9 はれて恋人に?

「ねぇコウちゃん、いつになったらここに住んでくれるの?」


 何度目かわからないセリフに一瞬だけ言葉が詰まる。それでも洗濯物をたたむ手を止めることなく「まだだって言ってんだろ」と答えることができてホッとした。思ったより素っ気ない声になってしまったが、そのほうがごまかせるに違いない。


「まだだよ」

「一緒に住むって約束したのに」

「こういうことはオレたちだけで勝手に決めていいことじゃねぇって何度言えばわかるんだよ」

「そりゃあ、そうかもしれないけど……」


 不満げな顔をしながらもおとなしくなるのは、幸佑がオレの両親を好きだからだ。

 約束を早まったと悟ったオレは、両親の許可が出るまで引っ越しはしないと話した。そう言いながらも両親に幸佑と一緒に住むなんて話はしていない。

 そもそも親に養ってもらっている身で勝手なことはできない。それに一人息子のオレが突然家を出たら母さんたちが寂しがるんじゃないかという気持ちもあった。

 幸佑は小さい頃から一緒に過ごすことが多かったオレの両親を慕っている。そういう意味でもオレたちは本当の兄弟のように育ってきた。おかげで「おばさんたちがいいって言うまで待つ」と納得もしてくれた。


(それなのに一週間で辛抱できなくなるってどうなんだよ)


 一週間が過ぎた頃から「ねぇ、まだ駄目?」と口にするようになった。約束した日から二週間が経つが、あまりに何度も聞いてくるから週の半分は部屋に行くようになった。しつこさにうんざりしたのもあるが、実際は話すらしていないという若干の後ろめたさもあってのことだ。


「週に四日は来てるのに何が不満なんだよ」

「だって、ようやく恋人になった若い二人だよ? いつでも一緒にいたいって思うもんでしょ? じゃあ同棲するしかないでしょ」

「昭和のラブソングかよ」


 そう言いながら少し胸が痛む。幸佑が一緒に住みたがる理由が“恋人だから”だけじゃないと感じているからだ。

 オレを好きだと言ってからの幸佑は、頻繁に「コウちゃんがいないと寂しい」と言うようになった。そう言えばオレが部屋に来るとわかっているからだろう。でも、半分は本心じゃないかと思っていた。自分から寂しいと言わなかった幸佑が、ようやく本音を言うようになった気がして放っておけなかった。

 それでも同居は別の話だ。そんなことをすれば、きっと後戻りができなくなる。キスされたときのことを思い出し、タオルを掴んだ手が一瞬だけ止まってしまった。それをごまかすように「つーか恋人じゃねぇだろ」と言うと「えぇー」と不満げな声が返ってくる。


「それに同棲じゃなくて同居だ」

「同棲だよ」

「違う。そもそも約束したのは引っ越すってことだけで恋人になるって約束はしてねぇからな」

「コウちゃんってば、防御強すぎでしょ。でも俺、絶対に諦めないからね? それに一緒に住み始めれば同居も同棲も一緒だし」

「違う」

「一緒だよ」

「まったく違う。そもそも学生の分際で同棲とか駄目だろ」

「そうかなぁ。コウちゃんの周りでもそういう人、いるでしょ?」


 言われて言葉が詰まった。たしかに同棲っぽいことをしている友人はいる。実家暮らしのやつは親に何て言っているんだと疑問に思わなくもないが、数人心当たりがいた。


「早くおばさんたちの許可出ないかなぁ。あ、もし家賃とか気にしてるんなら平気だからね」

「は?」

「ここ、俺の家だから家賃はいらないよ。それに生活費も俺が出すし」

「いやいや、それは駄目だろ。それじゃあおばさんに迷惑かけることになる」

「別にいまだって俺の生活費がかかってるんだから、コウちゃん一人くらい増えてもどうってことないって。それにコウちゃんなら喜んでオーケーしてくれると思うし」


 言われて「それが一番の問題なんだよ!」と心の中で突っ込んだ。

 そもそも一番の問題は母さんだ。この話をしたら絶対に手を叩いて喜ぶ。そのくらい母さんは幸佑の大ファンで、母さんがいいと言えば父さんが何も言わないのもわかりきっている。

 ちなみに幸佑のおばさんも似たようなもので、幸佑がしたいことには口を出さない主義らしい。同居のことを話せば「あら、いいんじゃなの?」のひと言で済みそうな気がしていた。それどころか「幸佑のこと、お願いね」なんて言いながら札束を出しそうな気さえする。夏休みのバイトを思い出しても、そういう流れになるのは間違いない。


「あ~、早くコウちゃんと同棲したいなぁ。もうコウちゃんがいない生活なんてムリだもん」

「無理だもんとかかわいく言っても駄目だからな。こうやって平日も来てんだから、それで満足しとけ」

「だって週末じゃないと泊まってくれないでしょ。お泊まりじゃないと一緒に寝られないし、一緒に寝ないと何かするチャンスもない」


 チラッと視線を向けると超絶美形がニマニマ笑っている。呆れながら「この性欲魔人が」と突っ込むと「だって」と口を尖らせた。


「ずっと我慢してるんだよ? 抜きっこだってコウちゃんが嫌だっていうから我慢してるし、お風呂だって覗かないようにしてるのに、お泊まりまで我慢するなんて耐えられない」

「そのまま我慢しとけ」

「えぇー、そんなのムリだよ。だって俺、ピチピチの二十歳だよ? 性欲有り余って当然の若者だよ? それに恋人を前に我慢なんて、絶対にムリ」

「だから恋人じゃねぇって言ってんだろ」

「じゃあ、もうすぐ恋人になる人」

「勝手に未来の恋人にするな」


 素っ気ない返事に幸佑が「えぇー」とむくれている。その顔にほんの少し悲しそうな表情が混じっているような気がして慌てて視線を逸らした。


(そんな顔しやがって、オレにどうしろって言うんだよ)


 幸佑が本気でオレを好きらしいことはわかった。というか毎日のように言われ続ければ嫌でもわかる。それに冗談っぽく言うことがあっても目が真剣なことにも気づいていた。それでもオレは応えることができないままでいる。


(こういうのはよくないってわかってる。卑怯だとも思う。でも、どうすりゃいいのかわかんねぇんだよ)


 幸佑は大事な幼馴染みだ。弟のようにも思っている。とくに夏休みからこっち、世話を焼いたりしてきたからか余計にそう思うようになっていた。

 ここでオレが幸佑の好意を拒絶すれば、きっとこの関係は終わってしまうだろう。ただの幼馴染みに戻ることなんてできるはずがない。オレ自身も気まずいし、幸佑だって嫌なはずだ。

 そうなることをオレは恐れていた。幸佑と幼馴染みでいられなくなるのは嫌だと思っている。それに幸佑を一人ぼっちにしたくないという気持ちもあった。


(オレ、本当はどうしたいんだろうな)


 幼馴染みだと心の底から思っているのに、好きだと言う幸佑の顔を思い浮かべるとそわそわする。キスされたことを思い出すと胸がモヤモヤした。それでもどうしていいのかわからず、結局こんなことになっている。


「一緒に住めば安心できると思ったのになぁ」

「引っ越しはできないからな。こうして通ってんだからそれで満足しろ」

「でも、それじゃあ何かあっても気づけないよ」

「何がだよ」

「だって、俺の知らないところで知らない誰かにちょっかい出されても気づけないでしょ? 一緒に住んでたらそういうことにも気づけるだろうけど、いまのままじゃ気づかないことのほうが絶対に多いもん」

「なに言ってんだ、おまえ」

「本気で心配してるってこと。コウちゃん、恋愛も童貞さんだから油断してる間にペロッといただかれちゃいそうだし」

「おい、バカにしてんのか?」

「でも、実際に迫られたら逃げられないでしょ?」


 そう言いながら幸佑が四つ足で近づいてきた。床で洗濯物をたたんでいたオレはキスされたことを思い出し、ビクッと体が固まる。そんなオレの頬をするっと撫でた幸佑がニコッと笑った。


「ほらね。俺相手でもこうなのに、肉食系女子なんかに迫られたら優しいコウちゃんはすぐにペロッと食べられちゃうよ? それに男に迫られる可能性だってあるし」

「な……に言ってんだよ。そんな男、おまえしかいねぇだろ」

「そんなことないよ。誰かがコウちゃんの魅力に気づいて手を出さないとも限らない。大学生なんて自由奔放でだからなおさらだ」

「おまえに自由奔放なんて言われたくねぇと思うぞ。おまえ、いまどれだけ自由を満喫してると思ってんだよ」

「俺のことはいいの。コウちゃんの周りにいる男たちが危険だって話。だってコウちゃん、最近ちょっと色気が増してるからさ。まぁ俺のせいだとは思うけど、だからこそ責任感じてるし」


 聞き慣れない単語に思わず手を止めてしまった。「なに言ってんだ」と呆れた目で幸佑を見る。


「おまえの目は想像以上に節穴だな。色気とか気色悪いこと言うな」

「自分では気づいてないかもしれないけど、色気増し増しだからね」

「やっぱり節穴だろ」

「だってコウちゃん、俺のこと意識してるでしょ」


 一瞬ドキッとしたものの、そんなことはないと否定した。考えているのは“どうしてオレなんかを好きなのか”であって幸佑自身のことじゃない。それなのに、なぜか「してねぇよ」とは言えなかった。


「おかげでどんどんかわいくなってる。そういうの、男もいけるやつなら絶対に気づく。大学生なんて性欲の塊なんだから絶対に危ない」

「性欲魔人はおまえだろうが」

「心配だから、コウちゃん早く一緒に住もう」

「駄目だ。許可が出るまで一緒には住まない」


 拒絶しながらも後ろめたい気持ちがあるからか幸佑の顔を見ることができない。そっと視線を外すオレに「じゃあさ」という声が聞こえてきた。


「卒業したら一緒に住んでくれる? それなら学生じゃないし、いいでしょ?」

「そんな先のことわかんねぇよ」

「先って言っても、あと二年で卒業だよね? 三年になったら就活やるんでしょ? ここから通える会社受ければいいじゃん」

「おまえなぁ、そんな簡単に言うけど就活ってすげぇ大変なんだぞ」

「じゃあ、俺のところに就職すればいいよ」

「はぁ?」

「永久就職。俺、コウちゃん養うためならちゃんと働くし」


 真面目な顔して何を言い出すんだ。思わずたたんだばかりのタオルをイケメンの顔に投げつけていた。


「俺、本気だからね。コウちゃん手に入れるためなら何だってするから」


 タオル片手におかしなことを言い出す幸佑を笑い飛ばそうとして失敗した。オレは何も答えられないまま、たたんだ洗濯物を持ってクローゼットがある寝室に逃げることにした。

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