眠りの島

 俺は寝付きの悪い方で、いつも上手く眠ることができない。音楽をかけたり、本を読んだりして、何とか眠ろうとするのだけれど、どうしても眠ることができない。どうしてだろうか。たぶん俺は不安なのだと思う。おそらく、将来のことが。

 眠りの島の存在を知ったのは、そんな眠れない生活を五年ほど続けた時だった。

 俺は浪人生を二回繰り返していた。志望校にどうしても受からず、途方に暮れながら予備校に通っていた日々の中で、精神は着実に蝕まれていた。ベッドに入ると不安が僕を襲った。俺はこれからどうなるのだろう。何度考えても俺は社会から脱落していくというイメージしか湧かなかった。俺はもう戻れない地点に来てしまっているのだろうか。引き返すことのできない地点に。

 そんなことを考えながら、いつものように駅から出ると、チラシを配っている人がいた。ひどく見窄らしい格好で、頭の禿げた六〇代くらいの背の低い男性だった。俺は最初無視しようかとも思ったが、一生懸命仕事をしている彼に悪いと思い、チラシを受け取った。

 チラシには、眠りの島の紹介文と写真、島の位置を示す地図が載っていた。

 眠りの島?

 何かの冗談だと思った。誰かが悪戯でこんなことをしているのだろう。全く悪趣味な連中もいたものだ。こんなチラシすぐに捨ててしまおうかとも思ったが、なぜか捨てる気にはなれなかった。俺はチラシを折ってポケットに入れた。

 予備校で授業を受けた後、自習をしていると、流石に疲れてきたので、帰ることにした。

電車に揺られ、夕暮れの街を見ていると、今日もきっと上手く眠れないのだろうなという気がした。不安、か。不安は一生僕につきまとうのだろう。俺はただ安心して暮らしたいだけなのかもしれない。

 そんなことを考えていると、今朝もらったチラシのことを思い出した。結局あのチラシは何だったのだろうか。俺はポケットからチラシを出して、詳しく読んでみた。

 眠りの島。ここには快適な睡眠環境が整っております。あらゆる世俗的な欲望から解        

き放たれ、あなたは最高の睡眠を体験します。不安からも解放され、あなたは素晴らしい眠りの世界へ足を踏み入れます。眠れない方、どうぞ眠りの島へ訪れてみてください。あなたの人生を変えることをお約束いたします。

 紹介文の最後には、電話番号とメールアドレスが書かれていた。

 怪しい。

 地図を見ると、その島は東京駅の中に位置しているようだった。

 東京駅の中?

 東京駅の中だとしたら、この「眠りの島」と言うのは、店名だと考えられる。店だったら、少しは安心できるが、それでも怪しいことに変わりはない。

 俺は駅に設置してあるゴミ箱にこのチラシを捨てた。


 そんなことがあったことを忘れてしまった頃、友達が交通事故で死んだ。あっけない死だった。彼のことは新聞の片隅で報じられた。俺は知り合いに電話で彼の事故について聞いた。

「人間って本当に死ぬんだな」

 風呂場でひとり、そんなことを呟いた。特に意味はない。ただ呟かずにはいられなかったのだ。

 どうせ人はいつか死ぬ。夢が叶おうが叶うまいが、幸せだろうが不幸せだろうが、そんなこととは一切関係なく、死は平等に訪れる。あらゆる生物の終着駅。僕はどうせ死ぬのだから、人生に意味などないと思った。

 

 ベランダで夜風に当たる。何だか全てがどうでもよくなってきた。部屋に行き、冷蔵庫からビールを取る。そしてベランダに戻ってビールを飲む。

 だんだん酔ってきた。空きっ腹にビールを入れたからだ。自分の悩みなんて小っぽけだと思えてきた。思考が出来なくなる。考えがばらばらになり、自分の奥底にある本音が表出する。風景が歪み、正視することができない。

 畜生。生きてやる。俺はいつまでも生きてやるぞ。

 でも、辛いよ。どうしてだ。どうしていつもこうなる?

 辛い。

 俺はビールの空き缶を握りしめて潰した。


 駅。通勤する人々は規則正しく、まるでプログラミングでもされているかのように、一定の速度で改札口を通っていく。俺もそれに従う。

 昨日の酔いはもうない。幻想的な気分は消え去り、目の前には現実だけがある。

 今日もまた予備校へ行って勉強をする。大学に受かるかどうかもわからないのに、いつまでこんなことをすれば良いんだ?

 そんなこと言っても仕方がないのだが。


 夕方。俺は突然、あのチラシのことを思い出した。眠りの島。確か東京駅の中にあると書いてあったな。本当だろうか。俺はパソコンを開き、検索してみた。しかし、検索しても東京駅にそんな店はなかった。どういうことだろうか。そもそもあのチラシを受け取ったということ自体が、夢だったのではないかと思えてくる。

 明日東京駅に行ってみようと思い、眠りについた。


 翌朝、大きな爆発音で目が覚めた。

 慌ててベランダに出て、外の様子を伺った。遠くの方で火災が起きているらしい。煙が立っているのが見える。テロだろうか。俺は背筋が凍った。日常が破壊される。そんな恐ろしい想像があった。

 テレビをつけた。どのチャンネルでも同じ内容のニュースをやっていた。

 隕石が東京駅に落ちたらしい。

 この墜落はどんな専門家も予測できなかったと言い、一部の目撃者からは隕石が突然現れたとの声が寄せられたという。透明な隕石が東京駅に落ちたのだ。そんな馬鹿馬鹿しい主張が現実的なものとして受け入れられつつあった。

 俺は眠りの島とこの隕石を結びつけて考えようとした。

 でもどうしても関連性を見つけられなかった。

 俺は現場に行ってみようと思った。眠りの島に関する情報が得られるかもしれない。正直、重要な手がかりが見つかる可能性はあまりないとも思ったが、とにかく行ってみることにした。

 

 東京駅は消防車や救急車、レスキュー隊員、野次馬、駅から避難してきた人などでごった返していた。火災はかなりの範囲に及んでいて、煙が空に向かって立ち上っていた。

 しばらく燃える駅を見ていた。奇妙な感覚があった。何だか心地が良いのだ。火は心を落ち着かせるような作用があるのかもしれない。しかし、駅で被害に遭われた方がいる手前、そんな感情になってはいけないと思いなおし、俺は周囲の人々を観察することにした。

 様々な人がこの光景を見つめていた。お年寄りから子供連れまで、幅広い年齢層の人々がここにきているようだった。

 しばらくそうやって人を観察していると、あのチラシを配っていた男らしき人が目についた。彼は背が低いため、誰かに肩車をしてもらい、見物しているようだ。以前会った時と格好が異なっているし、帽子もかぶっているため、確証はないが、あの男性ではないかという気がする。

 俺は人ごみをかき分け、その男の元へ歩いて行った。近づくと、やはりあの時の男で、向こうもこちらに気づいたようだった。彼は逞しい女の肩に座っていた。女は二十代くらいに見えた。俺の姿を認めると、彼は女の肩から降り、そして言った。

「放火犯は現場に戻ってくると言いますが、本当ですね」

「どういう意味ですか?」

「いえ、たいした意味はありません」

 女と目が合った。金の長髪で、眉と目の距離が近い。屈強という印象を受けた。

「お前は、島に興味があるのか?」

 高圧的な態度で、女は俺にそう尋ねた。すると男が、

「おい。彼はお客様だ。そんな態度で接するんじゃない」

 と女を叱った。女は少し反省したようだった。男が話を引き継いだ。

「すみませんね、新人の教育がなってないもので。

 あなたは、以前どこかでお会いしましたよね。その時にチラシを受け取ってくださったはずです。ですから眠りの島について、その存在は知っていますよね」

「存在は知っています。でも詳細は知りません」

「興味はありますか?例えば、今すぐご案内できると言われた場合、行きますか?」

「行くかもしれません」

「行くか、行かないかでご回答していただければ」

「行きますよ」

「では、ご案内しましょう。もちろん、お代は結構です・・・」

 男は指を鳴らした。

「明日からきっと、心地よく眠ることができますよ」

 

 気がつくと無人島にいた。絵に描いたような無人島だ。南国の心地よい風吹く無人島。かなり小さい島で、十五分もあれば島を一周できるだろう。こんな無人島が本当にあるとは。俺は砂浜に横たわっていた。体についた砂を払う。口の中にも砂が入っていた。少々気持ち悪い。唾を吐き、海水で口を濯いでみる。塩辛い。どうやら普通の海らしい。

 海から目を転じ、島の中心部の方を見てみる。森である。鬱蒼と茂った森で、見たことのない木や草花が生えている。木の陰から狐らしき生き物がこちらを見ている。大きなトンボが飛んでいる。トンボはかなり巨大で、人の腕くらいはある。口にはクラゲを咥えていた。

 やれやれ。ここの生態系はどうなっているんだ?

 きっとここは眠りの島なのだろう。さっきまで東京駅にいたのが嘘のように思えてくる。彼方の方が夢だったのではないか。そんな風に思えてくる。

 ふと上を見上げた。上を見上げると、普通は空がある。俺は青空を見たくて上を向いた。しかしそこに青空はなかった。

 燃えている東京駅があった。

 おそらく下から見た東京駅だろう。野次馬の靴裏も見える。なるほど。東京駅の内部ではなく、真下に島は存在していたのか。

 ため息をついた。どこまでが現実なんだ?だんだん頭が混乱してきた。狂ってしまいそうだ。

 森を見ると、猫が群がって狩った熊を食べていた。夢を見ているかのようだ。もしかしたら俺は本当に夢を見ているのかもしれない。そうであって欲しいとも思った。日常に戻りたい。

 でも、日常に戻ってしまったら、またあの不安な日々が始まる。それは嫌だ。鬱々とした毎日。またあれを繰り返すのか。考えるだけで嫌になってくる。

 例えば、ここで一生暮らす。

 それが良いことか、悪いことか、俺には判断することはできなかった。


 島を散策していると、あの男が現れた。

「楽しんでいただけましたか」

「もう終わりなのですか?」

「いえ、今日一日は無料体験の期間でございます。ただ・・・」

「明日からは代金を頂く、ということですか」

「ええ。非常に心苦しいのですが」

「おいくらなのですか?」

「通常のお支払い方法とは異なり、貨幣でのお支払いではなく、命でのお支払いとなります」

「命?」

「ええ。他者の命でのお支払いです」

「つまり、どういうことですか?」

「あなたに許可していただきたいのです。どれだけの命を奪って良いか。代金はその一言で結構です。奪う命が多いほど滞在時間は長くなります。一人の命を奪えば、一週間の滞在が可能です。お得なプランもございまして、今だと百人の命を奪いますと、十年の滞在が可能です」

「無関係の人の命を奪えと?」

「ええ。無関係なのですから簡単でしょう?」

 俺は少し考えた。確かに無関係だけれど、命は命だ。

「少し時間をください」

「ええ。ごゆっくりお考えください。呼べばいつでも現れますので。では後ほど」

 そう言って、男は消えた。瞬きする間に消えたので、どうやって消えたのか見えなかった。

 命。

 まず思い浮かんだの友達の死についてだった。友達は優秀なやつで、医者を目指していた。命を救う仕事に就きたいと思っていたやつが、飲酒運転の車に轢かれて死んでしまった。世の中は理不尽だ。あんなに優しくて、頭も良くて、将来有望だったあいつが、どうして死ななければならないのだ。あいつには夢があった。立派な夢だ。世界中の病気の子供を救いたい。馬鹿みたいに綺麗な夢で、俺は思わず笑ってしまうくらいだった。

 命。

 俺の命にはどれだけの価値がある?

 わかっている。そんなことを考え出すとキリがないし、俺には難しくて考えきれない。

 島を歩く。ここは心地が良い。非難する人もいないし、貶す人もいない。人の目を気にする必要が全くない。天国のような島だ。ここにいれば、俺は不安な夜を過ごさずに済むだろう。心地よい眠りを得られるはずだ。

 どうするか。

 俺は夜になるまで悩み、そして、結論を出した。


「決まった」 

 そう言うと、男が現れた。

「決まりましたか。どうしますか」

「ここに十年いることにする」

「そうですか、では」

「ああ。百人の命を奪ってくれ」

「承知致しました」

「それと、あの高圧的な女も消しておいてくれ」

「はい」

 少し沈黙が流れた。

「実はですね、そう仰ることはあらかじめわかっておりましたので、東京駅に隕石を落としておきました。あの新人の女も手足を縛ってライオンに喰わせました」

「そうか」

「ご覧になりますか?」

「見れるのか?」

「ええ。記憶を呼び戻せば良いだけですので」

 男は指を鳴らした。俺の頭に記憶が蘇った。

 東京駅に落ちた隕石。ライオンに喰い千切られる女。そうだ。全て俺が指示したのだった。全部思い出した。

 記憶を見終わった後、俺は汗をかき、喉が渇いていた。男が察したように水の入ったコップを渡してくれた。俺は勢いよく水を飲み干した。

「ありがとう」

 水を渡してくれたことに対し、礼を述べた。

「では十年の滞在。ごゆっくりお楽しみください」

 そう言い残して、男は消えた。

 

 その夜、俺は何故か上手く眠ることができなかった。居心地が良いはずのこの島が、変に窮屈に感じられた。

 不安から逃れたはずなのに、心はざわめいたままだった。

 目を開けると、東京駅はまだ燃えていた。俺は眠りたかった。心の底から眠りたいと思った。

 その光景から逃れるために。



 

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