#2 彼女のこと
どうして、彼女の本当の名前を聞き取ることができなかったのだろうか。
口の動きで読み取ろうともしたのだが、直後に視界がぼやけて判別ができなかった。
となれば、彼女がボクの記憶に関係していることは確定といってもいい。
……だけど、ここまで露骨なことがあるだろうか?
『(ナノに昔話とかきいたら思い出せたりしないかな、と思ったんだけど)』
どうやら今は取り込み中らしい。昨日は見なかった顔がいる。
白髪で腰くらいまでの長さのある髪、垂れ目でどこか胡散臭い笑顔を浮かべた男性。
高身長ではあるが、体は細身で、肌が白い。今にも倒れそうな--
と、彼をまじまじと観察していたら一瞬視線が交わった、気がした。
いや、ナノ以外には姿が見えないはずだから、ボクの気のせいだろうけど。
それでも少し、気味が悪いと感じた。
「それでは××。また明日も顔色を見に来ますね」
「はい。ありがとうございます」
「それでは」
彼は軽く会釈をすると、ナノの母親と共に部屋から出て行った。
そのタイミングを見計らって、ナノに声をかける。
『誰?』
「私の主治医」
『ナノ、どこか悪いの? そういえばずっとベッドから動かないよね』
「話してなかったっけ? 私、未知の病に侵されてて、下半身麻痺で動けないんだ。それから左目も失明してて……余命7日なんだって」
そう淡々と話す彼女を見て、昨日はあまり気にしていなかったが、言われてみれば確かに病人っぽさを感じた。
手足は痩せ細っており、血の気も感じない青白い肌。
色素が薄くなってしまっているのか、先ほどの医者と似た白髪は、肩上までしか伸びておらず、量も少ないように思えた。
海のように深く、それでいて透き通った青色をしている右目と比べ、失明しているという左目は光が一切入らない森のように深い緑色をしていて、じっと見つめていたら吸い込まれそうだった。
でも、だからだろうか、ボクは不謹慎ながらもその瞳を綺麗だと思ってしまった。
いや、瞳だけでなくナノ自身を……。
「まぁ、私のことはいいの。時間は限られてるし、トワは早く記憶を取り戻せそうなものがないか調べたら?」
『ボクはナノの話が聞きたいよ』
「え?」
『ナノの話が、聞きたいんだ。きっとそれがボクの記憶の手がかりになる』
そもそも、ざっと見た感じこの部屋には物があまり置かれていなかった。
あっても、手で数えられる程度のもので、なんとなくだけれど、どれも他の人から貰ったものだと感じた。
……もしかしたら、記憶をなくす前のボクがナノと出会っていて、渡したものもあるかもしれない、なんて考えも浮かんだが、飾られているものからは懐かしさを感じなかった。
「私の話……といわれても、面白い話なんて……そもそもトワはどんな話が聞きたいの?」
『友達の話、とか、ナノが関わってきた人の話……?』
「友達……」
彼女はそう呟くと、一瞬悲しげな顔をして黙り込んでしまった。
もしかして、辛いことでも思い出させてしまったのだろうか?
だとしたら、無理に話させるべきではないだろう。
それに、時間が限られているのは彼女の方だ。
『ナノ、この話はやめよう。それよりも、ナノはやりたいこととかないの?』
「やりたいこと? あっ」
それを聞いて彼女は何かを思い出したのか、外をぼんやりと眺める。
『外に、何かあるの?』
「そういえば、トワは湖の近くで目が覚めたっていったっけ。あそこ、私が昔よくいってた場所なの。……近くに一つだけ、お墓がなかった?」
『あった。文字は読めなかったけど』
「読めなかった、ってことは、私が口に出してもまた伝わらないのかな。あのお墓、私の親友のお墓なんだ……あの子はあの池で--自殺した」
ナノはそういうと少しの間、目を閉じて深呼吸を繰り返す。親友が自殺した、なんて簡単に口にはしていたが、その声は微かに震えていたし、無理もない。
『もしかして、やりたいことってお墓参り?』
「それもそうなんだけど、彼女にはもうすぐ会えるだろうから。……彼女とは別に、会いたい人がいるんだ」
どこか昔を懐かしむような、それでいて少し寂しそうな顔で彼女は語る。
「湖でよく会っていた人がいたんだ。でもある日……私の誕生日当日に姿を眩ませちゃって、それっきり会えなくて。最後に、どうしても会いたいんだけど」
『大切な人なの?』
「……」
「私にとって、最初で最後の初恋相手」
ナノは笑顔でそういうと、その後ぽつりと何かを呟いたが、そこまでは聞き取ることができなかった。
それよりも、何故だか、酷く眩暈がする。
ズキズキと、体が痛むような、そんな感覚も襲いかかる。
直後--
〈××、……よ〉
〈わ……る……俺は……の……う……な……〉
〈……でも、〉
「トワ? 顔色……っていうのかわからないけど、大丈夫?」
『あれ、ボク、今……?』
「ごめんね、暗い話ばかりして。今度は明るい話を頑張って思い出すから」
『ナノは悪くないよ、それに』
さっき一瞬頭に流れたのは、ボクが失った記憶かもしれない。はっきりとは見えも聞けもしなかったが、こうなる前のボクと……誰かがしゃべっていた?
「それに?」
『あ。いや、何でもないよ。また明日も話を聞かせてね』
彼女は少し不思議そうにボクの方を見ていたが、それ以上は何も言わなかった。
ボクもまた、それ以上何も聞くことができず、ただたださっき思い出しかけた記憶について考えることしかできなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます