スケパン仮面

 紙をめくる音が二つ重なっている。

 所用で帰宅するなどとのたまったマクシムのせいで、今僕とエーコさんは二人きりだ。

 でかしたマクシム! 正直お前のキザったらしい態度は気に入らなかったが、今ばかりは感謝をしてもいい。

 エーコは僕に耳をしっとり差し出すでもなく、ひたすら紙をめくっている。

 政治委員としての今日の仕事は、党機関紙に掲載する作文の選考だった。『政府と私』とかいうテーマで、学園の生徒全員に書かせたものだそうだ。――予想通り、どれも判を押したように同じ内容ばかり。坂東共和国の平均化教育は非常にうまく機能しているらしい。

 ふと、同じような文章の中にあって異彩を放つ紙を見つけた。短いが、この文章からは才能を感じる。


『政府と私  二年B組 井伊ヴァルヒコ


 とにかく女の子と仲良くなりたい。』


 なんという文学性だろう! 短い中にも詰め込まれた情動はHAIKUにも繋がるWABI-SABIの極地に到達している。テーマである政府も何も全く関係ないようでいて、その点がむしろ読み手の考察を促し、深海のような哲学世界へと誘うようだ。ヴァルヒコはただならぬ人物と期待していたが、ここまでの男だったとは嬉しい誤算じゃあないか。

 ただ、『仲良くなりたい』の部分からは大衆迎合的な日和見が読み取れてしまう。もし内容が『とにかく女の子をペロペロしたい。』であったならば、僕は文句なくこの作文を推薦作品の候補に挙げていただろう。エーコさんに対し執拗に感想を訊いた上で。

 というわけでボツ!

 すまんヴァルヒコ。君の才能はまだこの国には早い。

「……」

 エーコは相変わらず作文をペロペロもといペラペラと止めどなくめくっていた。

 今この部屋には僕と彼女の二人きり。軽く調べてみたが盗聴器の類も設置されていない。

 僕には選択肢が二つある。

 徳川エーコに対し真意を問い質すか。それとも疑念を抱いたまま生徒会を利用するか。

 どちらにもメリットデメリットはあるが、エーコが“跳び越えた少女”の候補にある以上、前者を選択するべきだろう。――対象者に対する尋問も任務の一部だ。最終的には懐の銃も少し見せる必要があるかもしれない。

 そうはなって欲しくはないが。あくまで最終手段だ。

 僕が彼女の肩を叩こうとすると、

「少し外します」

 エーコは席を立った。

 ここから自然な会話に持っていくのは厳しい。尋問とはいえ段階は必要だ。

「行ってらっしゃい」

 僕は彼女を見送り……おもむろに外へと歩き出した。

 小さい方か大きい方か女の子の日か……それ以外かは存じ上げないが、僕には彼女の監視をしなければいけない義務がある。

 ネコミミ人は、ケモミミの中でも特に聴覚に優れた人種だ。足音は当然、僅かな呼吸すら気取られる可能性がある。

 それでも僕には尾行できる自信があった。

 相手の呼吸を読み、呼と吸が切り替わるタイミングで行動する。無防備な一瞬に滑りこみ、敵の意識を恣に。コマンド古武術では基本の技術だ。

 気づかれてはいない。大丈夫だ。僕の技術はあのネコミミに通じている。

 徳川エーコは学校の廊下を澄まし顔で歩き、二年の女子更衣室に向かって行った。

「……」

 どうする?

 聞き耳を立てるか?

 中の様子を知る必要がある。こんなことならエーコの服に小型カメラでも仕掛けておけばよかったと、少し後悔した。隙らしい隙を見出せなかったのだからそれは仕方ないとしても。

 ……やむを得ない。突入しよう。僕の今の立場、『同学年の女子生徒』という偽装身分を考えれば、不自然ではない。初めてあの局長の性癖がほんの少しだけ役に立った。

 僕はガチャリとドアノブを回し、女子更衣室に足を踏み入れた。

「水筒更衣室に置き忘れちゃったなー。お気に入りのお茶を入れてきたのに」

 適当な言い訳を並べ、あたかも偶然更衣室で遭遇したかのように。

 口調は暢気だが、目は鋭く室内を見渡す。エーコが何か怪しい行動をしているならば、絶対に見逃さないよう。

 見渡した先――そこに、奴はいた。

「それはいけない。冬とはいえ脱水には気を付けねばな」

 変声機でも使っているのか、そいつはグニャグニャな声で紳士的に言った。まったくまっとうな事を、世間話でもするように。

 ああ、そいつは……そいつは……!


 スケスケレースパンツを顔に密着させた全裸の男だった。


跳び越えた少女アウトランナー”捜査のため集中力を全開させていた僕は、そいつをガッツリ見てしまった。

 筋肉隆々の裸体に、対物ライフル的なアレをブラ下げた男。

 耳の形状は不明だ。微小面積ながら絶妙に顔を隠すスケパンに加え、西部劇で見るような変態的テンガロンハットで耳を見せないようにしている。股間の巨獣(ベヘモト)は一切隠していないが。

「どうしたお嬢さんレイディ。私のことなら気にせず、水筒を探すがいい。ホラホラ、遠慮は不要だよ?」

「変態だアアアアアアアアア!!」

 我が物顔で女子更衣室にのさばる変質者に、僕は思わず叫んでいた。

 間違いない、こいつが……

「スケパン仮面マスク!」

その通りでございますイグザクトリィ!」

 実際見るまでは『スケパン仮面』なるものが何なのか訳も分からなかったが、こうして目撃した後だと断言できる。こいつは疑いようなく『スケパン仮面』としか呼べない。

 変態相手とはいえ、発砲は学園内に痕跡など残る。制圧するなら格闘戦だ。すげえ不愉快だが、接近して無力化するしかない。

 僕はコマンドナンバ歩きで変質者に接近し、コマンドチキンウィングフェイスロックを食らわせようと――

「ははは! 乱暴なネコミミお嬢さんだ!」

 して失敗した。

 なんだこいつは! 変態の分際ですさまじい脚力だ!

 スケパン仮面は僕の手から逃れるよう、女子更衣室内を縦横無尽に駆けまわる。

 どう見てもヒトミミの身体能力ではない。――ケモミミ。それも脚力に特化した種族と予測するが、テンガロンハットのせいで確認不能だ。

 奴がただの通りすがりの変態なのか、(あって欲しくはないが)何か国家的陰謀に関わる重要存在なのか、捕まえて穿かせようもとい吐かせようにも僕の運動能力では捕まらない。

“跳び越えた少女”という火種を抱える共生学園に出現した以上、前後関係を疑わざるを得ないというのが最悪だった。

「レースのパンティは繊細でね。フリーハグのサーヴィスは実装未定なのだよ」

 変態は僕に追い回されながら、何か訳の分からないことを喚いた。

 僕はまがりなりにも治安機構に携わる身として、怒りを込めて叫ぶ。

「神妙にしろスケパン仮面! お前は法治国家に存在しちゃいけない生物だ!」

「法が人を治めるのではない。人が法を治めるのだ。秩序に飼いならされたケモノは、やがて萎えた脚で立ち上がる気力も無くす。ならば私は法や秩序への反逆者となろう。――見よ、この無秩序のケモノを!」

 スケパン仮面は何やら意味深な反論を行いつつ、股間にブラ下がる無秩序のケモノをブルンブルン振り回し始めた。耐え難い光景だ。ごく真っ当な常識人として意味を計りかねる変態行為だ。

 もう変態の相手はたくさんだ。

 僕はスケパン仮面に対し一歩踏み込み――

「むッ!?」

 逃げようと後退した奴の足元に液体をぶちまけた。誰かが更衣室に置き忘れたボトル飲料だ。

 強力な脚力がむしろ徒となり、スケパン仮面は足を滑らせた。

「――思いの他、出来る!」

 この期に及んでも上から目線なのが癪だが、とにかくこれで捕獲はできるはずだ。

 僕はスケパン仮面の手首を掴もうと奔る。そこに――

「!?」

 ロッカーの一つが、いきなり開いた。

 中から出てきたのは人だ。黒いネコミミの、女子生徒。

「徳川エーコ……!」

 またしても、おかしなタイミングで彼女と遭遇。

 いや、そもそもエーコを追って更衣室に侵入したのだから、彼女はこの部屋にいて当然か。なぜか正体不明の変質者と入れ替わっていたというだけで。

「冷たっ!」

 僕がエーコの二の腕を掴むと同時、スケパン仮面を滑らすのに使っていた飲料を思いきり引っ掛けてしまった。彼女は小さく悲鳴を上げ、その場に硬直する。

 スケパン仮面には……逃げられた。開いた窓からは、冷たい空気が無情に吹く。

「ひどいですエーチさん。いきなりジュースを掛けるなんて」

「え……ああ、ごめんなさい」

 妙な登場でスケパン仮面の拿捕を邪魔しておきながら、エーコはむすっと僕を責めた。慌てて彼女を掴む手を放す。――というか、

「なんでロッカーの中に?」

 更衣室に消えたと思ったら、変質者との戦闘中にロッカーから出現だ。それは訊いてみたくなる。いったいエーコは何を考えていたんだ。

「探し物をしていました」

 と、だけ。エーコはただそれだけ答えた。

「探し物……?」

 それが何か訊ねようとした僕に、エーコは被せるよう言う。

「それよりエーチさん。外から『スケパン仮面』がどうとか聞こえましたけど」

 ? まるでスケパン仮面の侵入を知らないような口調だ。あの変質者と僕との遭遇は、彼女の想定内ではなかったのか。それならばスケパン仮面はなぜ女子更衣室にいたのだ。

 疑問に思いつつ、僕はエーコに答える。

「さっきまであいつがこの部屋にいたんだよ。――転校初日、僕に『スケパン仮面に気を付けて』とか言ってたよね? どういうつもりでそんな事を……」

 問い返す僕に、エーコは淡々と、

「そういう変質者がいると噂になっていたもので。転校生のエーチさんに注意のつもりで言ったのですけど。……そうですか、会いましたか。あなたが無事で良かったです」

 なんということだろう。馬鹿馬鹿しいが、理屈は通る。

 もしかすると、徳川エーコに関する僕の思考は全部深読みのしすぎなのではないか?

 彼女は僕を陥れようとしているわけでも“跳び越えた少女”でも無く、単なる滅茶苦茶可愛いネコミミ女子高生なのでは? 生徒会に誘ったのも、右も左も分からない転校生に対する親切心からで……

「お姉様……」

 超絶ハイレベルなネコミミ美少女というだけでも満点なのに、そんなことをされたらもう惚れるとかそういう段階じゃない。僕はミミ姉妹の誓いを立てようとするほど、徳川エーコに心酔しつつあった。お荷物お持ちしましょうか、お姉様?

「濡れてしまいました。この服は着替えないと」

 そう言うが早く、エーコは僕がジュースをBUKKAKEた制服を脱ぎだす。魂の妹として着替えを手伝う間も無く。いや、実に惜しい。服を脱がすふりをしてネコミミをクンカクンカできるかもしれなかったのに。

 ブレザー服を脱ぎ、白磁のような肢体と合衆国製のブランド下着を惜しげもなく晒すエーコ。性癖に関してはケモミミ至上主義の僕でも息を呑むような美しさだ。一枚の名画に例えてもいい。

 任務も忘れるほどの時間だった。

 僕がこの国に何をしに来たのか、忘れてしまうほどに。

 どういうわけか、こういう瞬間に限って『最悪』という魔物は襲ってくる。それは僕のジンクスのようなもので、そのたびに僕は所詮国家の暴力装置と自分に言い聞かせることになる。

 今、まさに、

「……!?」

 エーコが着替えの入ったバッグから出した制服。ネオセキガハラ共生学園の女子制服であるブレザー。

 決定的だった。もう何の疑いも無いほどに。僕の楽観は打ち砕かれた。

 その制服の肩から襟あたりには、べったりピンク色の塗料が付着していた。

「予備の制服もこれしかないです。仕方ないですね」

 徳川エーコはピンクに汚れた制服を着用した。完全に、彼女のサイズにピッタリだった。他人のものとは思えない。

 ピンクのペンキを頭からかぶっていた少女。

 核ミサイル着弾直後に目撃された少女。

 ヒトミミの支配する敵国を単身走り抜けた少女。

“跳び越えた少女”……それはもう、確実に徳川エーコだった。

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