11、薬草工房で一年間働いた額の二十倍
「本当か!」
エーリク様は嬉しそうに目を輝かせた。
だけど、言ってから私はハッとした。
「あ、でも本当に私は魔女としての役には立ちませんけど、それでもいいですか?」
エーリク様は大声で言った。
「もちろんだよ! 薬草の知識を貸してほしい」
「それも、どれだけ期待に添えれるか」
「ルジェナ、君、もっと自信持っていいよ。さっきのこれ」
エーリク様は机の上のコプシバを指で押さえた。
「これをあんなにすぐ見分ける人はまずいない。本当にすごく難しいんだよ」
「え、そうなんですか?」
「そもそも、この薬草はこの村でしか生えていないからね。見ること自体ない」
「知らなかった……」
当たり前のように毎日扱っていた薬草なのに。エーリク様は続ける。
「しかも、これ、コプナラとそっくりだろ? コプナラはどこでも生えているから、大抵はコプナラと思われているんだ」
「コプナラですか。まあまあ似てますが、見比べたら全然違いますよ?」
「それがわからないんだって」
エーリク様は苦笑する。
「だから、一枚一枚、試薬石で引っ掻いて反応を見てから使っていた。これを見分けてくれるだけでも大助かりだ。お母上から教わったのかな?」
「薬草の知識はほぼ祖父から教わりました。祖母も母も忙しかったので、祖父にいつも本を読んでもらっていたんです。祖父が亡くなってからは独学で」
「そうか」
エーリク様は優しく笑った。
「ルジェナが知識を身につけてくれていたおかげで助かるよ」
私は不意に泣きそうになった。
魔女である私が薬草の知識を持っていても、誉められたことなんてなかった。むしろ、知らないことがあると笑われるので、一人になってからはさらに一生懸命覚えた。
でも、目の前のエーリク様は、その知識をこんなに喜んでくれる。
——死ぬほど働いて恩を返そう!
人知れず決意していると、ミレナさんが言った。
「お話が決まって喜ばしいことですが、エーリク様、もうひとつの件をお忘れではありませんか?」
「あ、そうだ」
エーリク様はハッとしたように私に向き直った。
「ルジェナ、研究所で働くのとは別件で、君に仕事を頼みたいんだが。もちろん給金は別に払う」
「なんですか? なんでもおっしゃってください」
死ぬほど働いて恩を返す決意をしたばかりの私は、さっきとは違ってゆったりした気持ちで聞き返すことができた。どんな内容でも、「万能薬」を魔力なしで作ることよりは驚かない。
エーリク様は真剣な顔で言った。
「君に私の婚約者になってもらいたいんだ」
「こ……?」
「婚約者」
嘘だった。さっきよりも驚いた。息をするのも忘れて驚いたせいで言葉が出ない。
「あ、もちろん、フリでいい。偽者の」
いや、ちょっと待ってくださいという前にエーリク様は続ける。
「それでも、できるだけ長めに頼みたいんだ。ある程度のマナーは練習してもらうが、それにも給金は払う。具体的には——」
そこで示された金額は、私が薬草工房で一年間働いた額の二十倍だった。に、二十倍?!
何をどう答えていいかわからない私に、エーリク様は言った。
「少ないかな? ではもう少し——」
「少なくないです!! 充分です!」
やっと声が出せたのでつい叫んだが、しまったと思った。
これでは引き受けたみたいじゃないか。
慌てて向き直ると、エーリク様もミレナさんも、心の底からほっとした表情になっていた。
「あの、違います! そうじゃなくて、えっと」
慌てて説明しようとしたら、エーリク様が微笑んだ。
「わかってる。大丈夫だよ、無理強いはしない。金額だけのことじゃないからね」
そう話すエーリク様の青い瞳を見ていると、引き受けてもいいかなと思ったのも正直な気持ちだ。
死ぬほど働いて恩を返すつもりだったんだ。これで喜んでもらえるなら。
でも。
「あの、まずは理由を聞かせてもらってもいいですか?」
どうせなら、ちゃんと理由を知ってから始めたかった。
「そもそも貴族の人たちって、親が決めた婚約者がいるんじゃないんですか?」
「万能薬」を求めてうちに来る人たちの中には貴族の人もいたし、薬草以外のことにも詳しいおじいちゃんに、貴族の事情などを教えてもらったことがある。
私にいきなりこんなことを頼むなんて、よほどのことではないだろうか。
「その通りだ」
案の定、エーリク様は顔を曇らせた。
「私の場合、親ではないが、それなりに世話になっている人に自分の娘との婚約を勧められてね」
「はあ」
「何度か断ったんだけど向こうも諦めない様子だったんで、咄嗟に心に決めた人がいると言ってしまったんだ」
「そんなに婚約したくなかったんですか?」
「婚約したらいずれは結婚するだろう?」
「だと思います」
「その相手と結婚したら、もう自由に研究できなくなるんだ。方向性が違いすぎる」
ものすごい速さで腑に落ちた。思わず聞く。
「あの、もしかしてエーリク様は、研究や勉強をするのがとても好きなんですか?」
「好きすぎるくらいだ」
——おじいちゃんもそうだった。
ちょっとでも体調がよくなると、図鑑を手に家の周りを散策して、突然しゃがみ込んでは足元の野草を調べたりしていた。
私は姿勢を正し、エーリク様の目を見て答えた。
「わかりました。私でお役に立てるならお引き受けします」
「ルジェナ! ありがとう! 助かるよ」
おじいちゃんを思い出してしまってはもう断れない。
ただ、ひとつだけ譲れないことがあった。
「その代わり、条件があります」
「なんでも言ってくれ」
「お金はいりません。これは私なりの、エーリク様への恩返しです」
命まで救ってくれた人なのだ。そんな薬草工房での一年の給金の二十倍の金額なんて受け取れない。
「いや、しかし、君への負担が大きすぎる案件だ。少ないくらいだと私は思っている」
お金持ちだなあ。
だけど、そこは私も言い返した。
「薬師としてのお給金はいただきます。だけど、それ以上はいただけません。命を助けてもらって治療もしてもらって仕事と住むところまで世話してもらって、お礼が足りないのはこちらの方です」
「でもルジェナ」
「私で役に立つなら使ってください」
私とエーリク様はしばらく黙って睨み合っていたが、
「わかった。それではルジェナの気持ちに甘えて、婚約者の代理に関しての給金は払わない」
エーリク様が諦めたようにそう言った。
しかし、すぐににっこり笑って付け足した。
「でも、私の婚約者相当の生活をしてもらわなくてはね。まさかそれまでは断らないだろう?」
「え?」
結局、薬師の仕事以外の時間は、とても豪華な待遇を受けることになってしまった。
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