第26話 メルトアの帰還(第三者視点)

「殿下……私たちの結婚はいつ頃になるのでしょうか?」


 いつものように、人目の付かないところでの情事を楽しんだ後、マルティがリズリーにしなだれかかりながら、甘く囁いた。

 その言葉に、リズリーは軽く目を見張る。


「え、結婚の時期かい? 予定が変わらなければ、一年後だと以前話したはず……」

「マルティは、そんなにも待てません! 早く……一刻も早く、貴方様のものになりたいのです……」

「どうしたんだ、急に」


 突然、婚約者に縋り付かれ、リズリーは慌てて彼女の肩を掴んで、その顔を覗き込んだ。ヘーゼル色の瞳が、涙で潤んでいる。


 急に精霊魔法が使えなくなったり、効果が落ちる謎の現象から、もう二回も月の満ち欠けが過ぎていた。今でも原因は分かっていない。


 確か彼女は、精霊魔法が使えなくなり、困っている者たちに救いの手を差し伸べていると聞く。色々なところで奇跡の力を振るっているためか、いつもの美しさよりも、憔悴した様子が痛々しく感じられた。


 自分の身を削って人々のために尽くす婚約者の健気な姿に、心が締め付けられる。


 やはり無能な姉よりも、美しく、聖女の力をもつ彼女の方が、自分の妻に相応しい。

 エヴァには冤罪をかけてしまったが、自身の選択に間違いはなかったのだと、自分が間違えるわけがないのだと、祖母であるメルトアの意思から反したと騒ぐ一部の者たちを、心の中で嘲笑った。


 マルティは、リズリーの瞳から少し視線を反らすと、か細い声で告げる。


「急に身体が思うように動かなくなり、不安になったのです……もしかして、貴方様の妻になる前に、死んでしまうのではないかと……」

「そ、そんな……それほどまでに、君の体調は優れないのか? 心労がたたっているのか?」

「でも、大丈夫ですわ! 私の身よりも、この国のために力を尽くすことの方が大切ですから……」

「マルティ、君という人は……」


 肩を掴むリズリーの手に、力がこもる。

 感極まったような彼の表情を見て、マルティはほくそ笑んだ。


 自分に夢中な彼のことだ。

 マルティが身を削って皆のために尽くしている、と話せば、必ずこう言うだろう。


「もう……これ以上、自身を犠牲にすることはやめてくれ……」

「いいえ、そういうわけには参りません。私に救いを求める者たちの声を、父がもってきます。それが無くなるまで……私の役目は終わりません」

「ならば、君の父君に僕から言おう。もうこれ以上、マルティを苦しめるなと。弱った土地や、自然への対応は、国が行えばいい。そもそも君の偉大な力を、易々と使わせていた今の現状がおかしいんだ」

「ああ……殿下……貴方様の寛大な御心に感謝いたします」

「何を言っているんだ、マルティ。君は僕の大切な婚約者……いや、妻となる女性なのだから」


 マルティはリズリーの首元に抱きついた。彼女の腰に、彼の手がまわされる。彼から見えないところで、マルティは片方の口角をギュッと上げた。


 さすがに王太子からの警告があれば、あの父親も渋々了承せざるを得ないだろう。

 

 これで、汚い場所を訪問する必要も、特別な霊具を無駄に消耗することもない。

 作戦通りだ。

 

 後は、


「少しでも君の不安が減るのなら、結婚式の日程も見直すよう、父上に相談しよう。僕も早く、マルティと結婚したい。君と隠れて愛し合うのも、何かと不便だからね」

「まあっ! 殿下ったら……」

「本当に君は僕の妻に相応しい女性だ。何故君の姉と婚約しなければならなかったのか、今でも不思議だよ」

「あの愚姉のことは、お忘れください。私の手を払いのけ、追放を選んだ無能です。どこかで野垂れ死んでいるでしょうから」

「ふふ、そうだな。本当に、馬鹿な女だ」


 エヴァを嘲笑う互いの唇が、近付く。

 重なる寸前、


「リズリー、お前はそこで何をしているの?」


 少ししゃがれながらも、芯のある強い声色が、響き渡った。

 二人の唇が一瞬にして離れ、声の方を向く。


 視線の先には、長い金髪を緩く編んだ老婦人がいた。少し瞼が垂れているが、しっかり見開かれた緑色の瞳が、二人を真っ直ぐとらえる。いや、睨みつけていると言った方が正しい。


 彼女は、カツカツとヒールの音を鳴らしながら、リズリーたちに近付き立ち止まった。


「……お戻りになられたのですか、お婆さま」


 彼女は、メルトア・アーリン・ド・バルバーリ。前バルバーリ王の妻、つまり前王妃であり、リズリーの祖母であり、未だに王家に強い影響力をもつ、彼にとっては目の上のたんこぶ的存在である。

 他国に出かけていたのだが、戻ってきたのだ。

 

 突然の祖母の登場に、リズリーは心の中で舌打ちをした。

 それが表情に出てしまったのか、


「まるで、面倒な人間が戻ってきたかのような声色ね、リズリー」


 老婦人が冷たく言い放つと、チラッとマルティに鋭い一瞥をくれた。そして、あからさまに侮蔑を込めて鼻を鳴らした。


「大体の話は聞きました。このような張りぼて女に誑かされるとは……リズリー、お前には失望しましたよ」

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