△▼△▼真夜中の随想 △▼△▼

異端者

『真夜中の随想』本文

 夜は夜のままでいいのではないか――そう思うようになったのは、いつからだっただろうか?


 仕事が長引いて、深夜にようやく車で帰路に就いた。

 車のヘッドライトが闇を切り裂いていく。


 全く、仕事がIT化したら紙の書類が少なくなるから環境にも優しいなんて誰が言い出したのか……少なくとも、自分の働いている会社はそうではない。むしろ印刷ミス等で紙の消費が増えているのではと思わせる。

 今日も、未だにキーボードすらまともに打てない上司が手書きのメモを入力してくれと持ってきた。もうPCを導入してからかなりの年月が経つはずだが、自分で覚えようという気はないらしい。

 それをしたらしたで、やれ今度は文字の大きさが、やれもう少しここを目立つようにしろ――自分でしろと言いたいのを我慢するのが大変だった。

 そんな上司の細かい希望を聞いて直して、それらを他の資料と合わせて明朝の会議で使えるように必要分印刷して綴じていたらこの時間だ。非効率的にも程がある。


 やはり夜は夜のままでいいのではないか――人は夜を切り裂く明かりを手に入れてから、夜間でも活動を強いられるようになった。それは一見すると便利になったように思えるが、自らの安息の時間を捨てて、光の世界、昼の世界を引き延ばしてその隷属を誓った行為ではなかったか?


 カーラジオからはニュースが流れてくる。東欧の地での戦争を伝える内容だ。


 人が夜をそのまま受け入れていれば、この戦争も核兵器もなかったのではないか?

 おそらく今のような技術発展はなく、近代的な戦争はなかったのでは?

 根拠のない幻想だ。だが、私にはそう思えた。

 人々は明かりによって夜を支配できると傲慢になった。そこにかつての安息はなく、殺伐とした感情だけが残った。

 まるでパンドラの箱だ。そこから解き放ってしまっては、あらゆる災厄が降りかかる。

 もっとも、パンドラの箱とは決定的に違うところもある。「希望」は残らない。

 そして、解き放った災厄は人間自身を蝕み、ますます夜を奪う。夜を奪われた人間はささくれ立ち、ますます殺伐としていく――悪循環だ。


 対向車がやってくる。対向車のヘッドライトの明かりが目に焼き付く。


 人々は気付いている――夜を奪ったことが狂気の原因だと。

 それでも、それを認めることはかなわない。世界中が夜を切り裂いて歩いていく中で、自分だけが歩みを止める訳にはいかないからだ。

 同調圧力とでも言えばいいか……いや、もっとたちが悪い。もしどこかの国だけかつてと同じように夜を受け入れれば、周囲の国はこぞってそれらを出し抜こうとするだろう。

 つまり、昔のように夜を受け入れようとしても、もはやできないのだ。銃社会と似ている。銃をなくそうと思っても、回収することすらままならない。


 赤信号で止まる。何も律儀に止まらずとも車など来ないが。


 人々が夜を奪った罪に気付くのはいつになるのだろう?

 ひょっとしたら、永遠に気付かないかもしれないし、もう気付いている人も多数居るのかもしれない。ただ、認めることができないだけで。

 少なくとも私は、夜は夜のままでいい――そう思うのは、青臭い考えだろうか?


 この夜の闇に溶けて消えてしまいたいと思った。

 私は車を路肩に止めると、ライトを消してエンジンを切り、目を閉じた。


 ふと思った。人が全ての夜を昼に塗り替えてしまったら――その先は、破滅だ。

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