タコ踊りと逆水平チョップ

 エーコの部屋に入るやいなや、僕は床を転げまわり耳毛を探した。髪の毛も恥ずかしい場所の毛もどうでもいいが、耳毛だけは回収したい。瓶に詰めて時折クンカクンカしたい。

「毎日メイドが掃除してくれるので、毛の一つも落ちていないんですよ」

「それはよかった。毛の一本でも落ちていたら、バナナみたいに滑って危ないからね」

 僕は毛探し行為に対する高度な言い訳を行いつつ、心の底では地球上のあらゆる神を呪うレベルで落胆した。

「すごいですねぇ。さすがエーチさんです。そんなとこまで気を配るんですねぇ。――とりあえず、ダンスの練習の前に一曲聞きましょうか」

 そう言ってエーコが差し出してきたのは……一本のイヤホンだ。

「イエァ! レッツロケンロー!」

 僕のテンションは神話大戦ラグナロク半歩手前から黄金喫耳時代パックスミミタニアまでI字回復した。

 一本のイヤホンを美少女と共有。それは男子ならば誰もが憧れる激アツシチュエーションの筆頭だろう。

 最高の気分だ。あのエーコのネコミミに装着されて、あれやこれや名曲駄曲の数々を、汗や耳垢などほんのり吸いながら再生してきたイヤホンが、僕の耳に掛かっている。

 惜しむらくは僕のネコミミが偽物ということだが。

「はああ……やっぱ『冬一番』はロリポップスの曲の中でも最高ですねぇ。いや、ロリポップスの曲は全部最高なんですけど、これも最高という意味で、つまり最高なんです。特に歌詞が最高ですよ」

 エーコは僕の喫ミミ行為にも気づかず、ロリポップスのヒットナンバーに貧弱な語彙で聞き入っていた。そういう無防備な姿がますます喫ミミポイント(僕が勝手に設定したポイント。貯めると僕が嬉しい)を上昇させていく。

 おっと、間接喫ミミに夢中になっていたら、曲が終わってしまった。

「それじゃ振り付けのコピーでも始めようか」

 名残惜しいが、ネコミミは逃げない。いや、壁の向こうでは滅茶苦茶逃げられたが、今はとりあえず逃げない。イヤホンを惜しみつつ、僕はエーコに対するダンスレッスンを開始する。

「『冬一番』のセンターは、こう踊る。まずイントロで腰に手を……」

 部屋の外にバレないよう小声で歌いながら、僕はエーコの正面で踊った。我ながら完璧な動きだと思う。

「それじゃ僕がやった通りにしてみて」

 次はエーコにやらせてみる。彼女の運動能力は、種族としての特性もあって折り紙付きだ。ヒトミミアイドルの振り付けに身体が追いつかないということはまず有り得ないだろう……が、

「こう! こう! こうっ! こうですね!?」

「すごいねエーコさん。エビの群れに突っ込んだタコみたいな動きだぁ」

 エーコは高すぎる身体能力を全く使いこなせていなかった。暴走気味の動作はいちいちオーバーで、僕の例え通りの有様だ。というか振り付けがのっけから間違っている。

 クネクネブンブンと無駄に柔軟性の高い手足を残像付きで振り回す彼女は、アイドルというよりキッカイな拳法使いのようだった。

「……ダンスのレベルは分かったから、次は歌ってみようか。布団被れば遠慮なく熱唱できるよね」

 とりあえずダンスは課題として、歌わせてみる。歌ならばダンスよりも敷居は低い。こっちは多少マシなレベルだと思いたい。

「はい。それでは……」

 エーコはオバケめいて布団を被り歌い出した。

「あー↑きがぁあああ過ぎてぇ↓え↑え↓え! スペイン風邪がぁぁあああ↑↑↑ すいません、次の歌詞忘れましたぁ!」

「ヤバいね。調子が全部きっかり10ヘルツきざみにズレてるよ。ある意味絶対音感だぁ。あと正しい歌詞は『秋が過ぎて寒い北風が――』ね。スペイン風邪ってなんだよ。パンデミック起こしたがるアイドルってなんだよ畜生。僕にはもう何も分からない」

 僕はこれでオーディションを受けようとしたという事実に眩暈を起こした。ちなみに↑が10ヘルツ上がる。↓が10ヘルツ下がる、だ。

 さて、僕はコイツをどうすればいいのだろう。顔以外アイドルの才能皆無じゃないか。

「やっぱ、ダメですよね。私も分かってるんです。自分の実力がロリポップスに相応しくないことなんて」

 ロリポップスどころか人として最低限のキャパシティにすら達していないが、そこまでの死体蹴りはさすがの僕でも控えておいた。

 嘆息とともに、エーコは一枚の紙を手に取る。

 くしゃくしゃになり、ピンクの染料が付いた、汚い紙切れだった。

「『毛利栄子』。偽名か、これは……」

 西側風の偽名に、帽子を被った顔写真。あとは特技やスリーサイズやらで埋まった一枚の紙。オーディション用のエントリーシートだ。

「とにかく西側に行って、会場でこれを出して、オーディションに参加して。試すだけ試してみよう――なんて思ってたんですけどね。出せずじまいでした」

 エーコは自嘲しながらそう言った。

『才能が全てじゃない。努力すれば何でもできる』なんて浮ついたセリフ、天稟任せでおよそなんでもこなしてしまう僕が言えるわけもない。

「とにかく、もう少しやってみよう。君才能以前にバ……努力の方向が間違ってるだけかもしれないし」

『バカ』と漏れそうになった本音を押し殺し、エーコの正面でイントロのポーズを取った。

「うう、エーチさんは本当に優しい人ですぅ」

 さもあろう。小早川エーチこと石田栄一の半分は優しさで出来ている。残り半分は下心だけど。

「『秋が過ぎて』の出だしで右腕を――」

 僕はダンスを左右逆にアレンジしてエーコに真似させる。ゆっくりとだが、これを繰り返せば多少はまともになっていくはず。

「な、なんか動けるようになってきたかも、です」

 僕の動きに追従するうち、エーコのそれも割とマシになってきた。

「よし。それじゃちょっと音楽に合わせてみようか」

 レコードプレイヤーを最低音量に設定し、エーコと一緒にダンスを始める。

 ああ、いい感じだ。最初の方と比べれば見違えるように……?

 上手くいってテンションが上がってきたのか、エーコの踊りも激しくなっていく。これはヤバいかも。

「ちょっとストッ――」

 止める間もなく、エーコは片手をレコードプレイヤーに激突させた。

 手のケガで済めばまあ、耳以外だし別に気にするまでも無かったのだが――とんでもないことになったな、これは。

 エーコの逆水平チョップで弾き飛ばされたレコードは、回転の勢いのままガラス窓までスッ飛んでいった。そのままガラスを見事に粉砕し、黒い円盤は徳川邸の庭を飛ぶ。

 さらに通りかかった猫がレコードを咥えると、僕を一瞥して逃げていった。

「ああ、お父様のレコードが!」

 エーコが叫んだ。レコードの表面には思いきり、西側を代表するアイドルの曲名が踊っている。誰かに見つかれば、その時点でかなり面倒なことになるだろう。

「なんだよこれ……」

 僕はまたもドン引きした。

 要するに、徳川エーコの『奇跡体質』がまた発動したのだ。どうやら僕らはあの猫を捕まえる以外どうしようもないらしい。

「追いかけよう、エーコさん」

「は、はい!」

 嫌々ながら、徳川邸での猫捕獲作戦が開始された。ネコミミ美少女なら地の果てまで追いかけるにやぶさかではないが、ただの猫は守備範囲外だ。

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