第10話/一章-⑨

「響も本を出してるのか⁉」


 ますます自らの存在価値が失墜していく感覚にさいなまれる。


「シャルちゃんに勧められて応募した作品が賞を頂きまして……発売されたばかりなんです」

 棚から赤い背表紙の文庫を一冊抜き出すと、優しく手渡してくれる。どこぞの誰かさんとは立ち居振る舞いが違う。そう思って紗里緒を見ると、鋭い眼光で睨まれた。心の内を読まれているようで、咄嗟に視線を外す。


「執筆のヒントになるといいんですが」

 確かに、響の書いた小説なら安心して読める気がする。


「なんか……肌色が……」


 期待は一瞬で裏切られた。視線を落とした表紙に映る少女の服は激しく乱れていて、露わになった胸と太ももが殊更に強調されている。文庫をまとう帯には『挿入インサートから始まる物語ストーリー!』の文字が力強いフォントで躍る。


「挿入って……」


「アオリはお気になさらず」

 響の朗らかでいて、圧を放っている笑顔が怖い。


 表紙をめくり、折り畳まれた扉絵のカラーイラストを広げる。そこには酒池肉林としかいいようのない、少女たちの痴態が余すことなく描かれている。


「……あのー……これって……」


「まぁ、読んでみて下さい」

 笑顔を崩すことなく、響は先を促す。確かに、これは出版社側の意向ということもあるだろう。購入層が若い男性であれば、挿絵が過激になるのも当然の販売戦略といっていい。

 しかし、読み進めるごとに、確信を得る。これは作者の、つまり響の意思である、と。


 挿絵が可愛く思える程の、ねちっこい文章……読んだあと暫く余韻が尾を引きそうなストーリー展開……読者を翻弄する構成……


「これって、官能小……」

 言いかけた俺の唇を、響の柔らかな人差し指が遮る。

 その怪しげな笑顔は、黙って続きを読むように催促する。つべこべ言うな、官能小説だったら何なの、と無言で警告している。色々と言いたい事を飲み込んで、俺は文庫へ向き直った。


 あらすじを口に出すのは憚られる。やめておこう……。

 物語は、積み上げていく情動を一気に崩し去る性の解放を繰り返す。事ある毎に少女は嬌声を上げ、服がはだける。それでも下品にならないのは登場人物の性格と心理描写が緻密に深堀りされているからだ。それがまた、底なし沼のように作品の世界へ引き摺りこむ。没頭させる。年齢制限に引っかからないように直接的な表現は控えられているものの、それがまた妄想を掻き立て、モヤモヤを増大させる。溢れ出した昂奮が、ページを繰る手を急がせる。急速に活性化された血流が脳を灼き、下半身が熱をもつ。


 駆け抜けるような展開が続き、最後の最後ですべての煩悩を昇華させる……。一気に読み終えた俺は、荒い呼吸を整えるべく大きく薄く一息を吐いた。


「……センセイ……」

 耳に吐息が吹きかかり、


「勃ってますよ?」

 見透かすような薄笑いが囁く。


「――⁉ これは……生理現象だろ!」

 俺は一足飛びで間合いを取ると、言い訳を叫ぶ。


「賞賛のフル勃起……光栄……です」

 そう言って、響は歪に笑った。女子高生が勃起とか言うなよ……。


 実際、物語としての完成度は高い。感情を揺さぶり、読者をもてあそぶような文章力が、確かにあった。しかし、目の前の快活な少女が書いたとは、俄かに信じがたい。


「せいのうずき……」

 表紙に記された作者名を呼んでみる。


聖野卯月ひじりのうづきですよ、センセイ!」

 なるほど。情欲こそが彼女にとって普遍のテーマなのだろう。そんな覚悟を感じる。


「いや、恐れ入った……」

 高校生でこれだけの作品を書けるのだ……さぞや経験豊富なんだろうな……


 下衆の勘繰りだとわかっていた。しかし、無意識に浅ましい好奇の瞳で、目の前の清純そうな少女を見たのだろう。


「私……処女ですよ?」

 思考を読み取ったかのように、響は微笑む。


「なっ⁉」


「響ん家は由緒正しい神社だから……巫女がアレだと……ねぇ」

 心を読まれた動揺から立ち直れず、口をパクパクさせるだけの俺に紗里緒が補足する。


「……神社⁉ 神主の娘があんな小説を書いてんのか⁉」

 驚いた、というより大丈夫なのか、それは……しかし、禁忌に手を染めているようでむしろ興奮するな……って、変態か! 俺は!


「神事ってね、センセイ……妖艶なんですよ。依り代たる巫女は神と合体するわけですから、身も心も委ねるわけです。その愉悦と陶酔が私の作品の根源なんです。だから……」

 そっと身体を摺り寄せた響は、


「未経験なんで、安心してください」

 もはや温かい吐息としか感じられない囁きを耳元へ吹き込む。


「な、なな、なにを安心するんだよ!」

 ツッコミながらも、奇妙な安堵を自覚する。一歩退いた響は、悪戯っぽく笑っている。


「わかったでしょう。何故、響が部長なのか……」

 紗里緒が諭すように呟く。


「これだけの荒々しい欲望を内包しながらも、外面はいい。まともに感情をコントロールできるのは、この部には響しかいない」

 それは残る一人の部員がヤベー奴であることの確約だった。その時、


「やっほー☆」


 軽い声とともに、扉が開く。

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