姉と僕

明け宵

第1話

 ガチャ。鍵を開けて、部屋に入る。ここ、マンションの一戸に、姉と共に住んでいる。


「ただいま…」

 返事はない。当たり前だ。姉は大学に行っている。

「まずは、手洗い、うがい、と…」


 ずっと前、手を洗わずにおやつを食べ、次の日に40℃近く熱が出たことがあり、それ以来欠かさずやるようにしている。

 その時は、検査した結果インフルエンザだとわかった。潜伏期間もあっただろうから、罹ったのはもっと前だと思うけれど、子供心にあれはトラウマになった。

 

 手を洗ってうがいをする。

 そのうち、自室に行くのが面倒になる。

 床に寝転がる。

 …またやってしまった、と思いながら天井を見つめる。喉が渇く。水が飲みたい。

 届くはずもないのに、手を上に伸ばす。



「ただいまー」

「あれ、裕也、いないのー?」

「て、ちょっとーまた?」

 姉の声がする。


「また寝てるの?」

「えっ姉さん。お帰り。早いね」

「うわまたか。今日は遅かったわよ」

「てことは…また寝てしまった…」

「その通りね。そろそろ起きなさいよもう」

 姉さんの言う通り、また寝てしまったようだ。しかも、洗面所の床で。まあ、姉さんもそれほど驚いていないように、よくあることだったりもする。


 傍から見れば異常な行動を、衝動的にとりたくなってしまうことがよくある。異常だと自覚しているのに、衝動が湧き起こってしまうのは何故だろう。考えても答えは出ない。


「ほら、どいてよね。洗面使うんだから」

 こうして今も一緒に暮らしてくれている姉には、感謝しかない。

 僕が高校進学と同時に一人暮らしを始めようとした時、裕也は危なっかしいから、と既に家を出ていた姉が、誘ってくれた。通う先もそんなに離れていなかったから、ちょうどよかった。


「ほら、ご飯作らないと。手伝って」

「あっ、ごめん。早く帰った僕が作ればよかったのに」

「大丈夫よ、裕也のそれはいつものことだから」姉は笑いながら言う。

「何時もってほど頻繁じゃないよ」少し拗ねてみせる僕。

「裕也って口調が拗ねてても無表情だからなんか怖いのよねー。なんなのかしら」ちょっと真面目な顔で言う姉。そう言う彼女は、表情が豊かなほうだと思う。

「よく言われるよ。何考えてるかわからないってね」


 会話しながらも、姉はテキパキと夕飯の支度を進める。僕はその指示に従うのみだ。

「さあできた。運ぶからテーブル片付けて」

 作っていたのはカレーだ。


「「いただきます」」

 姉は意外と凝り性で、カレールーにスパイスや隠し味を足して作る。これがまた、クセがあって美味しい。

「やっぱ姉さんのカレーは美味しい」

「でしょう?」

「でもなんで今日カレーに?時間も遅かったのに」

「えーだって裕也が拗ねてたから」朗らかに笑いながら言った。

「拗ねさせたのは姉さんでしょ」

「まあ、元気なさそうだったから」

 真面目な顔になってそう言われると、何も返せない。


「今は元気そうでよかった」

「見てわかるの?」

「慣れてくると、ちょっとずつ違うなって思うのよ」

「そっか…」少し納得できない僕。

「そんなに悩まなくていいよ。そのままでいいと思うよ」

「うん。ありがとう」


 でも今は、その優しさに甘えたいな、と思う僕であった。

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姉と僕 明け宵 @akeyoi

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