真夜中の闇が全て隠してくれる
金石みずき
真夜中の闇が全て隠してくれる
「本当に来てくれたんだ」
うすぼんやりとしか見えない視界の中、君が弾んだ声をあげた。
「そりゃあね。こんな時間に生徒が外を出歩くと訊けば、出てこないわけにはいかないよ。ましてや、君は女の子だからね」
「男女差別?」
「区別さ。――まぁ、男の子に呼ばれても来ただろうけどね」
ふーん、と面白くなさそうな声をあげるこの子は僕が担当しているクラスの生徒で、僕をここに呼び出した張本人だ。
――午前二時、学校近くの公園で待ってるね。
日付が変わるころ、そんなメッセージが僕のスマホに届いた。ただの悪戯かとも思ったが、この子は『待ってる』と言えば本当に待つ子だ。呼び出しに応じない手はなかった。
「ところで、なんで呼び出したりなんかしたの?」
「この時間にならないと、親が寝てくれないの」
「黙って抜け出してきたのか」
怒る? と訊く君に、別に、と返す。教師としては注意すべきなのかもしれないが、僕にその気はなかった。もう高校生だ。やっていいことと悪いことの区別はついている。敢えてやったということは、その必要があったということなのだろう。
「なんで、って質問に答えてもらってないけど?」
僕の問いかけに君は、そうだね、と楽しそうな声。そして、夜は色々隠してくれるから、と答えた。
「何か隠さなきゃいけないことがあるの?」
「隠さなきゃいけないことだらけだよ。私ね、親や友達なんかに言えることの方が少ないの」
言葉の不穏さに反比例するように、その口調は実にあっさりとしたものだった。
少し考えて、僕もそうかも、と返す。
他人と話しているよりも自分と対話している時間の方がずっとずっと長いものだ。言葉にして外に吐き出すのはそのたった一部でしかない。もしも心に澱を残さずに全て吐き出してしまえる人がいるならば、どれほどまでに羨ましいだろうか。僕は今この瞬間にも澱をため込んでしまっているというのに。
――真夜中の闇が全て隠してくれる。
琴が鳴るような綺麗な声で話す君は、一体どのような澱を抱えているのだろう。教室での普段の振舞いを見る限り、想像出来なかった。
……なんて、こんなことを言うのは無責任か。その一部を、多分僕は知ってしまっている。
「ねぇ、先生」
少し、声の色が落ちた。
「この前の返事、考えてくれた?」
心配そうに君は言う。
「僕は教師だからね。……これ以上は、言わなくてもわかるだろう?」
そっか、と小さな呟き。沈黙が訪れ、少し安心する。
これ以上僕に踏み込まないで欲しい。
――真夜中の闇が全て隠してくれる。
顔も見えないこの暗闇が、君の姿を隠してくれていることに、心底安心した。この内に秘めた、密かな恋心も一緒に覆い隠してくれているような気がしたから。
――だけど。
「ねぇ、先生」
先ほどよりもなぜか少し明るい声。
「何も見えないね」
「見えないな」
でもわかるよ、と君が続ける。
「先生が今どんな顔してるのか。……こんな夜なんかに誤魔化されてあげない」
確信に満ちた声だ。そして表情も。見えないが、わかる。
それは僕だって同じだ。
それほどまでに、僕たちはたくさんの人がいる教室で、ただ一人だけを見てきた。
「ねぇ、先生……ううん、名も知らない、そこにいるあなた」
僕に語り聞かせるように君が言う。
「私とあなたはこの真夜中に出会ったの」
君の綺麗な声が僕の耳朶をうち、心に染みるように入り込んで来る。
「お互い顔も立場も知らない、真夜中に出会っただけの関係。だからさ、もし何かを間違えたとしてもそれは仕方なかったんだよ」
だって知らなかったんだもの、と可笑しそうな声。
足音がこちらに近づいて、僕まであと一歩というところで止まった。
「好きだよ」
だから僕は――。
靴の底を地面が削る音がした。
「……ねぇ、こんなに近づいたら、顔、見えちゃうよ」
期待に満ちた……いや、確信を得た声で君が言う。くりりとした綺麗な瞳が、少し潤んで瞬いた。
もう僕たちを隔てていた真夜中の闇なんて、まるで役に立っちゃいなかった。
――けれど。
「でも周りからは見えないよね」
「……そうかも。じゃあ、いっか」
うん、いっか。僕が言うと君が目を閉じた。
――真夜中の闇が全て隠してくれる。
初めてのキスは、嬉しくてちょっと寂しい、夜の味がした。
真夜中の闇が全て隠してくれる 金石みずき @mizuki_kanaiwa
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