ポップスター

 流れているのはいつの歌か。僕は喫茶店で歌詞を書いていた。良い歌詞が思い浮かばない。締め切りも近い。焦りばかりが募る。

 息抜きにと3杯目のアイスカフェラテを頼み、音楽に耳を澄ませた。

 昔の邦楽だろう。聞き馴染みのない歌だ。ジャズ要素の入ったサウンドながら、きちんと邦楽の構成を取り、サビはキャッチーに仕上がっている。誰の歌だ?男女のツインボーカルみたいだが、こんな歌は聞いたことがない。サウンド的には80年代の雰囲気があるが、80年代のサウンドに寄せた最近の歌である可能性もある。今度バンド仲間に訊いてみるか。なかなか耳に残る歌で、俺は結構気に入った。

 アイスカフェラテが来た。少し飲み、また歌詞を考える。

 近頃はラブソングばかりつくっていたから、社会性のある歌をつくっても良いのかもしれない。しかし、それはバンドイメージを変更するということでもある。俺たちが目指すべき方向性は何だろう。ロックスターか?ポップスターか?

 また考えが深みにはまって、カフェラテの入ったグラスの底が見え始めても、俺は歌詞を書き上げきれなかった。

 いくつか案が浮かんだから、今度仲間と相談して決めるか。

 そう思い、俺は席を立った。会計をする際、あの歌が流れていた。

「この歌、誰が歌っているか知ってますか?」

 俺は店員に尋ねた。

「すみません。店内BGMに関しては、店長がCDを焼いて持ってきているんです。店長に訊けばわかるんですけど、あいにく店長は入院中でして」

「入院ですか。よくなると良いですね」

「ありがとうございます」

 そんなやりとりをして、その店を出た。


 あれから何年経ったろう。俺のつくった歌はヒットし、街中で流れるほどになった。しかし、その後人気は低迷し、バンドメンバーの不倫が最後の一撃となって、バンドは解散した。俺はソロ活動をしていたが、限界が見え始め、作詞作曲の提供のみをすることにした。でも提供した曲も売れることはなかった。財布の底が見え始め、貯金も無くなっていった。

 あっという間だ。人気が出ても、すぐに落ちていく。積み上げるのは大変なのに、崩れ去るのは一瞬だ。人生とは何と儚いのだろう。俺は一度ポップス界の頂点に立ったのに、今や社会の底辺でのたうち回っている。

 レコード会社との契約もいい加減にしてしまったのは失敗だった。今更金を取り返すことはほぼ不可能だろう。弁護士に相談して取り返そうにも労力と時間がかかる。そしてそこまで大事にはしたくなかった。すでに週刊誌には俺の記事が出ている。落ちぶれたミュージシャンを嘲笑するような記事だ。週刊誌はいつもそうだ。自分たちの方が偉いと思っている。別に偉いと思うのは勝手だが、それが高じて他者を攻撃するようになってしまうのは良くない。まあ週刊誌が人を批判する記事を書く理由は色々あって、人間の本質が変化しない限り、なくなりはしないのだろう。

 何か新しいことを始めたい。ここではないどこかへ行きたい。俺は常々そう思うようになっていた。

 昔は想像力を使ってどこへでも行けた。パリもハワイもニューヨークも、一瞬で飛んで行くことができた。でもだんだん大人になっていき、現実的にものを考えなければならない場面が増えた。苛立つことが多くなり、笑顔も減っていった。あんなに好きだった歌も、金儲けの道具に成り下がった。俺は最低だ。子どもの頃の俺が今の自分を見たらどう思うだろう。俺は月並みな想像をしてみた。きっと子どもの頃の俺はこう言うのだろう。つまらない大人になってしまった、と。

 実際そうだ。俺はつまらない人間だ。稼げるものが善で、そうでないものは悪。そんな価値観に、いつの間にかなっていった。それは間違ったものではない。でもきっと正しいとは言い切れない。金は価値をはかる物差しにはなるけれど、それを全ての指標にしてはいけない。

 そんな、ごくありふれた結論に至るまで、俺は何年もかけてしまった。


 道を歩いていると、小学生にサインを求められた。本当に俺のサインが欲しいのかと何度も聞いた。おじさんのサインが欲しい、と元気に返してくれた。

 俺はその子からノートを受け取り、サインを書いて渡した。彼は俺に一輪の花をくれた。赤い、綺麗な花だった。彼は同じ花をもう一輪持っていて、お揃いだと言った。

 彼と別れ、ひとり歩く帰り道に、俺はその花の匂いを確かめた。

 何だか泣けてきた。

 彼にとって俺はいまだにポップスターなのだ。この一輪の花のように、彼にとって俺はまだ枯れていない花なのだ。

 花の歌をつくろう。とびきり明るい歌をつくろう。

 そんな風に思った。

 河川敷でキャッチボールをしている親子。川で泳ぐ魚たち。トンボが俺の目の前を横切る。自転車を漕ぐどこかの誰か。五時を告げるチャイム。夕暮れ。

 全てが幻想的で、俺が今ここにいるのは奇跡だと思った。

 頭の中では、いつか喫茶店で聞いたポップチューンが流れる。

 何か、まだやれることはきっとある。

 歌を口ずさみながら、ポップスターは夕暮れを歩いていった。

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