しそうな声を聞き、心臓が跳ね上がる。


 リズリー殿下の言う虫って、まさか!


「やめ――」


 私の強い感情に応えてくれたのか、何筋もの光の矢が発生し、リズリー殿下の左手首で揺れる霊具に向かって飛んでいく。


 彼の手が金色の霊具を握った。

 緑色の瞳が伏せられ、形の良い唇の口角が上を向く。


「――ギアス」


 次の瞬間、光の矢だけでなく、私の視界から精霊魔法のよる全ての光が消え去った。

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