第14話/二章-①

 翌朝、目を覚ました俺は昨日の出来事を思い出して、ベッドの上で溜息を吐いた。

 こんなリアルな夢もあるまい。現実である以上、あの個性豊かな変人たちと交流する方法を考えねばならない。気が滅入る……。


 学園まではバスと電車を乗り継いで一時間半。昨日と同じように六時に家を出て、七時半には校門の前へ到着する。出勤時刻である八時まで、まだ時間に余裕がある。しかし、昨日よりも心には余裕がない事を自覚している。


「和久井先生!」

 校門を抜けるや否や背中へ声を掛けてきたのは相模原教諭だった。


「昨日は大丈夫でしたか……? その……」

 その声には憂慮が多分に配合されている。


「……えぇ、まぁ。やっていけるかどうかは、未知数ですが……」


「そう……ですよね……」

 相模原教諭も人が悪い。

 変人の巣窟だと事前に教えておいてくれれば、心の準備くらいはできただろうに。


「……本当は……私が顧問をすべきなんです……」

 相模原教諭はポツリと呟いた。


「え……?」

 俯いて肩を震わせるその姿は、まるで悪戯を懺悔する小学生のようだ。


「……総合文芸部は、もともと私が副顧問を務めていたんです。文芸部と兼任でしたが……。本当は私が責任をもって面倒を見るべきなんです……でも……」

 手に負えなかった、と。


「副顧問? 顧問は誰だったんです?」


「御前崎先生が顧問でしたが、退職されました。なんでも精神を病んでしまったとかで……」


「それは、また……」

 個性豊かな部員の面々が脳裏を過ぎり、思わず納得してしまう。校長が腫物扱いするのも今では頷ける。そんな訳で、退職した顧問の代替品が俺、ということなのだろう。


「……ごめんなさい」

 声を詰まらせ、深く頭を下げる相模原教諭。

 馬鹿正直な人だ。新人が貧乏くじを引いただけだっていうのに、自分を責めて……。


「……俺はチャンスだと思ってますから。うまくいけば、正規教員になれますし、頑張りますよ。だから、頭を上げてください」

 ひねくれた思考とは裏腹に、俺の心には爽やかな風が吹き込んでいた。


「……和久井先生……」

 おずおずと頭を上げた相模原教諭は、


「お手伝いさせて下さい! なんでもしますから!」

 覚悟を秘めた瞳で俺を見つめる。


「事情はわかりました。大変な時はお願いします」


「はい! いつでも言って下さい!」

 控えめな胸を一つ叩いた相模原教諭は、心のつかえが取れたように微笑んだ。




 朝礼が終わってすぐ、相模原教諭とともに校長室へ呼び出される。


「昨日は大変だったようだね?」

 校長は静かに問う……それは皮肉か、労いか……


「申し訳……ありません」

 判断に迷った俺は弁解を避け、素直に謝った。


「……卍風理くん本人が、自業自得だとうわごとのように繰り返していた、と聞いている。検査入院は長引きそうだが、命に別状はないというし……。今回、君に落ち度は無いようだ」

 俺は頭を下げたまま、小さく安堵の息を吐いた。


「……それに、代わりも……」

 そこで言葉を切り、おもむろに立ち上がった校長は、


「……いないしね……」

 肩身が狭そうに俯く相模原教諭を一瞥して、窓辺へ向かう。


「どうかね、和久井先生。なんとかなりそうかね?」

 出窓に並んだ観葉植物に水を遣るその瞳は、慈愛とはかけ離れている。


「……自信はないですが」

 小さなブリキの水差しを出窓の定位置であろう皿の上に置いた校長はゆっくりと近づいてくると、俺の手を両手で恭しく包んだ。


「うまくいけば正規教員の推薦をお約束します。和久井先生……頼みましたよ!」

 中年男の妙にスベスベとした温かい手が気持ち悪い。


「あいつらに警察沙汰だけは起こさせないでください! ね!」

 ジョークではないと校長の真剣な眼差しが語っている……確かに、あいつらなら、いつ警察のご厄介になっても不思議ではない。俺には黙って頷く事しかできなかった。




 今でこそ教育係の相模原教諭に金魚の糞の如くついて回って、授業の進め方を教えてもらっているが、夏休み明けの二学期には、一人で教鞭を取ることになる。猶予は一ヶ月ほどしかない。それでも、頭の中はラノベ窟で一杯一杯だ。覚えることは際限なくあるというのに……。


 あっというまに、放課後がやってくる。一日の授業進度をノートへまとめ、急いで必要な書類を作成すると、休む暇なく椅子から立ち上がる。あいつらを待たせると何を言われるか、わかったもんじゃない。


「和久井先生!」

 隣席の相模原教諭が俺の背中へ声を投げる。

「……行かれるんですね?」


「はい。行ってきます」


「ご武運を……」


 まるで戦へ向かう兵士を見送るように、その声には鋭い気迫が含まれていた。


 職員室を出た俺は駆けた。生徒の姿を認めると、速度を落とす。それを繰り返しながら、焦りに背中を押されるように、正門を目指す。

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