第51話 モップ10
街で生活を初めて1年、アネモネ荘が食堂の営業を始めてから直ぐにカティアの母であるピチカートさんが退院して戻る事になった。
食堂の方は営業再開直後は少し慌ただしかったが、昼時のみの営業に絞り、提供するメニューもショートパスタとクズ野菜多めのハンバーグのみと限定的な為に、ルルイエ母さんが調理しカティアが給仕を務める形式でも順調に回っていた。ハンバーグに入れる野菜は日替わりだ。ルルイエ母さんのお陰で塩味をパスタにつけられる事もあり、評判はそれなり。利益は少ないが赤字でも無い。今後は付加価値を付けるために、策を練る段階だ。
親子二人が細々と食べていくにはといった規模にはまだ手が届かない。
それでも、チルと俺がギルドの依頼で得る収入と合わせるとそれなりの額になる。宿泊費を抑えられているのも大きい。これはカティアの両親の功績だな。
そんな堅実に家と土地を手にした夫婦の片方が戻ってくる。現在カティアとチルが寝泊まりしている一階の居住域の壁に手摺等を付けるバリアフリー化等をコツコツ頑張りつつ、施療院にも月1程度には顔を出して親交を結んだ。
カティアとチルの治療に関しては最初期には光の魔法を使って居たが、遅効性の致命傷をある程度治してからは地属性の治癒魔術に切り替えた。ギルドで属性判定の時に蘇生魔法と共に得た魔術だ。これが非常に優秀でゲームならターン終わりに回復なだけなのだが現実だと同じ効果にも優劣がある。
光属性以外の治療は肉体の持つ治癒力を高めたり、回復の阻害要因を低減する事で自然治癒を促進する。もっと突き詰めると細胞分裂を活発にさせる物だ。前世の感覚でいうとテロメアが劣化し細胞分裂時の細胞が癌化しやすくなる。結果として回復できる回数や程度にも限度があるのだ。光属性は外部から補填するのでそれがない。燃費は悪いが際限なく回復できる。
そして、この度習得した治癒魔術だが、そうした細胞の負担を可能な限り抑えようと絶妙な調整というか、精密な術式が組まれている。感覚だよりの魔法や簡単な術式で同じ治癒効果を得るより数千分の1、或いは数万分の1まで身体への負担を低減している。回復効果としては地属性の処理的な術式でも同じ程度の物があるし、医学の進んでいないこの世界においては価値を理解されにくい術だが、非常に使っていて勉強になる術だ。恐らく、自分同様の転生者が絡んでいる。教会の初代勇者もだが過去にもこの世界に転生なり転移なりをして来た者がいるのだろう。もしかすると今も俺の他に居るのかもしれない。まぁ、仮に出くわしても進んで関わろうとは思わない。
これまでこちらで生きてきて感じたのは、生まれ変わると記憶はあっても別人だと言うことをだ。前世から引き継がれた意志と生まれたての体で育まれる意志とが混ざり、この世界に生きる人間なのだと実感させられる場面が何度もあった。
いまだにルルイエを母と慕い、抱かれて眠ることに幼さ故の幸福感を感じるし、本気で彼女を母と体は認識している。
「チカママさんの方が異性と意識して照れるもんな。」
容姿なら誰もがルルイエの方が美しいと思い目を奪われるだろうが、俺の頭はカティアの母であるピチカートさんに大人の異性を見出しドギマギしてしまう。
前世の自分のままならば考えられない事だ。そんなチカママ、この呼び方はチルの物が移った、の為に宿のバリアフリー化に張り切ってしまったりしていた。
そんなチカママさんの退院の日、その日はギルドの仕事も受けずに施療院にカティア、チル、母さんと俺の4人で迎えに行く。
チカママさんは欠損した足に義足を付けて杖を付きながらも自力で立っていた。ここまで回復するのに時間がかかった。彼女に対しては俺は魔法などは使っていない。ただ、店で出している料理を母さんが持っていって食べさせながらカティアの様子を話して聞かせるということを頻繁に行っていたそうだ。それにより自力でここまで体力を取り戻した。
「ママ、大丈夫?」
「ええ、退院出来るくらい元気になったのよ。」
杖を持たない方の手でカティアを手を繋ぎゆっくり歩きながら宿に戻る親子。その後ろで俺もまた母の手を握っている。俺と反対の手はチルが握っている。正確には寂しそうにしていたチルの手を母が握っている。前を歩く親子は決して傷だらけで五体満足とも言えない。痩せて居て着ている物も良いものではない。
たが、満たされて幸せそうに見えた。このさき、この親子が今の幸せを維持できているなら、それは周りの人々も幸せになれている。そう思わせるような温かい気持ちになれる。憧れを抱かせる景色だ。
アネモネ荘に辿り着く。
食堂に入った所でチカママさんがカティアを片手で抱き寄せる。
「ただいまカティア」
その一言にカティアは何か返事をしようとしたが涙と嗚咽に変わってしまった。そんな彼女を抱いたままピチカートは後に続いて入ってきた俺達に視線を向ける。
「貴方達もありがとうね。チルちゃんはカティアの友達になって一緒に支えてくれて、ルルイエさんも本当はお客さんの筈なのに。」
「そんな水臭い事は言いっこ無しよチカ。それより早く昼の給仕の仕事に慣れて頂戴ね。最近お客さん増えてきて二人では人が足りなかったのよ。」
「ルルイエさんは厳しいなぁ。でも本来は私の仕事なのよね。任せて頂戴。」
「チルも負けないようにお仕事頑張るにゃ。」
「俺も頑張ります。」
正直な所、食堂の稼ぎよりギルドの依頼の方が報酬は良い。そもそも営業時間が短くて客の数に限度がある。カティアもまだ身体は完治しておらず、動けるのが母さんだけだったからな。
チルも顎の怪我は治したのに喋り方の矯正は上手く言っていない。
チルは現在は孤児の扱いなので慈善事業の依頼がある。あと約3年後、10歳を堺にギルドでの扱いがかわりその手の依頼は受けられなくなり、正式なギルドの見習い冒険者扱いとなる。その頃にはアネモネ荘の給仕になるのだろう。
それまでに食堂を軌道に乗せ願わくば宿の業務も再開出来るようにするのが目標だ。
俺はもっとチート能力に磨きをかけて街中での稼いで身を立てる努力をしよう。
それからは平和な時間が過ぎた。チカママは光属性以外の治癒魔法では今より回復は出来ない事がすぐにわかったが、義足での活動にも慣れて本格的に食堂で働き出した。給仕になるかと思いきや、料理も手慣れていてパスタとハンバーグを直ぐに覚えて自分形のアレンジを加えルルイエから厨房の仕事を奪ってしまった。そうなると給仕に回ったルルイエが高い身体能力でバリバリに動き始める。カティアも負けじと仕事を覚えていく。食堂の売上は増えていく。
俺は俺でギルドの仕事をしながら勉強と鍛錬に勤しむ。
今の目標はアネモネ荘の部屋を出て近くに部屋を借りるか購入し親子で暮らす事だ。母には引き続きアネモネ荘に従業員として勤務し通ってもらうつもりなので、近い場所にしたい。そうすることでアネモネ荘は宿として使える部屋が増える。
その為には小さい家でも、買える金が必要になる。十歳以降受けられる様になる街の外の依頼。成果報酬の仕事は街中の仕事より利益の振れ幅が大きい。特に魔物退治の伴う危険な仕事は。その備えだ。能力と信用を今から積み重ねていく。ギルドの脳力判定では少し苦い思い出もあるが、お陰でお偉いさんからは魔法に関して能力の信頼はある。
家を買えて本格的に街に根を張れたら、一緒にアネモネ荘で働くもよし、清掃の仕事で培った信用で就職したり、掃除屋として独立してみるのも良いかもしれない。
どうするにせよ真面目に堅実に焦らず事を進めていく時期だ。勉強に仕事にひたむきに打ち込む平和な時期を過ごしていた。
何か特別な悪さをした報い等ではない。ただ巡り合せが悪かった。ピチカートには後悔の余地は僅かにしか無い。故郷に帰れなくなる事は珍しい事ではない。魔物の被害もあるが、隣合う領地のいざこざで境界にあった村の統治者が変わることもある。その時も巡り合せが悪く、外に出ていた彼女は故郷へ帰ることを諦めた。今は村自体が無くなり、両親も移住し疎遠になっている。夫を得て子供が出来た事は手紙で伝えた。返事は無く届いたかも怪しい所だ。
だから夫が居なくなってから一人で奮起した。
夫も自分も他所からやって来た者同士。仕事を通して出会い、意気投合し夫婦になった。一番共感出来たのは、今の仕事を足抜けし街に根を張る事。その為の貯金をしているという点。
街でやりたい業務も夫は同業者向けの宿、私は食堂で料理をしたかった。やりたいことが両立出来た。依頼を共にした仲間から、今後の人生の目標を共有出来る相手になった。
仕事の合間に物件を探す。二人の夢を叶える場所だ。
そんな二人だから目をつけられた。特段優れた能力があったわけではなく、中堅でも下位の実力と堅実に貯めた資産。ギルドという後ろ盾はあったが、そのギルド内に非合法組織との内通者が居てはその権威も意味を成さない。
非合法の組織としても不動産を扱う商人から奪うより、自分達から奪う方が楽な事は今なら理解できる。
行方知れずと言われる夫。宿の土地を買ってからきな臭い気配を感じてキルドに相談していた。解決の糸口が掴めそうだと話してい居た翌日に姿を消した。
無理をした自分は利益を優先し単独でギルドの依頼を受け、この在り様だ。その時はまだギルド内に内通者が居り、受けられる筈の支援が滞っていた。娘を孤児院に預けるのが精一杯だった。
そして、娘のカティアが重症を負う。これは数少ない後悔でもあり、その事に結果的に救われた面もある。
まさか幼い娘が物心付く前の家を覚えているとは、そして幼いながらに中に居たならず者に挑みかかるとは。一体誰に似たのか。冒険者になったら利益の為に無理して単独行動をしそうな娘である。
その結果、娘は瀕死の重症を負う。殺されなかったのは一緒に乗り込んだ娘の友人が助けを呼びに出て間に合ったからだ。
カティアが孤児院に預けられ教会の管轄にあった為に、この事件はギルドとは別の教会という大きな組織に注目された。
そうしてカティアの素性と事件現場の調査が教会主導で行われる。そこでギルド内で手続きが不自然に滞っていることが発覚。組織的な犯罪を疑われる。そうなるとギルドも黙っていられない。本部から支店に支局を作り責任と労務の分散という名目でかなりの裁量を持つ立場の人間が支店に派遣されて、形振り構わない内部監査が行われた。
結果、内通者は炙り出されその後に居た組織も明るみ出る。そこからはギルド、教会が共同で対応に乗り出す。そこまでの事態に街の長は領軍の出動を要請。
組織の本拠があったスラムの一角が更地になった。
そして、他の組織の拠点から夫の装備と数人分の遺体が見つかる。どれも損壊が激しく身元の特定は出来なかった。
愛した男に裏切られて居なかった安堵と置き去られた寂しさが同時に襲って来たのを覚えている。
それからは本当に無気力にゆっくりと死んでいくだけの時間を送った。
見舞いに来た娘を抱いた時の絶望は今でも忘れられない。細いだけでなく、明らかに変形した骨の感触と身動ぎするのを耐える娘の顔、ぎこちない足取り。治療を受けねば娘の命が長く無い。しかし、それだけの持ち合わせがどうしても用意できない。動かないどころか存在しなくなった片足が本当に苦痛だった。心は折れていた。
それから一年弱っていく娘を見ながら看取って逝くか残していくかだけを迷っていた。
変化が起きたのは娘が宿の客だと言って連れてきた親子が現れてからだ。
見惚れる程の美女と無表情な男の子だった。娘の声が何処か明るかった。
その後、暫くしてに母親の方が一人で会いに来た。
「カティアちゃん、治すわよ。貴女はどうする?」
「治せないわ。そんなお金も無いし。そもそもない治せる程の術師がこの街には居ないもの。」
「今は居るわよ。私の息子は天才だから。」
冗談だと思った。笑ってこの美貌の未亡人ルルイエさんなりの励ましだと聞き流した。
その後直ぐに彼女はカティアを娘を連れてきた。その日はカティアの方から私を抱きしめて来た。胸骨の感触が違った。顔色が違った。少し肉が付いていた。
「貴女はどうするの?」
その問いを再び投げかけられた時に首を縦に振った。
そうして今、自宅の玄関で娘を抱きしめている。目線を上げると恩人である親子と娘の友人が手を繋いで立っている。
全ては巡り合わせだ。そしてまだ幸せを諦めなくて良い。その事実を感じられる方が何より幸せだった。
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