#4 すれ違い


 もう自分が起きているのかすらわからなかった。

 昨日、音が聞こえなくなって、私の世界はトワの声だけが頼りになったのに。

「(声をかけても返事がない。見える範囲に姿もない、か)」

 私が眠った後、どこかへ出かけてしまったのだろうか?

 そもそも、少し様子がおかしかったから、もしかしたら記憶を思い出したのかもしれない。

「(無言で出て行った可能性は……ないとは言い切れないけど)」

 トワがそんなことをするとは到底思えなかった。

 思いたくなかった。

「(傍にいてくれるっていったのに)」

 なんて思ったところで、すぐには戻ってこないだろう。


 仕方ないから気長に待とう、と思った瞬間、先生の顔が視界に映る。

 そしてすぐ〈寝たきりということは、もしかして上半身も麻痺し始めましたか?〉と書かれた紙を見せられる。


 私はまだ辛うじて動く口で

「はい」

 と伝え、先生の診察を受けることにした。





 *




 湖をみてきた。

 森の中にある、小さな湖。

 ナノの親友のものと思われる墓は、やはり文字が読めなかった。

 誰かがお墓参りをしている様子がなかったのが気になったが、ナノはしたくてもできない状態だ、あまり触れない方がいいだろう。

 せめてボクが物に触れることができれば、代わりに何かお供えできたかもしれないけれど。


 それよりも、ボクの記憶と思われるものに映っていた湖によく似ていた。

 というよりは、同じもので間違いなさそうだった。


 ナノはあそこによく行っていたと言っていたけれど、ボクの記憶に映っていた少女は今のナノにはあまり似ていなかったように思う。

 ……そういえば、瞳の色までは思い出せていなかったような。



『ナノが昔の写真を見せてくれればいいんだけど』


 そんなことを考えながら、お昼頃に帰宅した。

 昨晩家を出たのに、帰宅がこんなに遅くなったのは、湖もナノの家も森に覆われていて迷子になりやすかったせいだった。

 窓をすり抜けて、ナノの部屋に入る。医者の姿も母親の姿も見当たらない。もう帰ったのだろうか?

 それよりもナノが起き上がっていないことに違和感を覚えた。


『ナノ? 起きてる?』

「……起きてる。トワは、どこ行ってたの?」


 起きてる、と言いながら、全く動こうとしないところと、昨日に比べて喋りにくそうにしている様子から、まさかと思ったことを口にする。

『ナノ、上半身も?』

「まあ。それよりトワは」

『あ、えっと湖にいってて……森で彷徨ってたら遅くなっちゃった』

「……」

『ナノ?』

「……帰ってきて、よかった」


 ナノの声はどこか震えていて。

 もしかして心配かけた? とかそんなことよりも、何故かこの瞬間にこう思った。

『ナノの方が、どこかに行っちゃうのに』

「え……?」

 ナノに聞こえるように言ってしまい、ボクは慌てて、ナノの昔の写真ある? と意味の分からない誤魔化し方をしてしまう。

 当然、ナノは不思議に思っていただろうが、少し間を開けてから、こう答えた。

「リビングになら、あるかな」

『リビング! 見てくるね!』

「あ、待っ」

 ナノが何かを言いかけたが、動揺していたこともあり、そのまま部屋をでてリビングへと向かってしまう。

 そんなに時間もかからないだろうし、戻ってから聞けばいいか、なんて思っていると、一つの写真が目に映る。


『これ……あ』


 肩下まである金髪に近いの髪、今より生き生きとした綺麗な青と緑の瞳を持つ少女。

 隣には、茶髪で、肩上くらいの長さの髪を後ろで結っている、お日様のように温かな橙色の瞳を持つ少女。

 その二人が幸せそうな笑顔で映っている写真だった。

『青と緑の瞳……ナノ? ならこっちは親友の』

 そこまで声にした瞬間、ナノの部屋から母親の声が響く。どこか慌てた様子の声を聞き、ボクは急いで部屋に戻る。


「ナノ、ナノ……! 先生を呼ばないと」


 そこには苦しそうに息をするナノの姿があった。

 母親は焦りながらも、先生を呼ぼうと必死に電話をかけていた。けれど、先生が電話に出ることはなく、直接病院へ行くと言い残して、家を出て行った。


『ナノ、ボクの声、聞こえる? ……落ち着いて、深呼吸して』

 そういってみたものの、ナノの様子が落ち着くことはなかった。

 むしろ悪化しているようにも見えて、段々焦り始める。

 ボクには何もできないのかと、ただただ見守ることしかできないのかと。

 これじゃあ、と変わらないじゃないか。


『ボクは、ナノに死んでほしくないのに』



 --そう口にした瞬間、意識がぐらりと反転する。



 そう、ボクは。

 お前に死んでほしくなかった。


 だからあの日、お前の前から姿を消したんだ。


 ……誰よりも幸せになってほしくて。

 こんな俺を好きだと言ってくれた人間は初めてだったから。


 でも、運命までは変えられなかった。




『そうだ、そう、だった』



 全て思い出した。



『ボクは』


「俺は、あいつに記憶を消されて、それでお前の死を……っ!」



 思い出した瞬間、魔法がとけたかのように、体がみるみる元の姿へと戻っていく。

 視界の端で黒い髪がゆれ、服装も黒一式で包まれた姿をみて、これが本来の姿だったなと思うのも束の間。

 彼女の苦しそうな声で、現実に引き戻される。


「俺のせいなのか、あいつのせいなのか……どちらにせよ、ここにいるのは良くないか。けど、記憶がなかったとはいえ、傍にいるって言っちまった責任も」

 今度こそとらないといけない、そう思ったからこそ、一旦この場を去ることにした。

「俺の声はもう聞こえてないだろうけど、今度は必ず、逃げずに戻るから」

 それだけ言い残して、彼女の元を去り、あいつの元へと向かった。

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