#6  救い


 彼女が余命宣告をされてから6日目。

 俺は勇気をだして、彼女の家へと向かった。

 最後に見た時より、症状が更に悪化していて、見るのも耐えられない状態になっているかもしれないと思うと、少し足が竦む。

 それでも、彼女の元へ、俺は今度こそちゃんと戻ってきた。


「今の俺の声は届かないだろうけど、戻ってきたよ、フェリ」


 そう声をかけ、彼女の右手をそっと握る。

 感覚も、ぬくもりも、何も伝わらないだろうけれど、俺がそうせずにはいられなかった。

 ……右目が見えていれば、俺の姿を認識してもらえたかもしれないが、これだけ近くにいても気が付かないということはきっともう何も見えていないのだろう。


 数分後、深呼吸をしてから握っていた彼女の手を離す。

 そしてポケットにしまい込んでいた物--あの医者に返してもらった物を右手に握りしめると、彼女の左胸にそっと刺しこむ。

 リュンヌ曰く、は刃物のような見た目に反して、痛みは全く感じないのだという。

 そして、

「……ここ、は? 私……あっ!」

 刺した相手の魂……どちらかというと霊的なものだろうか。

 最期に、死神と会話をする時間が与えられる。


「遅くなって、ごめん」

「レーヴ、なんだよね? 夢、じゃなくて、ああ、そっか、私」

 彼女はビックリした様子を見せたのはほんのわずかの時間だった。

 今何が起きているのか、彼女はすぐに理解した様子で、俺の方を見る。

「迎えに来てくれたんだね」

「フェリ、あのさ」

「……なんで、泣きそうな顔してるの?」

「え」

 彼女にそう言われた瞬間、生ぬるいものが頬を伝う。

 こんなつもりじゃなかったのに、と思えば思うほど、視界がぼやけるほど溢れて、零れ落ちていく。

 だから、言うつもりのなかった感情も全部口から零れていく。


「死なないでくれ……死神が、お前の魂を奪いに来た俺が、こんなことを思うのはおかしいってわかってた。でも、どうしても、フェリに笑顔で生きててほしい」

「レーヴ、私は」

「あの日、臆病で未熟な俺は、お前の死を見届ける勇気がなかったんだ。必ず祝うって約束したのに、姿を消したのはお前を生かすためだった、なんていっても、許されないってわかって……」

「レーヴ、聞いて」

 その声で、彼女の顔が俺の顔の目の前まで来ていたことに気が付く。

 彼女は、私の目を見て、深呼吸して、と優しく言うと、俺に触れようとする。

 しかし、その手は俺をすり抜けて。

「ふふ、私がトワになったみたい」

「フェリ」

「私ね、本当は少し怖かったんだ。何も聞こえない。何も感じない。何も見えない。真っ暗な世界に私だけが取り残されたみたいで。生きてるのか、死んでるのかもわからないまま死ぬのかなと思ったら、不安で」

「ごめん」

「別にレーヴが謝ることじゃないよ」

「でも、俺は、二回もフェリを置いていった」

? ……もしかして、トワは」

「……」

「そっか。そうだったんだ。なら、いいの。今こうしてちゃんと私の前に貴方がいるから」

 彼女は俺の方をみて、優しく微笑んでくる。

 俺はいてもたってもいられず、何度も彼女を抱きしめようとした。もちろん、その手が彼女に触れることはなく、それでも彼女は笑顔のまま、話を続ける。

「ねぇ、レーヴ、聞くまでもないだろうけど、私が今こうなってるということは、今度はちゃんと楽にしてくれる?」

「……フェリ、俺はやっぱり」

 俺の意思が揺らぎ始めたのを察したのか、彼女はゆっくりと首を横に振る。

「余命宣告されてるの、わかってるでしょう? 期限は明日。レーヴが今、私をまた手放したとしても、私は生きられないの」

「それは、もしかしたら、どうにか……」

「……仮に余命が伸びたとしても、貴方の望む私がそこにいるの?」

 彼女の言葉に、息が止まる。

 彼女の言っていることは正しい。きっと今、彼女を再び手放して、明日リュンヌの邪魔をしたところで、彼女の症状が戻るわけではない。

 だから意識を戻したところで、彼女はまた真っ暗闇に取り残されるだけだ。

 頭ではそう理解できているのに、毎回感情が追い付いてくれない。

 死んでほしくないという気持ちがあまりにも強すぎて。


 でも、彼女は、フェリは、そんな俺のことを完全に見透かしている様子だった。


「ねぇ、レーヴ」

「私は貴方が目の前に現れたあの日から、貴方に魂を奪われても構わないって思ってたんだよ。それなのに、貴方は私を残して消えちゃって。意地悪にも程があるんだから」

「うん、ごめん」

「申し訳なく思ってるなら、私の魂を貴方が解放して。

 ……できない、なんて言わせないから」

「それは、ずるいな」

 俺は涙を拭い、彼女の左胸に刺したものに再び触れる。

 これを一思いに抜けば、彼女の魂が抜かれて、心臓が止まる、らしい。

 鼓動が早くなるのを感じ、深呼吸をする。

 そして、覚悟を決めて、一思いに抜き上げると、

「ありがとう。そうだ、言い忘れてた」


「大好きだよ、レーヴ」


 どこからか彼女の最期の言葉が耳に届く。



「っ、俺も」




「愛してる」




 その後、静まり返った部屋に、ピーという甲高い音が響く。

 彼女の母が慌てた様子で部屋に入ってくるのを確認してから、俺はその場を後にした。

 あの医者がきたのか、葬式や彼女の墓がどこに作られたのか、その後のことは、俺には何もわからなかったが、ただ一つ。

 フェリを殺したのが俺であるという事実だけを胸に抱えて、街から離れていった。




 *




 --数週間後。



「きちんと彼女の魂を奪えたようで安心しました。ですが、その魂、どうするつもりですか」

「リュンヌ」


 白髪の男に声をかけられ、薄紫髪の男が顔をあげる。

 手には5㎝ほどの瓶が握られており、その中には白い何かが収められている。


「ここ数週間ずっとそれを眺めていますけど、貴方は死神。まだまだ他の人間の魂を奪い続けなければいけないこと、おわかりですか?」

「……」

 薄紫髪の男--レーヴはその言葉を聞くや否、再び瓶に視線を向け、何かを考え始める。

 その様子をみて白髪の男--リュンヌは飽きれたようにため息をついた。

 直後、

「リュンヌに聞きたいんだけど」

 とレーヴが口を開く。

「何でしょう」

「あんたみたいに、医者のフリ……っていうとなんか嫌だな。今のは聞かなかったことにしてくれ」

「フリ、とはいっても、私の場合ちゃんと資格はありますからね」

「そっか」

 レーヴはそれだけ口にすると、瓶の蓋に手を添える。

 その動作をみて、リュンヌが驚いた顔をするが、レーヴは気にする様子もなく、蓋をあける。

 瓶の中に入っていたものがゆっくりと宙を舞う。風に靡かれながらも、太陽へ向かって。

 やがて瓶の中は空っぽになり、白い霧のような景色も消えてゆく。

 その様子を、レーヴはどこか清々しい気持ちで、ただ静かに見守っていた。


「魂を逃がすなんて……どこに向かうかもわからないのに」

「あいつなら……フェリの魂ならきっと親友のところに向かうよ」

「ですが」

「本当はすぐにでも解放するつもりだったんだ。あいつは親友に会いたがってたから。でも、ここにくる勇気がつかなくて」


 そういって、目の前にある湖と二つの墓を見つめる。

 墓にはそれぞれ〈エトワル・エテルネル〉〈フェリスィテ・ターコイズ〉と名が刻まれている。

 レーヴはその場にしゃがみ込み、花を添えると、目をつぶり静かに手を合わせる。


「必ずしもここに来る必要はなかったはずですけどね」

 リュンヌが声をかけると、レーヴはゆっくりと立ち上がり、彼の方を向く。

 そして、笑顔でこう告げた。

「俺がこうしたかったんだ。だってここは」




「俺とフェリの大切な場所だから」

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