12、どうして引き止めなかったんですか
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「えっえっえっえっ、こんな立派なお部屋いただいていいんですか?」
ミレナさんが案内してくれた私の部屋は、工房での屋根裏部屋とは比べ物にならないくらい広くて綺麗で豪華な部屋だった。
天蓋付きのベッドに、繊細な細工を施した鏡台、どっしりとした机、座り心地良さそうなソファ、書棚まである。
「元々エーリク様が研究用に住む屋敷なんで、お部屋は余っているんですよ。遠慮なく使ってください。お仕事は明日からだそうなので、今日はゆっくり眠ってくださいね」
とは言え日はまだ高い。
「あの、私、なにかお手伝いします。熱が出ているだけなのに、十分休ませていただきましたし」
ミレナさんは眉をわずかにひそめた。
「熱が出ているだけ……?」
「はい。足も捻っただけで。骨が折れたりしているわけでもないのに休ませてもらってすみません」
ミレナさんは難しい顔で言った。
「ルジェナさん、熱が出ている間は休んでいいんですよ」
「えっ」
「……そこで驚くということは、休めなかったんですね」
「もちろんです。あっ、でも、薬はもらえました。だからそんなに辛くなく動けましたよ。私、得意なんです。なるべく体力消耗せずに薬草を砕くの。重いもの持つときはよろけないように小分けにしたり」
「今日はゆっくり休んでください」
ミレナさんはぴしゃりと言った。
「お仕事は明日からと言いましたが、今日は眠るのがあなたの仕事です」
「でもせっかくですし手伝いま——」
「休んでください」
ミレナさんからひんやりした空気を感じた私は慌てて同意した。
「では……お言葉に甘えます」
「お食事も今日はこちらに運びますね」
「えっそんな私が厨房に行きます。そうだ、下ごしらえならお手伝い——」
「運びますね」
「わ、わかりました」
ミレナさんの目つきが鋭くなった。
申し訳なさを感じながらも私は頷いた私は、ふと聞いた。
「あの、食料はどこから持ってきているんですか?」
ここが禁猟地の奥だとしたら、周りにお店などないはずだ。わざわざ村まで買いに行っているのだろうか。
ミレナさんはあっさり答えた。
「村はずれの宿屋から毎日必要なものを、人目につかないように届けてもらっています。エーリク様は静かに過ごすことをお望みですから」
村にひとつしかない宿屋には、行商人たちが毎回泊まる。卸す前の作物や珍品を売ってもらえたりすると、以前宿屋のおかみさんから聞いたことがある。なるほど。あそこなら食料も大量に確保しているし、ここに定期的に補充できるだろう。
「入浴は、隣の専用の浴室を使ってください」
「えっ専用だなんて恐れ多い——わかりました」
またミレナさんから冷ややかな空気が出かけたので、素直に同意した。
その代わり、頭を下げた。
「いろいろよくしていただいてありがとうございます」
顔を上げてから付け足す。
「明日からがんばりますね! 少しでもお役に立てたらいいんですけど」
すると、ミレナさんは少しだけ目を見開いて小さく呟いた。
「アーモス……」
「え?」
「あ、いえ、なんでもありません。屋敷の他の使用人たちとは、明日、エーリク様が紹介してくれるはずです」
「わかりました」
では、と出ていくミレナさんを見送ったから、言われた通り私はベッドに横になった。
「またふわふわだ……」
喜びながらも私は、
「……今が特別なだけだよ」
そう自分に言い聞かせた。
こんなふわふわで暖かくて優しいものを当たり前に思ってしまってはいけない。
そうじゃなくなったときが、つらすぎる。
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一方。
「おや、今回はこれだけしか薬が出来てないのか? どうしたんだ?」
ルジェナのいなくなったバレクス薬草工房では、いつもの行商人パウルが不思議そうな声を出した。
普段の三分の一ほどしか持っていける薬がないのだ。
ダリミルが不貞腐れたように言う。
「うるさいな。いいだろ、別に」
「薬草が不足してるのかね?」
「わざわざあんたに理由を言うつもりはない」
かちんときたパウルは言い返す。
「別に構わんよ。ここはついでに寄ってるだけだ」
「ふん。強がって。うちの薬が卸せなかったら困るくせに」
「おやおや、見くびられたもんだね。そりゃ、魔女の村の薬は人気があるから欲しいけどね、偉そうにされてまで買うことないさ」
「なんだと?」
「困るのはそっちさ。こんな小さい村の中で細々と売っていても大した儲けにならんくせに。うちみたいなところが王都で卸してやるから、利がでるんじゃないか」
言い返さないダリミルを、パウルは鼻で笑う。
「まあ、用事が済んだらもう一回寄ってやるよ。そのときまでに薬をかき集めて置くんだね」
パウルが出て行った後、ダリミルはすぐにディーゴーとフランツのところに向かった。あいつらがのんびりしてるから、行商人ごときに馬鹿にされるんだ。この俺が!
「おい、もっと薬を作れ! 寝る暇なんてあると思うな!」
調剤室に入るなりそう怒鳴ると、
「これが寝てる顔に見えますかね」
げっそりとやつれたディーゴーがそこにいた。
「ど、どうしたんだ、その顔」
「薬を作ってるからですよ」
「フランツはどうした? サボってるんじゃないだろうな」
「あいつも寝てませんよ。だけど一旦帰らせました」
「寝てないのなら、なんで薬が出来ないんだ」
ディーゴーは呆れたように答えた。
「ルジェナがいないからですよ。当たり前じゃないですか。若旦那、どうしてルジェナを引き止めなかったんです?」
「……うるさいな、辞めるって言う奴を置いていても仕方ないだろ」
「そうかもしれませんがね、おかげでこっちは大弱りですよ。あと五人ほど増やしてもらえませんかね」
「五人? なに馬鹿なこと言ってるんだ。辞めたのはルジェナ一人だろ。入れるにしても薬師一人でいいはずだ。どさくさに紛れて楽をしようとしてやがるな?」
ディーゴーは怒る気力もなさそうに言った。
「ルジェナが薬だけ作ってたと思ってるんですか? あんなにあちこち動きまわってたのに」
「ああ、ふらふらヘラヘラしていたな」
「ふらふら? ヘラヘラ? それ、本気で言ってるんですか?」
ダリミルはディーゴーから目をそらした。
「まあ……多少は用事もしてたかもしれないな。それにしても五人は言い過ぎだ。リリアもいるだろ」
そうだ、五人は言い過ぎだ。
ダリミルは自分で自分に言い聞かせるようにそう言った。
しかし、ディーゴーは首を振る。
「あんなお嬢ちゃん、なんの役にも立ちませんよ」
「なんだと」
「ルジェナは調剤だけでなく、準備から片付け、温室の管理に、材料の粉砕までやってくれていたんですよ? いなくなったら時間かかるのも当然ですわい」
ディーゴーはやれやれと腰を伸ばし、もう一度ダリミルに言った。
「いてて……若旦那、本当になぜ、ルジェナを引き止めなかったんですか。今からでも探して呼び戻してくださいよ」
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「エーリク様、本日からよろしくお願いします!」
ぐっすり眠った次の日、私は正式に王立研究所の所員になった。
エーリク様の研究室で、緊張しながら挨拶をする。
「こちらこそよろしく。ルジェナ」
エーリク様はにっこり笑ってそう言ってくれた。
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