第17話 バルバーリ王国に未練などない
「え? ふう……ふ?」
これって……まさかこれって!
ぷ、ぷぷ、プロポーズですか⁉
ふうふの、ふ、の口をしたまま、私は止まってしまった。そのまま、わなわなと唇が震えている。
身体中の熱が顔と頭の中に集中して、熱くて堪らないし、思考も上手くまとまらない。
ただ彼の言葉だけが、ずっと木霊しているかのように鳴り響いていた。それは次第に、遠くから微かに鳴り響く結婚式のファンファーレと重なる。
あぁぁっ……これって、夢……じゃないわよね?
勘違いってわけじゃ――
「あ、ご、ごめん、言葉足らずだった! これから検問場を通るから、その間だけ、夫婦のフリをして欲しいんだ」
「フ……リ……?」
はいっっっっ、勘違いでしたぁっっっっっ‼
束の間の幸せな夢、ありがとうございましたぁぁっっっっっ‼
……うぐぅ。
心の中で流れる血の涙をやけくそ気味に拭いながら、がっくり落ちそうになっている肩と表情筋に力を込めた。
「で、でもどうして、検問場通る時、夫婦のフリしないと駄目なの?」
「駄目ってわけじゃないんだけど……理由は節約……かな?」
「節約?」
アランが言うには、バルバーリ王国からフォレスティ王国に行く際、通行税を払わなければならないらしい。しかし、フォレスティ王国出身者の伴侶であれば、通行税がかからずに通過できるそうだ。
まあ、お金は大切だから、少しでも節約したいという気持ちは分かる……けど、私のメンタルに大ダメージを負わせるような頼み方、しなくてもいいわよね⁉
だからさっきも、相手に好意を誤解させないような言い方をしないようにって言ったのに!
自分の恥ずかしい勘違いを認めたくなくて、わーわー心の中でアランへの愚痴を叫ぶと、私は苦笑いを浮かべた。
これなら、公爵令嬢でなくなった私にも、できることだから。
「分かった。頑張って夫婦のフリをするわ。でも、バレないかしら? 検問場では騙せても、後々バレたら厄介なことになるかも……」
「それは大丈夫。別に、何か証明する物が必要なわけじゃないし。それに、二度とバルバーリ王国には戻らないんだから、通り過ぎることができたらこっちのもんだよ。あんな国に、銅貨一つ落としたくはないね」
二度と祖国には戻らない。
その言葉を聞き、私は思わず後ろを振り返った。
目の前には、私たちが長い旅をしてきた街道が見えた。この街道の先には、今まで通り過ぎてきた村や街があり、そして婚約破棄と追放劇の舞台となった王都ガイアスタに続いている。
あれから約30日程過ぎた今、毎日見ていたマルティの顔も、最悪な印象しかないリズリー殿下の顔も、どこかぼんやりしている。
だけど、決して忘れない。
私が邪魔者だと、虐げた育ての親と、私から全てを奪わなければ気が済まなかった、義妹を。
立場が落とされた私を、邪険に扱ってきた周囲の人間たちを。
私が無能力者だからと、義妹と結婚したいからと、そんな身勝手な理由で、いともあっさり私を捨てた元婚約者と王家を。
あの国で、虐げられて生きてきた辛い日々を。
父が亡くなってから、私の味方はアランたちだけだった。
その彼らも、今、私とともにある。
大切なものは、すぐ傍に。
だからもう、バルバーリ王国に未練などない。
私は、新しい土地で、今度こそ自分の人生を始める。
もう終わった過去は振り返らないし、振り返る必要もない。
前だけを見よう。
万が一、私に戻ってきて欲しいと言われても、
――もう遅い。
……なーんてね。
「さ、エヴァ、行くよ」
アランの優しい声とともに、彼の手がこちらに向かって手を差し伸べられた。
……ん? 手?
「ほら、早く手を取って?」
「え?」
「え? じゃないよ。だって俺たち夫婦なんだろ? 歳を取った熟年夫婦でもないのに、こんな離れた距離感だと周りに怪しまれる」
「た、確かにそうだけど……でも突然手を繋げって言われても、こ、心の準備が……」
「あ……手、繋ぐの難しい? なら、腕組む?」
「手を繋ぐ方でお願いしますっ!」
何で手を繋ぐよりもハードル下げた感覚で、腕組むっていう高難易度な選択肢が生まれたかしら!
アランの感覚がちょっと分かりません!
彼の言葉に間髪入れずに答えながら、自分の右手を勢いよく差し出した。
それを見たアランが瞳を眇めながら、そっとこの指に触れる。彼の左手の温もりが、指先から手のひらにのぼり、やがてこの手全体を包み込んだ。
遠目から見れば細くて華奢な指なのに、彼の手は硬く、私の手をすっぽりと包み込めるくらい大きかった。
肌が触れ合う部分から、相手の体温がじんわりと伝わり、私の身体の中に入ってくるみたい。あまりに意識しすぎて、触れている感覚すらおぼろげになっていく。
今まで、何かしらの拍子に手を繋ぐということはあったけれど、今みたいに手を繋ぐことが目的になることはなかった。
心臓が弾け飛ぶんじゃないかと思うほどドキドキしつつも、何故か不思議と安心感も覚える。
何か、心の底から信頼できるものに守られているような、安心感を。
私が手をギュッと握り返すと、細められていた青い瞳が少しだけ見開かれた。そして、まるで私の気持ちに応えるかのように、彼の手に力がこもるのを感じた。
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