8 攻防戦
おかしな決意をした幸佑は、その日からやたらと饒舌になった。いや、別にこれまで口数が少なかったわけじゃない。普通に話はしていたし幸佑を無口だと思ったこともない。そういう会話とは別にオレを好きだという言葉がとんでもなく増えたのだ。
「コウちゃんの味付け、俺好みで愛されてるって感じがする」
いまも余計なことを満面の笑みで言っている。はじめは多少動揺していたオレも、頻繁に言われていれば嫌でも慣れてくる。
「深夜のバラエティ番組でやってた時短メニューだけどな」
こうして軽く受け流すこともできるようになった。
「味噌汁も愛が詰まっていておいしいよ」
「そりゃ母さんの味だ」
「でも一番はこうして大好きなコウちゃんと一緒にご飯食べることかな。コウちゃんが一緒だと寂しくないし」
「そ、っか」
受け流そうとして失敗した。急に「寂しくないし」なんて卑怯だろう。「好き」だとか「愛されてる」だとかより、よっぽど動揺してしまう。
「でもって、耳を赤くするコウちゃんが見られるのも最高。やっぱりコウちゃん優しいね」
「……っ」
「寂しい」からの「優しい」という言葉に、顔がじわっと熱くなるのがわかった。慌ててそっぽを向いたものの、赤くなっていることに幸佑が気づかないはずがない。
(いまさら寂しいとか言うなんて卑怯だろ)
幸佑のアピールにうんざりして五日間部屋に来るのをやめたことがあった。その間はメッセージも送っていない。内心ちゃんと飯を食っているか、ちゃんと朝起きているか心配だったものの、このまま幸佑に流されるわけにはいかないと心を鬼にした。
そうして過ごした五日目の早朝、初めてそんな時間に幸佑からメッセージが届いた。文面は“コウちゃんが来てくれないと寂しくて死にそう”だった。
見た瞬間、猛烈に反省した。オレの布団に潜り込んでいた小学生の幸佑を思い出し胸が痛んだ。寂しいのを我慢しているような横顔を思い出し、部屋に通うことを再開した。
ところが心配してやって来たオレを出迎えた幸佑は満面の笑みを浮かべていた。しかも「コウちゃん優しいから来ると思った」とまで言いやがった。
もちろんオレは怒った。怒りながらも丸きり嘘じゃなかったんだろうとも思った。そう感じたのは五日分あるはずのゴミからで、買い置きしてあった冷凍食品もレトルトもあまり食べていなかったからだ。
それ以来、あれこれ言われても部屋に通い続けている。心配しながら我慢するくらいなら、こうして会って余計なことを言われるほうがまだマシだ。「結局、オレがお人好しってことだな」とため息をつくと、スネを撫でられる感触がしてぞわっとした。
「おい、何やってんだよ」
向かい側に座る幸佑をギロッと睨む。
「そこにコウちゃんの生足があるから?」
「やかましい。飯食ってるときに変なことするんじゃねぇよ」
「だって目の前に大好きなコウちゃんがいるんだよ? しかも半ズボンに生足なんて、その魅力に俺の理性が勝てるわけがない」
そう言いながら、またスネを足の指でスーッと撫でてくる。
「だ、からっ、飯食ってるときにそういうことするなって言ってんだろ」
「じゃあ食べ終わったら触ってもいい?」
じっと見つめる幸佑をじっと見返し、ひと言だけ「触るな」と言って箸を動かす。
「えぇ~。じゃあ腕は?」
「腕も駄目だ」
「じゃあお腹」
「駄目に決まってんだろ」
「じゃあ寝てるときに触ることにする」
「おまえ、それ犯罪だからな」
「恋人同士なら犯罪じゃないよ」
「恋人でも同意がなけりゃセクハラだ」
「あ、恋人って認めた」
「一般論だ」
これ以上幸佑に流されるわけにはいかない。そもそもオレを好きだなんて一時の気の迷いだ。
(そうだ、気の迷いだ)
前に遭遇した元セフレを思い出すたびにそう思った。幸佑の周りには美人やかわいい子ばかりだった。幸佑にお似合いの人ばかりで、そういう見た目が好みなんだろう。それなのに平々凡々のオレを好きになるなんて、よく考えればおかしな話でしかない。
(久しぶりに会って、こうして世話を焼くから気持ちがバグってるだけだろ)
そう思えば納得できる。それなのに幸佑が「恋人だ」と宣言したときのことを思い出しては顔が熱くなった。だからこそ、何を言われてもさらっと受け流さなくては。改めてそう思いながら幸佑を見ると、またもやじっとこっちを見ている。
「……なんだよ」
「コウちゃんってさ、頑なに俺を拒絶するのって理由があったりする?」
「は……?」
「だって本気で嫌ならここに来ないでしょ? それなのにこうして来てくれるしご飯だって作ってくれる」
「寂しいって言ったのおまえだろ」
「じゃあさ、いまでも泊まったり一緒のベッドで寝るのはどうして?」
「前からそうしてただろ」
「ふーん。じゃあさ、触るのだけ駄目ってことか。ねぇ、それって何か特別な理由でもあるの?」
「別に何もねぇけど」
「やっぱり男同士は気持ち悪い?」
幸佑の言葉にハッとした。顔を上げるとやっぱりオレをじっと見ている。その目を見返しながら「そんなこと思ってねぇよ」とだけ答えた。
「そっか」
「言っとくけど、幸佑を気持ち悪いなんて思ったことないからな」
「うん」
「幸佑を気持ち悪いなんて絶対に思わない」
しっかりと目を見ながらそう告げると、幸佑が「ありがと」と言ってふわりと笑った。
「じゃあさ、コウちゃんは同性でも平気?」
「考えたこともない」
「そうだった。コウちゃんは恋人いない歴二十一年の童貞さんだった」
「おいこらケンカ売ってんのか?」
思わず睨むと「違うよ」と言いながら幸佑が笑う。やっぱり馬鹿にしているだろうと睨み続けるオレに「嬉しいだけだよ」と言われて首を傾げた。
「嬉しいって何がだよ」
「全部俺が初めてなんだなぁって思ったら嬉しくて」
「はぁ? おまえなに言って……って、幸佑?」
幸佑が立ち上がって近づいて来る。「どうしたんだ?」と見上げるオレにイケメンがニコッと笑った。
「優しいコウちゃんは大好きだけど、ちょっと優しすぎるよね」
「はぁ?」
「気持ち悪いだとか男同士は無理だとか言えばいいのに」
「思ってもないこと言えるか」
「男前なコウちゃんも好きだけどさ。でも危機感足りなさすぎ」
「は……?」
幸佑の顔が近づいて来る。「え?」と思ったときにはキスされていた。
「……ほら、危機感まったくない。ほんと危ないなぁ」
鼻が触れるくらいの距離で幸佑が笑っている。オレはといえば何が起きたのかわからず呆然としていた。
「男はね、突然狼になったりするって覚えておいたほうがいいよ」
そう言った幸佑が再びキスをした。唇がやけに熱い。触れているだけなのに唇の感触だけやけにはっきり感じる。
何が起きているのかわからなかった。いや、キスされていることはわかっているが、若干パニックになっているのか体が動かない。呆然とキスを受け入れていると下唇を吸われてようやくハッとした。
「おま、なにして、……っ」
慌てて顔を逸らそうとしたものの、すぐに後頭部を掴まれて動かせなかった。そのまま唇を吸われ、舐められ、また吸われる。されるがままだったオレも再びハッとし、とにかく胸を押し返そうと腕に力を込めた。ところが思ったより幸佑の力が強く、まったく離れてくれない。
そんなオレに気づいた幸佑が笑っているのがわかった。キスしながら笑うとか、どれだけ器用なんだ。思わずカッとし、思い切り胸を押したところでようやく少しだけ唇が離れた。
「おまえっ、何して、」
「しぃっ」
囁く幸佑の吐息が唇に触れる。それだけで言葉が続かなくなる。
「俺、本気でコウちゃんのこと好きなんだよ? わかってる?」
囁くたびに吐息が触れて、それだけで背中がゾクゾクした。
「もっと危機感持たないとペロッと食べちゃうよ?」
笑っている顔がまた近づいてきた。
(またキスされる!)
逃げればいいのに、咄嗟にしたのは目を瞑ることだった。当然そんなことをしても逃げられるはずがない。「何やってんだよオレ!」と思ったところで、幸佑が触れたのが頬だとわかり「あれ?」と思った。唇じゃなかったことにホッとし、目を開けようとしたところで首筋にキスをされてギョッとした。
「な、」
驚くオレをよそに幸佑は耳たぶの近くやのど仏にチュッと音を立てながらキスしていく。
「おま、なにして、」
「ほら、本気で止めないとどんどん先に進んじゃうよ?」
幸佑の手がTシャツの中に入るのがわかった。熱い手に肌を撫でられ「ひっ」と悲鳴が漏れる。慌てて服の上から手を止めると、今度は膝で太ももの内側を撫でられた。
「幸佑っ」
「なに?」
「やめろってっ」
「嫌だ。毎日こんなに好きだって言ってるのに、Tシャツに半ズボンなんかで俺の前にいるコウちゃんが悪い」
「だからってっ」
「大丈夫。痛いことはしないし、絶対に気持ちよくしてあげるから」
「そういうことじゃ……っ」
腹を撫でていた幸佑の手が短パンの紐を引っ張ったのがわかった。そうして隙間から指先が入り込む。
「幸佑!」
「俺、けっこう我慢したと思うんだよね」
「じゃあ我慢し続けろよっ」
「それってひどくない? コウちゃんのお願いばっかり聞くなんてフェアじゃない」
「オレのお願いって、」
「キスするな、触るな、抱きつくな。好きな人にそういうこと言われると俺だって傷つくんだけど」
「んなこと言っても、」
「だからもう言うこと聞かないことにした」
「おいっ」
「だって俺のお願い、一つも聞いてくれないでしょ」
幸佑の指が下着を引っ張ったのがわかった。このままじゃ大変なことになる。そう思ったオレは無我夢中で「聞く! 聞くから!」と口にしていた。
「聞くって何を?」
「言うこと、一つだけなら聞いてやるから!」
「ほんとに?」
「本当に!」
「じゃあ一緒に住みたい」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。おそるおそる幸佑の顔を見ると、してやったりといったふうに笑っている。
「コウちゃん、一緒に住もう?」
「住むって、」
「ここに引っ越してきて。毎日俺と一緒にいて。大学に行くときはしょうがないけど、朝も夜も一緒にいて。おはようって言って、おやすみなさいって一緒に寝て。お願い」
「……いや、それはさすがに」
口ごもるとすぐに幸佑の手が動き出した。これ以上は本当にまずいと思い、慌てて「す、住む!」と返事をする。
「嘘じゃないよね?」
「嘘じゃねぇって! だから手、止めろって!」
へそをクルクル撫でていた指がピタリと止まった。ホッとしたところで、幸佑が「約束破ったら今度は止めないからね」と耳元で囁く。
「ようやく同棲できるね」
無邪気な笑顔を浮かべる幸佑に「してやられた」と思った。一緒に住む同意を得たいためにあんなことをしたに違いない。そういえば昔から突然強引になるのが幸佑だった。
(やられた)
知らず知らず力んでいたらしい体から力が抜ける。同時に早まったことを言ってしまったかもしれないと少しだけ後悔した。
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