第2話 未来とお笑いと

4 イケボおじさん


 どうやって家まで帰ってきたかを覚えていない。あの声を聞いて怖くなって、速足で帰ってきたまでは覚えている。あと、タバコ一本無駄にしたな。吸いかけてたから、あと数分はまだ吸えたのに。


あの声は間違いなくおじさんだ。年にして五十歳代。それもイケボ。周りには誰もいなかった。いたのは、上空の航空自衛隊の哨戒機くらい。哨戒機が上空にいたのは訓練だろう。もしかして哨戒機から最新の技術で、私に音声を送ったのか。そんな技術あるわけないだろ。


 こんな事を、自分の部屋の電子ピアノの前で考えていた。上着のブルゾンも脱がずに。ポケットに手を入れて格好をつけてる私。なぜか映画の主人公になった気分だ。こういう事をしてみたかったんだ。


「子供部屋おじさん、こんにちは」


「まじかよ」と思った。間違いない、先ほどのイケボおじさんだ。実音で聞こえてくる。自分の部屋なので間違いなく人はいない。急に怖くなる私。

でも、男に生まれたのでこのような怖い時は、平然とした態度で強がりたい。

女性にはわからないだろうな、この強がり。


「いい加減にしろ! どこのおじさんか知らんけど」


震えた小声で見えないおじさんに言ってみた。大声で言うと、隣の部屋にいる親に心配をかけてしまうからな。体が震える状況で、怖さを消すために怒ってみた。自分を保つためにはこれしかない。部屋のアナログ時計の秒針が聞こえる。返事はない。

あれ? これはもしかして……


 ふと冷静に考えたら、私って幻聴が聞こえてしまう病なのか。

眼科の次は精神科か。こういうのが幻聴か。これで悩んでいる人も多いって聞いたことある。マジか、ショックだ。無職が原因でうつ不安症になっているのかも。大学の精神学概論で学んだこと思いだせ。

確か……


「幻聴だと思うか? 指向性は?」


なんのアドバイスだこれ。なぜ幻聴と疑っているのがバレたんだ。時計の長針が動いて時間が変わった音が、いつも以上に聞こえた。

まあ確かに指向性をなんとなく感じる。指向性というのは音が聞こえてくる方向の事だよな。今は左上から聞こえてる。左上を見てみたが誰もいないし、天井のシミがあるだけだ。


実音で聞こえるということは、鼓膜を振動させて音を伝えているんだよな。他に音を聞く原理あったっけ? 骨伝導か? 

鼓膜あるいは骨伝導の振動を、耳の奥にある蝸牛かぎゅうが電気信号に変換してくれて音の情報を脳に送っているんだよな。幻聴ではないのは間違いないけど、実音だという確証もない。体がまた震えてきた。そもそもなんで私は、普通に会話しているんだろう。そしてこれを会話っていっていいのかな。対面していないし。


「心の声が私に聞こえてるぞ」


急に頭に入り込むようなガツンと殴られたような言葉が聞こえてきた。何が起きているのか、全然わからない。まるでドアが開いたり閉まったりする感覚。聞こえてくるときは急に聞こえるし、聞こえないときはドアが閉まっているイメージがこの時についた。


「いいか。おれがお前に話しかけているのは事実だ。周りには誰もいないし見えないだろう」

「はい」


5 バックドア


「はい」という返事は、今の私が出来る最大限の降参のサイン。なるしかならない。流れに身を任せてみよう。体の震えが止まった。悟ったからかもしれない。すると、イケボおじさんは長々と語り始めた。


「ざっくり言うとだな、バックドアで佐藤うとさが生きている今この場所に、我々未来人は来ている。お前にはこれから色々な事を考察してもらう。それが残の世界になっていく。お前は四十でやっと気付いたんだ、自分の存在というものにな」


四十歳無職に、いきなり未来人だのバックドアだの理解不能な事を言わないで欲しい。未来人はぎりでわかる。未来から来たんだろう。じゃあバックドアってなんだ? 残ってなんだ? 聞いてみるか。


「あの、バックドアってなんですか?」


低音で「ふふふ」という笑い声が聞こえた。漫画なら悪役だ。まだイケボおじさんの事を何も知らないけど、悪い人ではない気がする。そういう人を見る目、いや、見てないか。なんとなくだけど、人間性を捉える能力は私にはあると思っている。イケボおじさんはゆっくりと語りだした。


「ざっくり言うとだな、圧縮した空間と膨張させた空間が繋がって時空を越える」


全く頭に入ってこない。圧縮した空間って圧力が高まっているんだよな。その中にいたら人は死ぬだろ。そして膨張した空間って天気の雲の原理だっけか。


「急激に圧力をかけると次元が歪む。逆に急に膨張させても次元が歪む。この二つの時間軸とベクトルを一緒にすればバックドアもフロントドアも可能になる」


私は学生時代に勉強してきた方ではないし、物理は苦手な方だったからよくわからない。難しい話をされるとなぜか目が熱くなって眠くなる。面倒くさいから先に進むよう促してみるか。


「なんとなくタイムスリップするってことでわかりました。次は残について教えてください」

「それはまだ早い。覚えておいて欲しいのは残の世界に笑いが必要。なぜなら、特殊能力がある奴は、ない人にとっては怖い存在だろ。だから笑いを添えてお届けすることで、恐怖が薄れる。メモしろ」


ギャグセンスがない私は残の世界で生きていけるんだろうか。メモ帳も持ってないけど

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