第25話 マルティの不安(第三者視点)

「これもっ……これも、これもこれもこれもっ‼ やっぱり全部使えないじゃないっ‼」


 マルティの叫び声とともに、霊具が床にぶちまけられた。銀色の筒がぶつかり合い、派手な音を立てる。部屋の外まで響き渡ったのか、ドアの向こうから、侍女の慌てた声が聞こえた。


「マルティ様⁉ もの凄い音がしましたが、いかがなされましたか⁉」

「……な、なんでもないわ!」


 侍女の言葉に、我に返ったマルティは、そう声をかけると、床に転がっているたくさんの霊具を見つめ、ため息をついた。ベッドの上に腰をかけ、胸の奥にある不安と一緒に、もう一度、大きすぎるため息をつく。


 エヴァが婚約破棄され、自分が新たな婚約者の座に納まることに成功し――何故か突如精霊魔法が使えなくなったあの日から、三十日近くが経っていた。

 魔法が使えなくなったあの時は大騒ぎだったが、五日ぐらいでまた精霊魔法が使えるようにはなった。しかし、以前と比べて効力が落ちており、それは今もなお続いている。


 いやむしろ、日に日に効力が落ちている。


 変化は、精霊魔法だけではなかった。


 バルバーリ王国の貴重な水源である湖や、作物を育てるために利用されている水源の水位が、少しずつ下がっているらしいのだ。水が減れば、作物を育てられない。

 それに、水不足が関係ない地域の自然や作物の育ちもあまり良くないとのこと。


 どちらにしても、このまま冬を迎えれば、数多くの餓死者が出てしまうだろう。


(もし水が使えなくなったら……どうやってこの身を清めればいいのよ‼)


 リズリーから聞いた話を思い出しながら、マルティは苛立ちながら爪を噛んだ。だが、彼女の苛立ちの本当の理由は、水が使えなくなるかもしれない可能性への怒りでは無かった。


「マルティ、入るぞ。具合は大丈夫か?」


 ドアのノック音とともに部屋に響き渡ったのは、マルティの父親である現当主ヤード・フォン・クロージックの声。


 マルティは、慌てて散らばった霊具をベッドの下に隠し、掛け布団を被って横になると、


「お父様……」


 と、先ほどの叫びとは違う弱々しい声色で迎えた。

 表情を暗くし、辛そうに眉根を寄せながら、浅い呼吸を繰り返す。


 ヤードはベッドの端に腰掛けると、マルティの頬に触れた。


「辛そうだな、可哀想に……まだ頭痛が続いているのか? お前の体調不良は、もう十日も続いているようだな」

「はい……何だか胸も苦しくて……」

「そうか」


 マルティの言葉に、ヤードは困ったように深いため息をついた。それを見て、何故父親自らが様子を見にきたのかを悟る。


「マルティ。明日、何とか出られないか? ステイン侯爵から、是非お前の精霊魔法の力を借りたいと要請があった。作物の育ちが悪くなり、祝福の魔法をかけて欲しいらしい」

「それは無理ですわ、お父様! この体調では……」

「しかし侯爵は、礼として、かなりの謝礼金を用意している。今後、クロージック家に対し、有意に動いてくれるだろう。この家の繁栄には、是非恩を売っておきたいのだ」

「で、でも……」

「確かに、周囲が精霊魔法を使えなくなる中、以前と変わらぬ力をもつお前には、聖女として色々と動いて貰った。その負担が今、体調不良としてでているのだろう。しかしお陰で、バルバーリ王家や色々な貴族たちに、恩を売ることができた。これは、チャンスなのだ」


 エヴァは知らなかったが、クロージック家は今、財政難に陥っていた。というのも、跡を継いだヤードと、彼の妻サンドラが、派手に散財していたからだ。


 しかし、マルティに聖女レベルの精霊魔法の才能が備わっていると分かってからは、奇跡の力と引き換えに、貴族たちから謝礼金を搾り取った。


 さらに今は、精霊魔法の力が弱まり、皆が困っている時。

 そんな中でも、以前のような強い精霊魔法が使えるマルティの力を、誰もが求めた。


 ヤードがふっかける、法外な謝礼金を支払ってでも。


 マルティは頭から掛け布団を被ると、叫んだ。


「どうせ今回も、山とか汚い畑とか、そんな場所に行かなければならないのでしょう? ドレスが汚れるのも、汗臭くなるのも嫌っ‼ もう、出てって! お父様の顔なんて、見たくないっ‼」


 娘に拒絶され、ヤードは言葉を失った。その表情は、自分の思い通りに動かない娘への苛立ちで満ちている。ぐっと握り締めた右手の拳を腰辺りまであげたが、行き場のない怒りを込めて、自分の太ももの横に振り下ろした。

 そして軽く舌打ちをすると、足音荒く、ドアの方へ向かっていった。


「……とにかく、明日は早朝から出発だ。準備しておけ」


 ドアが閉まり、部屋に沈黙が訪れると、マルティはガバッと勢いよく飛び起きた。先ほどの弱った様子は、全く見られない。


 それもそのはず。

 彼女の体調不良は、仮病だったのだ。


 精霊魔法が使えなくなったあの日から十日後。


 マルティは父親の命令で、ある領土の広大な畑に、<祝福>の魔法をかけたのだが、思った以上の効果が発揮できず、領土の持ち主である貴族から失望されたのだ。


 聖女としてのプライドを傷つけられた怒りは、未だに胸の奥で燻っている。


 急いで屋敷に戻り、エヴァが傍にいるときにギアスをかけた山ほどの霊具を確認し、愕然とした。


 ほとんどの霊具が、使えなくなっていたのだ。


 マルティの聖女と称される力は、エヴァが傍にいるときにギアスを使って、霊具に精霊を封じ込めることで発揮される。エヴァが追放を選択し、いなくなったとき、その特別な霊具を山ほど用意しているから大丈夫だと思っていたのだが、ほとんどが使えなくなったとなると話は違ってくる。


 幸いにも、霊具を複数個使用すれば、何とか以前のような精霊魔法の効果を維持できたが、それも時間の問題。

 これ以上、請われるがまま精霊魔法を使い続ければ、霊具に封じた精霊を消費してしまい、いつかは使える霊具がなくなってしまう。


 改めてギアスをかけようにも、傍にエヴァがいない以上、聖女と呼ばれるレベルの精霊魔法を発揮できる量の精霊を封じることはできない。


 このままだと、この自分が――美しく、聖女と呼ばれ敬われてきた自分が、未来の国母となるに相応しい自分が、低レベルな精霊魔法士と同じになってしまう。


 だから仮病を使い、できる限り精霊魔法を使わないようにしていたのだ。

 いつ、自分の力の衰えや、奇跡の力を発揮できた秘密がバレるかと想像すると、言い表せない不安が積み重なっていく。


 無能な姉と同じ立場に落ちるかもしれないと思うと、恐怖で鳩尾辺りがヒヤッと冷たくなる。


(あの女が、追放なんて選ぶから、私の計画が狂ってしまったわ!)


 エヴァを一生傍においてこき使い、笑いものにし、自分は彼女がもつ謎の力によって、国母として、聖女として崇められる。そんな輝かしい未来を計画していたのに、全てが台無しだ。


 追放されたエヴァは、今頃どこで何をしているのだろうと、ふとよぎる。

 しかし、


(精霊魔法が使えない無能だもの。今頃、どこかで野垂れ死んでいるわ。確か、給仕係の女と、あの根暗な使用人、そして庭師の老いぼれが付いていったって聞いたけど、無能どもが集まって何ができるっていうの?)


 無能力者のくせに、生意気にもたてついた義姉の最期を想像し、フフッと笑った。

 自分よりも立場が下の人間が無駄に足掻き、力及ばず朽ち果てる姿を想像すると、金と権力しか頭にない父親に対する怒りも、少しだけ収まってきた。


 気を取り直し、まだ使える霊具を集めながら、婚約者である王太子リズリーの顔を思い浮かべた。


(早く殿下と結婚しなければ。王太子妃となれば、きっと今みたいに、汚い場所に出向くこともなくなるはずだわ)


 そう思うと、次リズリーに会うときは、胸元が大きく開いた大胆な服を着て、結婚を早めるよう迫ろうと心に決めた。

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