追放された召喚術士、しかたがないので農業をはじめる

第41話 契約

「あわわわわ」

　ミードは腰を抜かしていた。

　どうやら足に力が入らないようで、えりくびを掴む俺の腕に全体重がのしかかってくる。

　さすがに重い。まあ、これで逃げられそうにないから、床に落としておくか。

　ドスリ。

「ぐえ」

「ぐえじゃねえよ。おめえよくこんな物件紹介したな」

　へたりこむミードの顔をのぞきこむ。涙と鼻水でぐしょぐしょだ。完全に怯えきっとるな。

　よし、値下げ交渉といくか。

　さきほど責めてないと言っといてなんだが、こちらも商人を目指すんでね。利用できるものはなんでも利用させてもらうよ。

「この物件が金貨三枚だって？」

「はひ、はひ」

「もっとまけろ。そうだな、一年で金貨一枚でどうだ？」

「は、は、は、はひ～！！」

　なんだよ、はひ～って。

　ミードは俺の後ろを指さして、フガフガ言っている。

　チッ、もうちょい待てよ、いいところなのに。

　ミードの指さす方をみた。

　すると、壁にかざられた肖像画、なかから半透明の女がニョキっと顔をのぞかせていた。

　ついにおでましか。あれがミス・マーブルだな。

　やがて肖像画から両手が現れる。それは額縁に手をかけると、全身をズルリと引きだした。

「うわああああ」

　叫び声をあげるミード。

　うるせえよ。刺激すんじゃねえよ。これから交渉すんだから。

「どうも！　ミス・マーブル。おじゃましてます」

　ミス・マーブルと思（おぼ）しき女は、白いドレスを身にまとい、宙にういていた。

　年齢は二十台後半だろうか血走った目にこけた頬、クシのとおっていないボサボサの白髪には銀のティアラが乗っている。

　まさにゴースト。いや、悪霊クイックシルバーか。

「シィィー」

　ミス・マーブルは威嚇音をだした。

　と同時に周囲をただよっていた皿だのナイフだのが、いっせいに飛んできた。

「ひぃああー！！」

　ミードの叫び声。

　だからうるせえって。

　ナイフやフォークはシールドに弾かれて床におちる。

　ほらな、だいじょうぶだろ？

　その程度で、どうにかなるような風魔法ではない。

　とはいえ、隙間を狙われたら危ないか。

　うるさいミードを引きずって部屋のすみまでいくと、針も通さぬほどピッチリとシールドをはった。

「おいミード！　どうすんだ？　このままだと呪い殺されるぞ」

「ひ、ひ、ひ」

　あわれミードは声にならないほど怯えきっている。

　すまんな。命だけはちゃんと守ってやるから。

「俺がなんとかしてやる。だから、年金貨一枚だ。いいな？」

　ミードはコクコクと首を縦にふった。

　よし、値下げ成功。

　あとはこのオバケをどうするかだ。

「火よ」

　手のひらに炎が灯った。鬼火だ。

　ふふ、怨念（おんねん）には怨念をってね。

「建物を燃やすんじゃねえぞ」

　シールドを一部解除すると鬼火を飛ばす。

　鬼火は浮遊する本にぶつかると、またたくまに燃えあがらせた。

　ははは。まだだ！　これから！！

　燃えさかる本から炎が飛び出した。それはすぐとなりの本に接触すると、また燃えあがらせていく。

　分裂だ。

　ひとつがふたつ。ふたつがよっつ。

　鬼火は倍々で増えていくと、周囲に浮かぶ全てを燃やしていく。

　皿だろうがナイフだろうが関係ない。鬼火の炎はそう簡単に消えたりしないのだ。

　わぉ！　凶悪だな。火力はたいしたことなくとも、増え続ける炎にはどうすることもできまい。

「ミス・マーブル！　そいつは鬼火だ。幽霊だろうが怨霊だろうが、すべてを焼きつくすぞ！！」

　本は灰となり風に飛ばされる。ナイフやフォークは溶けて床へと落ちる。

　もはや念動力など意味をなさない。飛ばすものなど、もうなにもない。

「取引だ。俺はここの地下室を使いたいだけだ。お前の生活を邪魔するつもりはない。俺がここにいれば余計な人間がはいってくることはないぞ。これまでどおりの生活をおくりたくば俺を受け入れろ」

　ミス・マーブルは血走った目をこちらに向けてくる。

「よく考えろ！　こんなことを続けていれば、いずれ家ごと取り壊されるぞ！！」

「キアアアアー！！」

　ミス・マーブルは金切り声をあげた。建物全体がわずかに跳ね、本棚やテーブルに亀裂が走った。

　うお！　マジか。シールドがなかったらヤバかったかも。

「おまえの望みはなんだ？　復讐か？　ならば俺が手をかす。だからおまえも俺に手をかせ！」

　ミス・マーブルの動きが止まった。

　お！　通じたか。

　それから彼女はニコリと微笑むと、ふわりと上昇していき、天井へと姿を消した。

　あれ？

　これどっちだ？

　家を自由に使っていいってことか？

　ん～、なんかスッキリしないな。

　まあいいか。

「おい。終わったぞ。約束を覚えているな。年金貨一枚で契約だ」

　ミードにそう告げると、彼は首を縦にふった。

「じゃ、さっそくギルドに帰って契約書を取り交わすか」

「……は、はい。なんでわたしがこんな……はひ～！！」

　ミードの突然の叫び声。視線を追う。

　すると俺のすぐ足元、床からミス・マーブルが顔をのぞかせていた。

　しまった！　シールドの内側だ。

　こいつ壁をすり抜けるだった！！

　ミス・マーブルはくちを大きく開く。

　まずい、金切り声が――！！

　ジュッ。

「ギヤアアアア」

　しかし、彼女があげたのは悲鳴だった。

　俺が手にもったロウソクの炎を、彼女の顔に押しつけたからだ。

　たまらず逃げるミス・マーブル。

　俺は再び手に炎を灯すと、彼女に照準をあわせる。

　――だが、迷いがでる。

　倒すしかないのかと。

　説得する術（すべ）はないのかと。

　俺には力が必要だ。もっと強い力が。

　欲しい。彼女の、クイックシルバーの力が欲しい。

　考えろ。

　彼女の望みはなんだ？

　復讐か？　本当にそうか？

　復讐ならば、なぜ子爵の絵を大事にかざる！！

「ミス・マーブル！！　オットー子爵をまだ愛しているか！？」

　ミス・マーブルはピタリと動きを止めると、こちらをみた。

（オットー子爵は生きてるのか？）

　小声でミードに問うた。

　すると彼はブンブンと首を横にふった。

「オットー子爵に会いたくないか？　彼の遺体が安置された墓に行きたくないか？　俺ならそこまで連れていける。召喚士の俺なら」

　たぶんミス・マーブルはこの家から離れられない。家にとりついているんだ。

　だが、俺と契約すれば移動できる。好きなところへいけるんだ。

　問題は俺が精霊召喚士ってことだ。悪霊のクイックシルバーと契約はできないハズだ。

　しかし、感じるんだ。

　俺ならできる。なぜだか分からないが、そう確信している。

「俺と契約しろ。彼のもとまで連れていくと約束しよう」

　ミス・マーブルはじっと俺の目をみつめている。

　瞳にウソがうつっていないか確認しているのだろうか。

　――大丈夫だ。約束は必ず守る。

「わが名はエム。なんじクイックシルバーとの契約完了を、ここに宣言する」

　お互いの体が光に包まれた。