インスタントコーヒーとコンプリケイトヒューマン

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インスタントコーヒーとコンプリケイトヒューマン

 某年某月某日某所。

 奇妙な殺人事件が発生した。

 被害者はジェイコム・アークライト31歳。身長は189センチメートル。体重は138キログラム。独身だが交際をしている女性がいた。死因は窒息死。


 この事件が奇妙と形容される理由は、この哀れな被害者がインスタントコーヒーに埋められて殺害された、と推測されているからである。


「と言うのもですね、被害者の鼻や口、それから身に付けていた衣服なんかに大量のインスタントコーヒーが付着していたんですよ。」


「インスタントコーヒーに埋めて殺害ですか。随分と嗜好を凝らした殺し方ですね。近くに人が埋まるほど大量のインスタントコーヒーを置いてある場所はありましたか?」


「ありませんでした。しかも謎はそれだけではなく......着きましたよ。ここが死体が発見された館です。」


 車を降りた探偵はまず顔をしかめた。

 臭い。臭いのだ。なんという臭さ。鼻がねじまがってしまいそうである。これはキンモクセイの匂いだ。あまりにも匂いが強すぎる。


「キンモクセイです。館の壁に沿うように植えられているんです。」


「この異常なキンモクセイ群のことは後で聞くとして、まずは容疑者達に話を聞きに行きましょうか。」


 探偵は既に車の中で刑事に容疑者達のことをある程度聞かされている。


 容疑者は6人いる。以下は刑事が収集した情報をまとめたものである。


 1人目はアレクサンダー・ジェファソン。身長は178センチメートル。体重は108キログラム。元ラグビー部。筋骨粒々で精悍な顔つきの好青年。睡眠薬を持っていた。仕事は某博物館の警備員。


 2人目はアニス・ジェイソン。身長は170センチメートル。体重は80キログラム。館の主人で、他の6人を招待した。名目は同窓会。アニスと被害者含めた7人は高校の同級生だとのこと。仕事は自営業。


 3人目はスーザン・サンドラ。身長は182センチメートル。体重について聞いた警官は靴を踏まれた。高飛車な性格で甲高い声が特徴とのこと。独身。会社勤めの社畜。


 4人目はマイケル・ニューソン。身長は182センチメートル。体重は70キログラム。体が細くか弱そうだが、積極的に調査に協力してくれているとのこと。大学で講義をやっている。


 5人目はロマニエ・ブラウン。身長は176センチメートル。体重は80キログラム。ジェイコムの死に恐怖しており、精神的にかなり傷を負っている様子だ。最近職を失い、無職になったそうだ。


 6人目はエリザベス・アーデン。身長は173センチメートル。体重は恥ずかしいので教えたくないとのこと。ジェイコムは初恋の人だったらしい。バッグからカッターナイフが出てきた。某車会社に勤めている。


「だから、眠ったジェイコムを運べるのは体格的にアレクしかいないだろ!」


「俺はジェイコムより身長も体重も無いんだぞ。どうやって俺があのデカブツを運べるって言うんだよアニス。」


 館まで続く石畳を歩いていると、怒鳴り声が聞こえてきた。


「アニスとアレクが2人で運んだのよ! それ以外あり得ないわ!」


「黙れ、この売女め。お前が外から男を連れ込んで殺したんじゃないのか!」


 エントランスでは3人が言い争っていた。

 野太い声、がさついた声、甲高い声が交互に響き、耳が痛くなりそうだ。

 ふと見るとエントランスの上部に監視カメラらしきものを発見した。しかし刑事がなにも言わないことから、恐らくなにも映っていなかったのだろう。


「館は門扉が閉められるようになっていました。中からのみ鍵で施錠できる仕組みです。外部から他人が入ってきた可能性は低いと思われます。」


 刑事が言う。


「ということはアニス、あんたが外から共犯者を呼んだんじゃないのか?」


「バカを言うなアレク。なんで俺がジェイコムを殺さなきゃならないんだ。」


 身長の高いほうがアレクサンダー、低いほうがアニス、女は背が高いのでスーザンだろう。モデル体型だ。年齢は皆31歳。スーザンとアレクサンダーは若々しく見えたが、アニスはそれに比べると実年齢より若干老けて見えた。


「皆さん、探偵の方を連れてきました。今日中には帰れると思うので、是非とも調査に協力をお願いします。」


 エントランスの奥にも男が2人と女が1人。痩せている男がマイケルとすると、もう1人がロマニエ。そして女がエリザベスだろう。


「探偵? なんかの役に立つのかよこのチビ。」


「あら、今自分の罪が暴かれるかもって思ったでしょ。アレク、あなたは昔から緊張すると眉間にシワが寄るのよ。」


「あぁ、あぁ、うるさい黙れ! なんで自分の館で同級生が死んで、挙げ句には訳の分からんやつに嗅ぎ回されなきゃいけないんだ!」


 手前の3人は酷く乱心しているのに対し、奥のマイケル、ロマニエ、エリザベスの3人は清閑な感じだ。この差はなんなのだろうか。


「とにかく、今一度調査にご協力をお願いします。」


「まず死体の発見現場を見せて下さい。」


 探偵は刑事に案内され、ダイニングに向かった。


「館の構造ですが、客室が全て2階にあり、1階はアニスの仕事部屋、アニスの部屋、風呂、トイレ、キッチンと質素な造りになっています。死体はダイニングにて発見されました。」


「となると謎は3つに増えましたね。誰がジェイコムを殺したのか、どこに人が埋まるほどのインスタントコーヒーがあるのか、誰がジェイコムを掘り出しダイニングまで運んだのか。」


「3つとも検討もつきません。しかし、いくつか調査に役立つような情報はありましたのでお伝えします。」


 刑事の指示で、アレクサンダーがエントランスから連れて来られた。

 ジャージ姿の彼は髪も爪も短く切り揃えており、靴も磨かれていた。容姿に手を抜かない性格なのだろう。


「彼、アレクサンダーは睡眠薬を持っていました。ジェイコムは窒息死でしたので、インスタントコーヒーがどこにあるかはさておき、運ぶためには深い眠りに就かせる必要があったはずです。」


 刑事の言葉にアレクサンダーは反論する。


「だからさっきも説明しただろ。俺は2ヶ月くらい前から不眠症になったんだ。だから睡眠薬は寝る時必要だったんだよ。それに、睡眠薬があるならそれを大量に飲ませれば殺せたはずだろ。なんでインスタントコーヒーなんかに埋めるんだよ。」


 確かにそうだ。今回の事件が奇妙と形容される原因は、インスタントコーヒーに埋められて殺されたからである。なぜ犯人はそんな面倒くさい、手間の掛かる方法で殺したのだろうか?


「死体を確認させてもらっても?」


「良いですよ。」


 ダイニングの中央には椅子と大きな楕円形のテーブルがあった。昨晩は被害者を含めた7人で、ここを囲んで食事したのだろう。そんな神聖な場所を汚すように、ジェイコムの死体は置かれていた。


 ジェイコムの死体は手足が乱雑に投げ出されていた。顔は腫れていないが、青紫色の死斑が見られた。間違いなく窒息死。しかも首を絞められたのではなく、本当に生き埋めにされて殺されたと分かった。


「現場がかなり踏み荒らされていますね。彼に付着しているインスタントコーヒーがどこから来たのか辿ることは出来ませんでしたか?」


「出来ませんでした。」


「そうですか。しかし、ふむ。」


 探偵は見た。被害者の鼻を。確かに茶色い土のような粉が付いている。嗅いでみるとコーヒーの匂いがした。これは粉末状のインスタントコーヒーで間違いなさそうだ。鼻だけでなく衣服から靴の先まで付着している。刑事が車の中で言っていた通りだった。


 靴の先まで付いているということは、体全体が埋まるほど大量のインスタントコーヒーの中に埋めたに違いない。とはいえ、なんらかの方法で窒息死させた後、犯人が偽装のためにインスタントコーヒーを体に振り掛けた可能性もある。その方がずっと簡単で、現実味がある。


「とはいえ今はまだ情報不足です。アレクサンダーさん、アニスさんを呼んで来て下さいませんか?」


 探偵は館の主人であるアニスに聞きたい話が山ほどあった。この事件のキーパーソンはアニスであると言って良い。今はまだ犯人の動機も殺害方法も分かっていないが、アニスの話を聞けば全て解決なんて話も充分あり得る。


 アレクサンダーとアニスが入れ替わると、アニスは不服そうな顔と皮肉たっぷりの口調で言った。


「で、探偵様が私になんの用かね。」


某高級ブランドの服を身に纏い、金色が眩しいアクセサリーをジャラジャラ着けていた。黒を基調とした服装は喪服のように見えないこともない......が、やはりどこかチャラチャラした雰囲気がある。後、肌荒れがすごいこの人。


「館の主人であるあなたに、聞きたいことがあります。この館には監視カメラが付いていますが、そこになにか映っていなかったのですか?」


 刑事が話を遮る。


「監視カメラにはなにも映っていませんでした。昨晩は何者かによってカメラの前に紙を貼られていたようなのです。」


 監視カメラの前に紙。まず監視カメラは高い位置にある。189センチメートルのジェイコムでも監視カメラに正確に紙を貼り付けるのは不可能だろう。つまり犯人はジェイコムを眠らせた後、脚立を使って監視カメラに紙を貼り付け、ジェイコムを運び、窒息させたということになる。


「ということはほとんど内部による犯行でしょうね。監視カメラの位置を正確に把握して、映らないように予め細工を施すのは外から入ってきた人間には難しいですから。」


「だから、さっきから言ってるだろ。犯人はアレクしかいないんだ。アレク以外にジェイコムを運べるやつはいないんだよ。」


 複数人なら可能である。そこまで頭が回らないようなら自営業など出来ないだろうに。錯乱しているのだろうか。可哀想に。


「質問はまだありますよ。まず、この館に倉庫はありますか?」


「あぁ、あるよ。脚立にスコップ、台車に麻縄。大体なんでも揃ってるよ。」


 犯行に使えそうなものは大方揃っているようだ。不自然なくらいに。


「館の門扉の鍵はあなたが保管しているのですか?」


「そうだ。昨日は最後にジェイコムが入ってから1回だって開けなかった。」


「鍵を持っているあなたなら開けられたのでは?」


「ハッ、バカなこと言うなよ。私とジェイコムは友達なんだぞ。なんで私がジェイコムを殺さなきゃならないんだ。」


「最後の質問です。あのキンモクセイ群はいったいなんですか?」


「あぁ、あれな。」


 アニスは深い溜め息を吐いて、頭を抱えるような仕草をしながら話出した。


「この館の裏、山になってるだろ。その上に温泉があるんだ。半年ほど前だったかな。ある日を境に辺りが硫黄臭くなってきたんだ。」


「だからキンモクセイの香りで匂いを誤魔化そうと?」


「そうだ。全く迷惑な話だよ。ちょっと地元で有名だからって調子に乗りやがって。」


 半年ほど前に硫黄臭くなってきた。だから匂いを誤魔化すためにキンモクセイを植えた。腐乱臭なら硫化水素、刺激臭なら二酸化硫黄だ。どちらも人体には有害。本来垂れ流しにして良いものではない。後でその温泉にも行ってみなくてはならない。


「お話ありがとうございました。次はスーザンさんを呼んで来て下さい。」


 遠ざかるアニスの背中を見届けると、探偵は刑事に質問した。


「刑事さん。睡眠薬で眠らせた、という仮説ですがあれにはなにか意図があったのですか?」


「はい。ジェイコムの部屋にはワインボトルが転がっていました。酔ってぶちまけただけかもしれませんが、警察はアレクサンダーがワインに睡眠薬を混ぜてジェイコムに飲ませたと見ています。」


 それはそうだろう。睡眠薬など持っていれば当たり前に警戒される。


「同じ危険物所持者でもエリザベスの方は特に見ていません。彼女は力もないですし、そもそも死体に刺し傷はありませんでしたから。」


 警察の推理は安直だが現実味がある。こういう事件で必要なのは、わりとこういう安直な思考だったりするのだ。


 そしてそうこうしている内に、スーザンがやってきた。

 彼女は開口一番こう言った。


「絶対アレクとアニスが犯行よ。」


「まぁまぁ落ち着いて下さい。あなたを呼んだのは他でもない、そのことについて話して貰うためなのですから。」


 スーザンはとんでもなく大きな溜め息をつきながら、探偵を睨み付けた。長い髪とモデル体型、見る者が見ればゾクゾクするような目付きがやや怖い。見掛けも相まって、高圧的な印象が強い。


「まずね、あの2人には動機があるのよ。」


「動機ですか?」


「そうよ。アニスは身長が低いでしょう? それをジェイコムにかなり弄られていたわ。ジェイコムは面白いと思ってやってるみたいだったけど、アニスはかなり嫌がっていた。それからアレク。こっちはもっと決定的よ。どんなボンクラ探偵でもアレクが犯人だと分かるはずよ。」


 ニヤニヤ笑いながら2人の話をするスーザンは、まるで禁断の果実を食べるように勧めるサタンの化身のようであった。


「アレクはね、コーヒーを淹れるのが趣味なの。ゴールデンドロップがなんだ~とか添加物がなんだ~とか私には良く分かんないけど、とにかく凝ってるの。で、昔アレクが淹れたコーヒーを飲んだジェイコムはなんて言ったと思う? インスタントコーヒーの方が美味いなって言ったのよ。」


「つまりアレクサンダーさんはそのことを根に持ってジェイコムさんを殺害したと?」


「そうよ! それ以外にあり得ないわ! だって私はやってないし、マイケルはジェイコムに喧嘩で勝てるから殺したりしないだろうし、ロマニエは臆病だし、エリザベスは未だにあいつのことを愛していたから。あの2人にしか動機はないのよ。」


「では、いったいどこにジェイコムさんが埋まるようなインスタントコーヒーがあるのですか? それに誰が死体を掘り出したのですか?」


「それを見つけるのがあなたの仕事でしょ! 犬のように地面を這いつくばって探しなさい!」


 流石に刑事も探偵も耳が痛くなってきたので、次はジェイコムに喧嘩で勝てると噂のマイケルを呼んだ。マイケルは調査に協力的な反面、異様なほど落ち着いている。探偵もマークしていた人物だ。


 マイケルはダイニングに来ながら腕時計を見て時間を気にしていた。髪はボサボサ、痩せている。暗い青色の民族衣装のような服を着ていた。こういうファッションが最近の流行りなのだろうか?


「マイケルさん、あなたはジェイコムさんに喧嘩で勝てるとスーザンさんから伺いましたが、本当ですか?」


「ああ。俺は細い体をしているが、昔から喧嘩だけは強くてね。ジェイコムはラグビー部のキャプテンだったから、周りのやつらがとんでもなく驚いていたのを覚えているよ。」


「それはあなたとロマニエさん、エリザベスさんが酷く落ち着いていらっしゃるのに関係がありますか?」


「なに? ロマニエとエリザベスが落ち着いているだって? 探偵さん、あなたは人を見る目が無いよ。逆だよ。ロマニエもエリザベスもショックを受けて悲しんでる。ガミガミと言い争ってるあの3人が異常なんだよ。」


 確かにそれもそうだ。刑事の情報によるとロマニエは精神が弱いらしいし、エリザベスもジェイコムのことが好きだったらしいからショックを受けるのは仕方がない。


「あなたは誰がジェイコムさんを殺したと思いますか?」


「同級生が同級生を殺したなんて考えたくもない。俺は外部の犯行だと信じてるよ。」


 次は精神的に軟弱なロマニエを呼んだ。マイケルは、もしかしたら話の途中で泣き出すかもしれないから俺も一緒にいようと申し出たが刑事により却下された。


ロマニエは若干太り気味。だが気になるほどではなかった。服は原色のみでペイントされた虹がデザインされていたシャツ。微妙にダサい。


「さてロマニエさん。あなたにいくつか簡単な質問をします。昨日の夜はなにをしていましたか?」


「......昨日の夜は、10時くらいに自室に戻ってそれから布団に入ったんだけどなかなか眠れなくて。それでウトウトし始めた頃に隣の部屋から物音が聞こえたんだ。左隣の部屋からだった。足音みたいなのもいくつか聞いた気がする。あの時はアレクがトイレにでも行ったんだと思ったよ。左隣の部屋はアレクの部屋だったから。」


 夜中にアレクサンダーの部屋から物音。睡眠薬を持っていて、確かな動機がある男の部屋から夜中に物音が。これで事件に無関係と言うほうがおかしい。


「あ、それからジェイコムの部屋にあったワインボトルだけど、あれはアニスがジェイコムの好きなやつを買って冷やしておいたやつだったよ。ジェイコムが昨日の10時、皆で自室に戻る時に冷蔵庫から抜いてきたやつだ。」


「封は開けてありましたか?」


「ジェイコムはワインボトルの口に近いところを持つ癖があったから、封が開いてたかどうかは分からない。」


 容疑者の中で2番目に怪しいアニスが買ったワインを昨日ジェイコムは飲んだ。やはりアニスもなにかしら事件に関わっていると見て良いだろう。


「ありがとうございます。では次の質問ですが、昨日同窓会ではなにをしましたか?」


「確か、皆が集まった後はここで食事をして、それから倉庫に行って思い出の写真とかを見たよ。なんだかんだで夜になって、それから夕食をここで食べて、10時に解散したよ。」


「倉庫にあったものを思い出せますか?」


「まず入り口の右側に折り畳み式の台車、左側にガソリン缶があったよ。それから台車の横にはスコップとか虫取り網とか掘削機とかが綺麗に並べられていて、その奥には金属製の棚が......。」


「なるほど、ありがとうございます。アニスさんは几帳面な性格だったりしますか?」


「あ、うん。アニスは几帳面だよ。逆にスーザンは大雑把だから、スーザンはアニスのこと嫌ってたんだ。アニスって嫌味なところがあるからさ。噂じゃ、スーザンが行きたがってて落ちた大学にアニスは裏口入学したなんて話もあるんだ。」


 スーザンはアニスに恨みがある。スーザンがアニスに対して強く当たるのはこれが原因か。


「ありがとうございます。あなたの話が聞けて良かった。最後にエリザベスさんを呼んできて下さい。」


 ロマニエが去ると、探偵は推理を始めた。

 まず睡眠薬を持っていてインスタントコーヒーを使った殺害に執着しそうなアレクサンダー。彼が恐らく犯人だ。ではどうやって犯行を証明するか。指紋だ。犯人は犯行に手袋を使ったはずだ。警察は既に地域のゴミボックスの中身を回収しているだろう。そこから手袋が出れば指紋鑑定を行い、容疑者の指紋が出れば証拠となる。そのためにまずはアレクサンダーから手袋を昨日付けていないという言質を取らなければならない。


「あの、お話ってなんですか?」


 エリザベス・アーデン。華奢で可愛らしい女性だ。花のようなピンク色をしたワンピースを着ている。彼女はジェイコムが好きだったはずだ。今は辛いだろうが、耐えて貰わなければならない。


「あなたに今から2つ質問をします。」


 先ほどロマニエにしたものと同じ質問をする。しかし回答から大した情報は得られなかった。強いて言うならロマニエは倉庫のことを良く覚えていた。エリザベスは倉庫になにがあったかすら記憶が曖昧だった。


「あの、探偵さん。スーザンなんですけど、普段はあんな人じゃないんですよ。でもジェイコムがインスタントコーヒーに埋められて殺されたから。私達なら誰もがアレクのことを疑います。スーザンはアレクの元彼女でしたから、ちょっと精神が不安定になっているだけなんです。」


 スーザンはアレクサンダーの元恋人。多分アレクサンダーがフったのだろう。あの性格ではフられて当然だ。それが原因でスーザンは逆ギレし、アレクサンダーに強く当たっているのだろうか。


「ありがとうございます。事件の全貌が見えて来ました。」


 嘘である。


 まだアレクサンダーから言質を取ること以外なにも決まっていない。そもそもゴミボックスから手袋が出なければ終わりである。


「本当ですか!? 是非ジェイコムを殺した犯人を突き止めて下さい。」


 嬉しそうに彼女はエントランスに戻って行った。


「ところで刑事さん。エリザベスさんからカッターナイフは取り上げましたか?」


「いえ、今回の事件とは全くの無関係ですので取り上げていません。取り上げますか?」


 彼女のような華奢な女性が人に危害を加えられるだろうか?

 無理だろう。


「まぁ、取り上げなくても大丈夫でしょう。」


「これからどうしますか?」


「温泉に行きます。」


「はぁ、温泉ですか。」


「先に行って、管理人に調査の協力を要請して下さい。」


 刑事にそう指示すると、探偵はエントランスに戻った。


「あんたらの犯行が明るみになるのももうすぐよ! あの探偵が悪事を裁いてくれるのよ!」


「はぁ!? さっきから黙って聞いていればクソビッチめ! ジェイコムを殺したのはお前なんだろ!」


「うるさい! ああうるさい! こんなことなら同窓会など開かなければ良かった!」


 やはりエントランスはとんでもなくうるさい。

 不思議と警官達もエントランスではなくダイニングや2階に集まっている。やはりうるさいと調査も振るわないのだろう。


「皆さん、温泉に行きませんか?」


「はぁ!?」


「昨晩からお疲れでしょうし、立ちっぱなし座りっぱなしよりゆっくりお湯に浸かって事件解決を待っていたほうが良いのではないでしょうか?」


 探偵の言葉に難色を示した者はいなかった。

 ただアニスだけが、一瞬不安そうな顔をしたのを探偵は見逃さなかった。


 エントランスから出るとやっぱり臭い。このキンモクセイ。確かにオレンジ色で綺麗だが、クリーム色をしたこの館には似合っていない。


 そういえば、と探偵は館を見上げた。


 クリーム色、幾何学模様、くどくない装飾。全体的に質素だ。素朴だ。だからこそキンモクセイ群が異様な雰囲気を漂わせている。


 この石畳も幾何学模様が入っている。アニスは几帳面な性格らしいので、こういうところにも気を使うのだろう。ならば尚更キンモクセイ群が気になる。この館でキンモクセイだけが異物なのだ。まるで外部から来たかのような......。


 石畳を眺めていると4枚の石畳が目に止まった。そこ4枚だけが擦れて傷付いているのだ。石畳は1枚がおおよそ100センチメートル。それが蛇のようにうねっている。つまり400センチメートル、なにか固いものを石畳の上で引きずったということになる。ジェイコムの死体では石畳に傷は付かない。石畳と同じかそれ以上の固さでなければ傷は付かないだろう。


 倉庫は館の左隣にあり、館の右隣にはガレージがある。ガレージに止まっている車はアニスの車1台だけ。他の車は庭に止まっている。アニスの車以外は一般的な車で、アニスの車だけ高級車だった。しかしこんなことは今回の事件に関係ないだろう。


 6人の後ろから坂道を登り、温泉に向かった。道中の家々にも警官が立ち入っている。調査範囲は相当広いようだが、人が埋まるほど大量のインスタントコーヒーが置いてある家は未だ見つかっていないようだ。となるとやはりインスタントコーヒーは犯人が後から振り掛けた可能性が高いか。


「なんか臭いな。」


「当たり前じゃない。温泉なんだから。」


「そうそう、この臭いだよ。臭いさえなければ完璧な温泉なのだがね。」


 温泉の付近は確かに腐乱臭がした。硫化水素だ。しかし道中そんな臭いはしていなかった。


 アニスは勝手を知っているのか、探偵が坂道を登りきる前にさっさと建物の中に入ってしまった。温泉と言っても大浴場みたいものだ。背の低い、白い建物の自動ドアの奥に消えていく6人を見送ると、探偵は横の駐車場に向かった。


 駐車場には刑事の車があった。そこに乗っていたのは刑事と知らない男性。温泉の管理人若しくは責任者だろう。


「初めまして。近くで起きた殺人事件を追っている探偵です。」


「初めまして。私はここの管理人です。」


「あなたに質問があって来ました。ここ1年で温泉に変わったことはありましたか?」


 男性は少し考え込むような素振りをしたが、すぐに顔を上げてはにかんだ。


「そんなこと、ありませんでしたよ。」


「そうですか。」


 探偵の頭の中にパズルの枠組が現れた。

 そして今まで集めた情報達がピースとなり、ぴたりぴたりと嵌まり始めたではないか。


「刑事さん、私は館に戻り調査をします。あなたは近所のゴミボックスから出た手袋を全て指紋鑑定に回して下さい。」


「分かりました。」


 坂道を下りだした探偵に必要なピースは、もう数片だけだった。


 □■□■


「皆さんに集まって貰ったのは他でもありません。犯人が分かったからです。」


 一瞬にして辺りに緊張が走る。

 時刻は午後4時。6人が温泉から帰ってきたタイミングで探偵は告げた。

 場所は館に続く石畳の上。探偵はキンモクセイ香るこの場所で、全てを明かすことにした。


「まずこの謎を1つずつ明かしていきましょう。第1の謎は、どこに人が埋まるほどの大量のインスタントコーヒーがあるのか。」


 カツカツと探偵は歩いていく。


「温泉の主人に聞いたところ、半年前どころか1年前から温泉に変化はないそうです。温泉に向かう道中も、硫黄の臭いはありませんでした。ではこのキンモクセイ群はなんなのか? なぜこのキンモクセイ群は植えられたのか。」


 カツカツと石畳と靴が弾けて音が鳴る。


「スーザンさん。あなたはまずこの館に来て、キンモクセイのことが気になったでしょう。しかしもう1つ、あなたはこの館の去年と違うところに気がついたはずです。」


 カツカツとわざとらしいほどに音を鳴らす。


「石畳ですよ。見て下さい。どれも新しい。私がさっき歩いたところなんて傷1つありません。......しかし、この4つを見て下さい。異様に傷ついていませんか?」


「それは新しいタンスを買った時に引きずって出来た跡だ。」


「とアニスさんは仰っていますが、そんな話は聞きましたか?」


「いいえ、聞いていません。」


 刑事が答えた。


「私は最初、400センチメートル、固いものを引きずった跡かと思ったのです。しかし、実は違いました。これは400センチメートル引きずったのではなく、200センチメートル地面をさらけ出した跡だったんです。」


 探偵は傷付いた石畳の縁に手を掛けた。力いっぱいそれを持ち上げると、石畳の下に隠れていたものが露になった。


「石畳の下だけ土の色が違うわ!」


「違う! これはジェイコムの死体に付いていたインスタントコーヒーだ!」


 持ち上げた石畳を手前の石畳に叩きつける。持ち上げられるとはいえかなり重いので、このように乱雑に扱えば傷が付いてもおかしくない。


「さて、改めて聞きますが、この館はアニスさんの館で間違いはないですね?」


「キンモクセイを植えたのは、石畳の下にあるインスタントコーヒーの匂いを誤魔化すためだったのか!」


 マイケルが憤慨する。アニスの襟首を掴み、凄まじい形相で彼を問いただしている。


「落ち着いて下さいマイケルさん。まだ謎は残っています。2つ目の謎、誰がジェイコムさんを掘り出したのか、です。」


 再び6人の間に緊張が走った。


「まず大前提として、埋められたジェイコムさんを掘り出すためにはジェイコムがどこに埋められたのかを知らなければならない。つまり掘り出した人間は犯行を目撃していた。さらに、今ジェイコムさんが死んでいることから、埋められて1時間以上放置されたということです。」


 エリザベスが絶句した。


 つまりジェイコムが埋められるのを目撃したにも関わらず、1時間放置し死体になった後掘り出した人間がいるということだからだ。助けられるのにジェイコムを殺した人間が、この中にいるということだからだ。


「埋められたジェイコムさんを放置し殺害した第2の犯人、それはあなたです。」


 探偵は優雅な手付きで彼女を示した。スーザンを。


「はぁ!? 私が殺したって言いたいの? そんな訳ないじゃない。」


「埋められたジェイコムさんを掘り出すにはスコップが、ダイニングまで運ぶには台車が必要です。そしてあなたはそれらを使いました。私が倉庫を見に行った時、本来綺麗に揃えられているはずの台車やスコップが乱雑に投げ捨てられていましたから。」


 6人を温泉に向かわせた後、探偵は石畳の調査と倉庫の調査を行った。それにより石畳の下にあるインスタントコーヒー、倉庫の乱雑に置かれたスコップと台車を発見した。


「アニスさんとアレクサンダーさんがジェイコムさんを運んだのが大体2時としましょう。そこを客室からスーザンさんが見た。スーザンさんは1時間後に掘り出したのですから時刻は3時。台車に乗せてダイニングまで運んだとなるとスーザンさんが眠りに就いたのは4時。朝、スーザンさんは眠そうにしていませんでしたか?」


「た、確かにしていた! 警察が来るまでは欠伸ばかりしていた!」


 ロマニエの言葉に顔が青くなるスーザンだったが、すぐに勝ち誇ったような顔になった。


「そんなもの、ただの空想よ。証拠がないわ。」


「えぇ、ですので今ゴミボックスから出たゴム手袋を指紋鑑定に掛けています。1週間ほどすれば結果は出ると思いますよ。」


 スコップを使うにしても台車を使うにしても、手袋は欠かせない。使った手袋は内側に指紋が残るので捨てたいが、館のゴミボックスに捨てる訳にはいかない。案の定、館のゴミボックスから手袋は出なかったが、周辺の家々のゴミボックスからは3組ゴム手袋が出てきた。


 館のゴミボックスから出たものではないので、アレクサンダーに言質を取らなくても指紋が出るだけで証拠となり得ることが確定した。


「ちょっと待ってくれ、なんで俺の名前が出るんだよ。」


「睡眠薬を持っており、インスタントコーヒーで殺す動機もある。アニスさんだけではジェイコムさんを運べませんし、状況的にアレクサンダーさんは共犯者で間違いないでしょう。」


 以上が事件の全貌です、と探偵は締めくくった。


 アニスとアレクサンダーが共謀し、インスタントコーヒーを用意。香りでバレないようにキンモクセイを植え、同窓会の名目でジェイコムを呼び、睡眠薬を混ぜたワインで眠らせた後、2人で運んで埋めた。監視カメラに紙を貼り付けたのはアニス。スーザンは埋められるジェイコムを目撃。1時間後、ジェイコムを掘り出し、台車を使ってダイニングに置いた。台車とスコップは倉庫に戻し、使用したゴム手袋は他の民家のゴミボックスに入れた。アニス、アレクサンダーも恐らく同様。


 これが奇妙なインスタントコーヒーによる殺人事件の真実だった。


「しかしなぜスーザンさんはジェイコムさんを助けなかったのでしょうか?」


 意外にも答えたのはスーザン本人だった。


「あいつ、あのジェイコムとか言う男。付き合っている人がいるのに、私の高校時代の後輩と不倫してたのよ。不倫って言ってもすぐに捨てられたわ。あの子、ジェイコムに遊ばれたって私に泣きついて来たのよ。」


「だから殺したかった。するとちょうど良いところで2人が埋めてくれた、と?」


「えぇそうよ。ジェイコムが隣の部屋だと思うとイライラして寝付けなかったから、仕方なく起きてたの。そしたら隣の部屋から物音よ。しばらくして窓を覗くとアニスとアレクがジェイコムを埋めていたのを見たのよ。チャンスだと思ったわ。ジェイコムを掘り起こしてアニスとアレクの罪を暴けば、クズが3人も消えてくれるんだもの。」


 ほとんど自白だった。しかし同時に証言でもあった。やはり犯人はアニス、アレクサンダー、スーザンの3人だったのだ。


「証拠が、証拠が不十分だ。私は弁護士と共に戦うぞ!」


「なぁアニス、もうダメだ。無理だよ。この館でお前以外に石畳の下にインスタントコーヒーを用意できるやつなんかいない。スーザンも見てたんだ。手袋から指紋だって出る。」


「だからなんだと言うのだ! アレク、お前はもしかしたら証拠不十分と判断されるかもしれない。だが私はもう逃げようがないのだ。戦うぞ、私は法廷で戦うぞ!」


 アニスは興奮気味だったし、スーザンもそうだった。ロマニエは怯えていたし、マイケルは誰に拳を振り上げるべきか迷っていた。アレクサンダーはアニスに注意が向いていたし、探偵も刑事も他の警官も逮捕の準備をしていて、誰も彼女を見ていなかった。


 探偵がふとアレクサンダーのほうを見ると、その後ろにエリザベスがいた。そして彼女が持っているものを見た途端、鳥肌が立った。


 次の瞬間、アレクサンダーの左目にカッターナイフが突き刺さっていた。


 探偵は動けなかった。体が石になったかのように硬直した。それは他の皆も同じだった。ただアレクサンダーだけが左目の違和感に気付き、指をカッターナイフに這わせていた。


 エリザベスは狂気的にカッターナイフを引き抜くと、次はアレクサンダーの首筋に突き刺さした。


 そこで初めて誰かが叫んだ。ロマニエだったか、スーザンだったか、あるいはアニスだったか。


 その叫び声で我に帰った探偵は、残虐にカッターナイフをねじ込むエリザベスの腕を押さえた。後ろからマイケルがエリザベスを羽交い締めにした。エリザベスはなにかを叫んでいたと思う。しかしそれがなんだったかは覚えていない。


 結果的にカッターナイフを取り上げなかった警察の落ち度により、容疑者1名死亡となった。死因は大量出血。頸動脈を切っていた。


 後に手袋から指紋が検出され、犯人はアニス、アレクサンダー、スーザンの3名と断定。また、アレクサンダーを殺害したエリザベスを現行犯逮捕。


 そんな記事の載った新聞を見た探偵は、新聞を投げ捨てると溜め息を吐いた。カッターナイフを取り上げない判断をしたのは探偵だった。マイケルに人を見る目が無いと言われたのを思い出し、探偵としての自信を失くていた。

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インスタントコーヒーとコンプリケイトヒューマン ALT・オイラにソース・Aksya @ALToiranisauceAksya

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