第16話 ふうでん10

 分霊浮遊させて動きを止める。呼吸の必要のない分霊はこれで完全に気配が消える。人目には見えないしこの暗闇中で分霊の姿を捉えられる者は居ない。


「い、居るんでしょ。解ってるんだから。」


 部屋に入ってきた震える声を出す。女性か?若い声だ。


「ここ数日、ギルドのこの部屋から気配がするの。今もさっきまで感じてた。隠れても駄目だから、ボクの神聖術はどんなアンデッドだって浄化するんだからね。」


 浮遊しながら、入口へ向かう。オーラで視界を強化すると声の主の姿が見える。

 ローブを着た、手入れのされていない黒髪の少女。黒縁の眼鏡をしている。そしてそのメガネがこちらを向く。


「そ、そこにい、見てるの?ターンアンデッド!」


 懐からステッキを取り出し魔術を使う。光の粒子が彼女を中心に拡がる。凄く強い魔力を感じる。分霊の気配を察知したことも含めた優秀な術者の様だ。

 まぁ、分霊には効果の無い術だ。霊とは言うが死霊ではない。生霊に近い。


「え、なんで。効かない筈が」


 言動的に優秀な能力はあれど、経験不足か、もしくは気質として臆病な様だ。

 部屋の奥に移動すると、恐る恐るだがステッキを光らせ追ってくる。先程オーラを使った時にこちらを見た。部屋の外からもオーラを使うと気配を察知出来る様だ。

 彼女の歩く振動か空気の動きで、分霊とも関係無い場所で物音が立つ。

 凄い勢いでそちらに向き直る少女。凄く緊張しているというか、怖がっているのがわかる。こんな面白い子居たのか。光の魔術を使えて死霊やアンデッドの類を浄化出来る才能ある若者だ。

 ちょっと悪戯心が湧いてきた。この人は悪いとでは無い。

 オーラを纏い窓に近付く。


「待て逃がさない。この建物には結界が貼ってあるから悪しき御霊は通れない。」


まぁ、分霊は壁抜けとか出来ないので窓を開けないことには外には出られない。オーラを解除する。窓の鍵を音を立ててゆっくり開ける。


「うそ、気配が無いのに。」


 窓を開けてオーラを纏い勢い良く窓を閉じる。その音に短い悲鳴と共に尻餅を付く。オーラを消して彼女の横を通り入ってきたドアを勢い良く閉める。


 その音に振り返り、顔色が変わる。尻餅をついたまま四つ足でドアに這い寄り開こうとする。しかし分霊の腕力に勝てずドアは開かない。


「うそ、やだやだやだ、なんで。浄化したのに。」


 必死にドアを開けようとする顔は恐怖に染まっている。多分、お化け相手の術者としての能力はあれど性格はその手の怖い話が苦手なのだろう。どんどん錯乱していく。ステッキを持ったままドアノブを掴み動かすから遂には明かりの役割のステッキを取り落とす。それを追ってドアから離れる彼女を追いかけて、先にステッキを回収する。分霊が持つことでステッキから出ていた光は消える。急に訪れた暗闇に視界を失い何かに打つかる少女。

 座り込んだ少女の荒い吐息が部屋に響く。ガチガチを歯を鳴らして震えている。オーラは使わず天井越しに入口側へ周る。入口から目を強化して部屋を見渡すと壁際の棚の下で座り込んで震えている少女が見つかる。浮遊するのをやめて、オーラも消して、見えた景色の記憶を元にゆっくり足音をたてて彼女に近付く。気配からして彼女は動かない。しかし激しく震えている。

 どうやら腰が抜けて立てない様だ。

 悲鳴も挙げない。口を食いしばり、しかし過呼吸の様にヒューヒュー音はする。ああ、股間が湿っている。

 やり過ぎたとは思うが、最後は口封じをしなくては。オーラを消したまま、彼女の腕を掴む。立たせる様に引き起こそうとする。浮遊して棚の上に上がり上に引き上げようとする。


 謝罪の言葉や行きたくないという懇願の言葉が涙声で響く、そしてあらん限りな魔術を行使する。まあ、全て分霊には効果がない。魔力を使い果たした少女はぐったりとして、抵抗力が消える。同時に建物を覆っていた何かが消える感覚があった。恐らく彼女の結界が消えたのだ。

 無抵抗の彼女を引き摺り窓から外へギルドの裏路地に舞い降りる。街灯の明かりが差し込んている。それに縋る様に逃げようとする彼女を押し止める。もう悲鳴を上げる気力も体力も無いようだ。

 彼女に見えるように地面にステッキで伝言を書く。


 『忘れろ、次は連れて行く』


何処にぶつけたのか擦りむいて出血してきた彼女の血を拭い彼女の頬に化粧するように線を引く。まるで目印を付けるように。最後に無理やり目を見開かせる。彼女には何が見えているだろう。何も無いはずの所に自分を見つめる悪魔の様な者を幻視しているだろうか。

 そして、ゆっくり浮上してその場を後にする。長い髪に指をいれ、梳かすように引き上げながら。

 これで怖がって口を噤んでくれたら良いなぁ。分霊を解除する。

 分霊の新たな可能性を感じた夜だった。






 少女がその気配を感じたのは、教会の指示でマスマに来て数日後の事であった。

 新たにマスマに程近い所に見つかったダンジョン。現在は調査中で探索は制限されているが、ダンジョンは一つの産業足り得る存在だ。教会においても信託にてその攻略が求められる。

 今回もその発生は信託にて予言されていた。そうしてダンジョンは多くの場合はその危険度と共に利益をもたらす。

 当然ながら周りに人が集まり、自然と村や町が形成される。現在はその過程の中にある。

 若くして多くの術を修め、その才能を認められた少女は新たに出来るであろう町へ赴任する事となった。

 能力はあれど後ろ盾の無い彼女が左遷されたようにも、今後発展する地域への将来へ期待から栄転と見るかそれは人により判断の別れる所だ。

 そんな他所の思惑はどうあれ、当人は使命に燃え、良い意気込みでマスマにやって来ていた。

 同行した他の使者は、マスマから先の農村に届け物があると行商と共に村へ向かい、少女は町に残された。

 マトマの町は近隣の農村から商品が集まり、それを街へと運ぶ地域の中心にある町だ。数年前の飢饉で大きな被害を受けたが、現在は立ち直っているように見える。町を取り仕切る商家の手腕がうかがえる。恐らくダンジョンの運営もそんな商家の人間が上手くまとめるだろう。

 早い内に協力した実績を残し、教会の発言力を得るのが自分に課せられた、職務であろうと、信仰とは別の面からも彼女は役目を理解していた。

 その為に、一人町に残された際も、この町の事を知り地域に馴染むべく活動を始めた。その手始めにギルドや商人ギルドの資料室での文献閲覧である。

 その活動は村から使者が戻り、街へ荷を運ぶ役目を負い再度町を離れた事で継続される。

 かなり重要な品を受け取ったらしい。最近、街の教会での聖水の生産量が増えている。その生産に携わる司祭からの任だという。

 高品質の聖水は、富を持つものに買い占められ転売される事もしばしばだが、件の司祭は通常の販売とは別に、個人の調査により本当に必要な所に本来の価格で回るように手を回している。そして寄付と言うなの売上金も設備や福祉の面に回し領主からの覚えも目出度い。この一体の教会関係者で彼からの任を疎かに出来る者は居ないだろう。

 故に、その任を追った使者達がそちらを優先するのは必然であり、寧ろ少女の為にそちらに支障が出るのは少女本人に取っても本意では無かった。


 そして、生真面目さ故に資料室の閉まる直前まで滞在する。

 分霊は普通に扉や窓から室内に入る。彼女がその気配に気がついたのは本人の類稀なる感性と偶然が重なった結果である。

 部屋の外に出て管理人が鍵を閉めると中で何者かの気配がする。それが熟練の戦士が纏うオーラの様な物だと彼女は知っていた。強い力を持つ何かが誰も居ない筈の部屋にいる。

 それに似たものを彼女は体験して知っている。死霊の類、それも強い怨念を持った者が時折そうした気配を発する。

 人の多い街中で、時折そうした現象は発生しそれを解決するのが教会でその術を学んだ自分の仕事だ。

 過去にも自身の術でそうした死霊や悪霊を払い清めた事もある。その為の術には自信があった。

 一つ不安だったのは単独で事態に臨むのが初めてという点だ。普段は防御の術や死霊を逃さぬための包囲の結界の担当者と分担し、最低でも二人で臨むのが常であった。それは教会内での規則でもあった。

 しかし、彼女には慣れから来る無意識下の慢心があった。今まで防護結界の世話になること無く、自身の浄化魔術で事を成して来た彼女は、逃さぬための包囲の結界のみで充分と判断。浄化の為の余力を多くとる事を選択した。

 また、単独での活動は教会の教えに反する為に、表立って行う事を避けた。この時、誰かに相談するか他の人員が戻るまで待てば事態は変わっていただろう。ほんの僅かなボタンの掛け違いが大きな差異を産んでいった。

 悪い事は重なるというより、それ一つでは大きな被害にはならず、他の問題への対策がそのまま小さな問題への対策も兼ねている。

 対策が一つ疎かになるだけで、そうした物も同時に顕在化してしまうのだ。

 そして、大きな対策が疎かになる時は相応に別の問題が起きている。


 深夜のギルドへの侵入、鍵は出る時に細工し閉まらない様にしてあった。

 後ろ暗い気持ちが緊張を掻き立てる。防護も無い事から気配を察知し即座に術を使う。

 それで終わる。後は扉の細工を解除して立ち去るだけだ。


 しかし、部屋の中の気配は消えない。今までと違う気配に別の緊張が沸き上がる。

 それはほんの小さな物音にすら過敏に反応する。

 死霊の気配は室内の窓に向かう。しかし包囲の結界で逃げられ無い。気配が消える。だが窓が開く。物理的な干渉を可能とするほどの存在。だが気配が無い。

 次の瞬間大きな音ともに窓が閉じられる。


 その行動に驚きながらも、死霊の類の行動としては違和感を感じる。気配は無い。

 次の瞬間、入ってきたドアが前触れも無く閉じられた。そこで嫌な考えが頭をよぎる。


 閉じ込められた。


 音に驚き尻餅をついたまま、慌ててドアに向かい開こうとするもドアは動かない。鍵はかからない筈なのに。思考が焦りに埋め尽くされる。

 明かりの魔術を発動していたステッキを取り落とす。少し躊躇しながらドアから離れ拾おうとするも、その前にステッキが浮かび上がるその光を消す。視界が闇に覆われた瞬間、焦りの裏に隠れていた恐怖が視界を覆う闇と同様に心の中を染める。

 無意識に後退りしていた少女は棚にぶつかった事もわからず衝撃を受けてその場に座り込む。何も見えない暗闇の向こうから、確かな足音が迫って来る。ほんの数秒がとてつもなく長い時間に感じる。

 やがて足音は眼の前で止まる。謝罪の言葉や助命の声は無視され腕を引かれ窓の方へ引き摺られる。抵抗の為の術は意味を成さず、自分の魔力が切れ、包囲の結界が解除されたのを感じた時に窓が開かれる。

 浮遊感を体に絶望感を心に感じながら窓からギルドの裏路地へ。僅かに見えた街灯の光へ一縷の望みを賭けて走ろうとするも、それは止められた。何かが顔を掴み目を見開かせる。閉じることの出来無い瞳が暗闇を見つめる。

 頬を何かが触れる。

 開放され下がった視線の先で、ステッキが動き文字を書く。その文字を見ながら朝日が刺すまで動けずにいた。


 様々な思いが頭に浮かんでは消える。それらは何一つ自分の身を安心させない。悪い考えばかりが溢れてくる。

 そんな中で一つだけ、安心は無いものの恐怖も無い考えが浮かび、その事だけを意識的に考える。


 単独行動は絶対に駄目。


 教会で口を酸っぱくして指導された事だ。この教えは正しい。間違いなく。自ら学んできた事が正しかったという考えに思考は流れ、漸く茫然とした状態から立ち直る。

 何とか立ち上がり、這々の体で壁伝いに宿に戻る。

 大量の汗と漏れてしまった物で不快な状態に意識が向き、水を貰い身体を拭こうとして、水に映る自分の顔に何か記号の様な物が有ることに気が付く。血ので描かれた掠れたそれは知らない文字かか何かに見えた。昨夜の感触が蘇る。確かに頬に触れる感触はあった。これは目印だ。再び襲ってきた恐怖の中、彼女は優秀であった。

 印を付けた主を知るための手がかりとして、頬の印を鏡写しのそれを正確に書き写し記録した。

 そして、意を決して洗い流した。浄化の術を使い丁寧に身体を吹くというよりも磨く。昨夜の痕跡を消すように。


 分霊は主人の操作から離れそんな少女を監視していた。操作をされない時は分霊にも意識がある。それは高度な物ではない。しかし独立して考える。

 主人は分霊の存在を隠したく、彼女が昨夜の体験を誰かに話すことを望まない。恐怖を一人で抱えて可能なら忘れてしまう事を望む。

 その為の行動を起こす。

 少女を監視し、誰かに相談しそうな時は牽制し、それ以外は無干渉。

 精神的な逃げ道を作ることで思考をそちらに誘導するのだ。

 その逃げ道は罠では無く本当に安全な道だ。迷わず駆けていくなら後押しする。


 一日おいて、少女はギルドに向かい歩きだす。分霊がしたのは彼女がギルドに付く直前に地面に記号を描くことだ。その意味は彼女しか知らない。

 一瞬足を止めた少女はそれでも足を進めた。しかし、いつも通り資料室に籠もるだけで誰とも話をせず。したのは扉にした細工を解除しただけだった。

 無言で宿に戻り身体を磨く。

 彼女が寝息をたてる迄身動ぎせずに待つのは分霊には容易い眠った彼女の頬に、そっとインクを垂らして記号を再度書き込む。

 翌朝、洗顔の為に水をもらい桶を覗き込んだ少女が、表情を固くしたのを窓の外から確認して分霊はギルドとは別の資料室に向かい夜を待つ。

 時折、少女の部屋に行くか本人を追い、見える所に記号を付けておく。すぐ消せる様に地面に書いたり、壁を水で濡らしたり手法は様々だ。

 たまに主が操作し、手法を加える。

 

 一番反応が良かったのは彼女の仲間が戻って来た時だ。仲間に相談する可能性は一番高かった。

 故に仲間を逆に利用する。したのは単に荷物に落書きをしただけだ。


 なんの気なしに戻ってきた仲間は、いつの間にかこんな悪戯をされたと背嚢の落書きを彼女に見せる。

 子供の悪戯だろうかと、困った様子を取り繕ったが、仲間に相談する事は無かった。

 これに学んだ分霊は人を使う事を学ぶ。脅しの手口は頻度は下がるも巧妙になっていく。

 街からの手紙の中に記号を書いた紙を混ぜた頃、彼女は資料室で何を読むふりをしながら、虚ろな瞳で過ごすようになった。外見は取り繕うものの内心の状態ははかれる。分霊は干渉を減らしていった。


 サグが村に戻り分霊町での活動を命じてから半年程の期間であった。

 季節は過ぎ冬が近付くのを感じるころ。

 少女は他の使者に変わり無能村に荷を届け代わりの品を受け取る事を任される。分霊の監視を離れた少しあとのことである。

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