6、死ぬぞ

      ‡


「……い」


 それからどれくらい時間が経ったのか。


「……い!」


 耳元で誰かの怒鳴り声がした。

 

「おい!」


 知らない男の人の声だ。


「死ぬぞ!」


 うるさい、と私は思う。

 

「聞け! 起きろ!」


 ——あと少し……寝かせて。


 すると。


 バチンバチン!


 誰かが私の頬を叩いた。


 うっすら目を開けると、男の人の顔がすぐ近くにあった。暖かそうな毛皮の帽子と、高価そうな外套を身に付けている。

 私からすれば非日常の豪華さだ。

 だから思わず声が出た。


「……え?」


 すると、その青い瞳がほっとしたように緩んだ。

 

「よし、えらいぞ! 自分の名前言えるかな? 年齢は?」


 ——えらい? 私、何にもしてないのに? ていうか、ああ、そうだ、ユスの実……。


 バチンバチン!


 私はまた眠りかけていたらしい。再度頬を叩かれて、呟く。

 

「痛い……誰?」

「私か? 私はエーリクだ。そっちこそ誰か知らないが、しっかりしろ!」


 その人は、ためらいなく外套を脱いで私にかけた。

 そのままぐいっと抱き上げる。

 その腕を暖かいと思った瞬間、今まで感じなかった寒さを突然自覚した。


 ——寒い!!


 自分では制御できない震えが一気に全身を襲う。


「さ、さ……む……」

「当たり前だ!」


 怒ったように怒鳴られて、謝ろうとしても震えて上手く喋れない。


「こんなに冷えきって!」


 ガチガチと歯の根を鳴らして震える私を抱えたまま、その人は移動した。


「クルト、毛布を出してくれ!」

「はい! 旦那様!」


 どれほど運ばれたのか、気付いたら馬車に乗っていた。暖かい空気がぶわっと私を包み、私は芯から安堵した。

 まだ震えは止まってなかったけれど、


「もう大丈夫だ」


 そんなふうに言ってくれるのが聞こえたから。

 

 ——それがエーリク様との出会いだった。

   

   ‡


 気が付くと、あり得ないくらい立派なベッドに横になっていた。 

 天蓋から下がる布は見るからに上等な織物で、シーツの手触りはツルツルスベスベだ。

 体に乗せられた布団は軽いのに温かい。


 ——どこ?


 どう考えても私が使っていいベッドではない。震えも治まっていることだし起き上がろうとした。

 だが。


「……れ?」


 頭がくらくらして体を持ち上げることができなかった。

 そのわずかな動きを察したのか、女の人がベッドに近寄ってきた。母ほどの年齢だろうか。ブルネットの髪をきりっとひとつにまとめている。


「目が覚めましたか?」


 口調もきりっとしていたが、眼差しは柔らかだった。そっと布団をかけ直し、私に微笑む。


「まだ横になっていてください。今エーリク様を呼んできます」


 すみません、と声を出そうとして、げほんげほんと咳き込んだ。女の人はすべてわかっていると言わんばかりに頷いた。


「お水、飲めますか?」


 私は目だけで同意する。女の人は体を起こしてくれて豪華なコップで水を飲ませてくれた。

 一息ついて、また横になる。


「お着替えと足の治療は私がさせていただいたので、ご安心ください」


 女の人はそう言い残し部屋を出て行った。


 ——お着替え? 治療?


 ハッとして布団の中の自分の体を見ると、質の良さそうな寝間着を身に付けていた。捻った足にも包帯が巻かれている。さっきの人は、説明もなくそれを知ると、私が動揺すると思ってあらかじめ教えてくれたのだろう。


 ——優しいな。


 身の程に合わない場所だったけど、それだけで少し落ち着いた。

 寝心地のいい布団の上で全身を脱力させていると、再び眠気が訪れる。

 だけど眠りはしなかった。

 足音とともに大きな声が響いたからだ。


「起きたって?! そうか、よかった!」

「エーリク様! お静かに!」


 女の人がピシッとエーリク様とやらを叱責する。


 ——い、いいの? 敬称つけて呼ぶあたり、「エーリク様」の方が主人じゃないの?

 

 そんな私の疑念をよそに、


「おっと、そうだった」


 エーリク様は気を悪くした様子もなく声のトーンを落とした。それどころか、


「君、大丈夫か? いきなり大声だしてすまなかった」


 素直に私に謝った。


 ——いえいえ、そんな滅相もない!


 そう言いたかったが声は出そうにない。目だけでなんとか気持ちを伝えようとしていると、エーリク様はゆっくりと私に近付いて自己紹介した。

 無造作にまとめられた金髪に、見覚えのある青い瞳。


「私はこの屋敷の主人、エーリク・マトゥシュ・バルツァルだ。こちらはミレナ・グリュートン。君が元気になるまで身の回りの世話をしてくれる」


 さっきの女の人はミレナさんと言うらしい。

 目を合わせると微笑んでくれたので、私も小さく頷いた。

 エーリク様は次に部屋の隅に立っている少年を指した。私と同じか、少し年下に見える、さらさらで茶色の髪の、目がぱっちりした少年だ。


「あちらにいるのがクルト・フレパシー。見習い従者だ。不審な者がいれば彼に言うといい」


 クルトさんですね。よろしく……と目線を送ったが彼はミレナさんとは違い、ギロッと睨み返されるだけだった。だけどそんなに凄味はない。

 クルトさんは、私ではなくエーリク様に言った。


「こいつが一番の不審者じゃないですか。顔が綺麗だからって騙されてはいけませんよ! 森の魔物かもしれませんよ!!」

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