6 幼馴染みから恋人へ?

「はい、あーん」

「あーんじゃねぇよ」


 ブドウが食べたいと言い出した幸佑は、夕飯後に行ったスーパーでやたら高い黄緑色のブドウをためらうことなくカゴに入れた。ギョッとしているオレに気づくことなく、ブドウとは真逆のお徳用ポテチやら炭酸飲料やらもカゴに入れ、レジで真っ黒なカードを使う。

 ご機嫌で帰宅した幸佑は、なぜか目の前で馬鹿高いブドウを一粒摘んでオレの口に入れようとしていた。


「じゃあ、俺にあーん」

「自分で食え」

「えぇー」


 唇を突き出す膨れっ面でもかっこよく見えるなんて、この男は心底イケメンなんだなと感心する。だからといって「あーん」をされたいとは思わないし、したいとも思わない。


(あーんは無視するとして、このブドウは食べてみたい)


 あんな値段の果物なんて食べたことがないからか興味をそそられる。オレは幸佑が差し出しているのを無視して、自分で摘んだ一粒をおそるおそる口に入れた。


(……やべぇ。なんだこれ、超うまい)


 とんでもないおいしさに、まだたんまりあるブドウの房を凝視してしまった。


「ね、おいしいでしょ?」

「おまえ、いつもこんなもの食べてんのかよ」

「たまにだよ。お店から持って帰って来たのを食べてからは、ブドウって言ったらこれって感じになっただけ」


 お店からってことは、おばさんが持って帰ってきたということか。おばさんが経営しているお店はとんでもない高級店らしいから、そういうところで出すブドウだと言われれば納得できる。


「一緒に住めば、いつでもこういうの食べれるよ?」

「そんなんでオレが懐柔されるとでも思ってんのか」

「思わない。でもそういうことくらいしか、俺がコウちゃんにしてあげられることなんてないもん」


 そう言った幸佑が少しだけ寂しそうな顔で笑った。そんな顔を見せられたら「まぁ一緒に住むくらいいいか」なんて思ってしまいそうになる。「いやいや、流されるな」と慌ててブドウに視線を戻した。

 結局、夏休みが終わってからもオレは幸佑の部屋に通い続けていた。週三回は無理だが、「じゃあ週末は絶対来て」とねだられて毎週金曜の大学終わりに来ている。さすがにアルバイト代はもらっていないものの、代わりに食費や日用品代は幸佑が出すようになった。

 最近では映画を見たりゲームをしたりして、そのまま泊まることもある。そういう日は幸佑の機嫌がやたらとよくて、今日も夕飯後にわざわざブドウを買いにスーパーまで行ったくらいだ。


(なんでオレみたいなのがいいんだろうな)


 夏休み明けの大学では、オレみたいな平凡は見事なほど埋没した。幸佑ほどではないにしても、そこそこイケメンな奴らの周りにはそれに見合ったイケメンやかわいい子たちが集まっている。それを見るたびに「普通はこうだよな」と思ったりもした。

 幸佑の周りも昔はそんな感じだった。オレが知っているセフレたちも大体がかわいいか美人だった気がする。


(そう考えると、やっぱりなんでオレなんだって思うのが普通だよな)


 理由はわからないが、幸佑が本気らしいことは何となくわかってきた。部屋に泊まるようになって、より一層そう感じることが増えた。


「ねぇ、やっぱり一緒にお風呂入ろうよ」


 ブドウを食べ終わり、映画の続きを見終わる頃には午前零時を過ぎていた。先に幸佑が風呂に入り、次はオレだと脱衣所に向かったところですっかり聞き慣れたセリフを幸佑が口にする。


「嫌だ」

「えぇー、なんで? 別に何もしないよ? コウちゃんの裸をちょーっと見るくらいだよ?」

「あれはちょっとじゃねぇだろうが。この前そう言ってじっくり見やがったのはどこのどいつだ」

「やだなぁ、ちょっとだけじゃん。それとも視姦されてるみたいだった?」

「こういうときだけ難しい言葉使ってんじゃねぇぞ」


 オレの返事に幸佑が「あはは」と笑う。笑顔は無邪気に見えるが、やっていることはえげつない。しゃがんでまで股間を凝視するとか変態にも程がある。


「約束どおり触らなかったでしょ」

「しおらしく言っても駄目なもんは駄目だ」


 触る以前の問題だ。風呂が狭かったらそれを理由に簡単に断れるのに、残念ながらここの風呂場は自宅よりずっと広い。それでもオレには一人で入りたいちゃんとした理由があった。


「ついでに風呂掃除もするんだから一人がいいんだよ」

「俺も手伝うよ?」

「二人でなんて邪魔なだけだ。オレ一人のほうが早い」

「それはそうかもしれないけど……でもさ、見るくらいいいと思わない? 別に減るもんじゃないし」

「しつこい。オレの平穏が減る。つーか髪渇かせって。長いんだから風邪引くぞ」

「面倒だからいい」

「あー、ちょっと待て、滴垂れてんだろうが! ほら、こっち来い。ここに座れ」

「コウちゃんともう一回入るからいい」

「だから入らねぇって言ってんだろ」


 入れ替わりで風呂に入ろうとしたオレを足止めした幸佑は、明らかに髪の毛がぐっしょり濡れたままだった。たしかに外はまだ夏のような暑さが続いているが、濡れたままじゃ風邪を引いてしまう。

「別にいいのに」と言う幸佑を椅子に座らせてドライヤーを手にした。スイッチを入れると静かな音で熱風が出てくる。


(うちのとは大違いだな)


 家で使っているドライヤーはものすごい音がする。ということは、このドライヤーもお高いものなんだろう。そもそも洗面所兼脱衣所に椅子があるなんて、どんな家だ。


(金髪っぽく染めてんのに髪は痛んでねぇんだな)


 こういう色に染めると傷みやすいと聞いたことがあるが、幸佑の髪はスルスルのスベスベだった。風呂場に置いてある見たことがないシャンプーのおかげかもしれない。


「コウちゃんの手、気持ちいい」

「そうかそうか、次からは自分で乾かせよ」

「やだ」

「子どもか」

「違うよ、恋人だよ」

「誰がだよ」

「俺とコウちゃん」


 このセリフもすっかり聞き慣れてしまった。


「恋人じゃねぇよ」

「まだそんなこと言ってるの? コウちゃんってば頭いいのにうっかりさんだよね」

「はぁ?」

「だってさ、コウちゃんがやってること、全部恋人同士がすることじゃん」

「んなわけねぇだろ」

「そんなことありますー。だってご飯作ってくれるでしょ、一緒にスーパーにも行くでしょ、こうやって週末はお泊まりするし、俺のパジャマだって着てるし」


 指折り数える幸佑を無視してドライヤーを動かした。


(パジャマって、ただの部屋着だろうが)


 本当ならお泊まりセット的なものを持ってくるのがいいんだろう。それはオレもわかっている。だが、着替えだなんだと荷物になりそうなものを大学まで持って行くのは面倒だった。それにそういうものを持ち込み始めると、そのままオレの荷物が増えそうな気もする。そんなことになれば、ますます恋人だの同棲だの言われてしまうに違いない。

 ということで、泊まるときは幸佑の部屋着をパジャマ代わりに借りている。まぁ、それもどうなんだと言われればそれまでなんだが。


「それにお揃いの歯ブラシでしょ、ペアのマグカップと夫婦箸だって買ったのに」

「歯ブラシはたまたま色違いなだけだ。それにマグカップも箸もおまえが買ってきただけだろ。つーか夫婦箸ってなんだよ」

「だって、コウちゃんとラブラブしたかったんだもん」

「かわいく言っても無駄だからな」

「ちぇっ。ほかの人なら俺がニコッてするだけでコロッていくのになぁ」

「小さい頃からずっと見てんだ。今更んなことでコロッといくか」

「あはは。まぁそのほうが俺は安心だけどね」

「どういう意味だ?」

「だって、大抵のイケメンにはコロッといかないってことでしょ? 俺くらいのイケメンなんて滅多にいないだろうし」

「……いろいろ否定してぇが間違ってねぇのがムカつくな」

「あはは、コウちゃんってば正直だね」


 鏡の中のイケメンを睨んだが、なぜかキラキラの笑顔を返されてしまった。


(たしかにこんなイケメン、ほかに見たことねぇけどな)


 そのせいかイケメンと呼ばれるヤツを見てもなんとも思わなくなった。そもそもオレはイケメン好きではないし、同じ男を見たところで楽しくもなんともない。


「やかましいわ。……ほれ、終わったぞ」

「わぁ、サラサラだ。コウちゃんの愛を感じる」

「はいはい」


 適当に受け流しながらドライヤーを片付ける。そうして「風呂入るから出ていけ」と言うと幸佑が「えぇー」と不満を口にした。


「ちょっとくらいいいじゃん」

「何がちょっとくらいだよ」

「背中なら見てもいいでしょ」

「そういってこの前は尻も見ただろうが」

「だってコウちゃんのお尻、キュッとしてて見応えがあるっていうか」

「オレの尻は見せもんじゃねぇ」

「もちろんだよ。コウちゃんのかわいいお尻は俺だけのものだからね」

「おまえのもんでもねぇよ」


「いつか俺のものにするからね」なんて恐ろしいことを言いながらもおとなしく出て行く。それにホッとしていると幸佑がくるりと振り返った。


「あのさ、こうしていっぱい一緒に過ごして、お泊まりなんかもして、それに一緒のベッドで寝てるのにさ。それで恋人じゃないって言うほうが変じゃない?」


 オレが返事をする前に「ごゆっくり~」なんて言いながら去って行った。


(同じベッドなのはおまえが我が儘言うからだろうが)


 最初はソファで寝るつもりだった。ここのソファは大きいしやたらとクッションがいいから十分寝られる。それなのに無理やりベッドに引っ張って行ったのは幸佑だ。

 それなら通うのをやめればいいんだろうが、そうすると母さんもおばさんもきっと悲しむ。それに一人暮らしに向けての練習にもなるし、恋人云々以外の会話は楽しい。見たい映画もタダで見られる。


(……なんて、ただの言い訳じゃねぇか)


 思わず自分に突っ込んでしまった。でも、幸佑に恋愛感情は抱いていない。それだけはわかる。幸佑と恋人になるなんて想像できなかった。そもそも、こうして幼馴染みの関係が続いているのだって不思議なくらいだ。


(うん、何度考えても恋人なんてあり得ねぇな)


 そう思っているのに、最近少しだけモヤッとしてしまう。それが何なのか、わかりそうでわからないせいで、またモヤッとした。


(二年間やった受験勉強よりわかんねぇことってあるんだな)


 モヤモヤを洗い流すように勢いよくシャワーを浴びる。そうして前髪からしたたり落ちる雫を振り払い、黙々と体を洗った。


 結局オレはそれからも幸佑の世話を焼き続けた。モヤモヤしたものは続いているものの、恋人だ何だというセリフに慣れたからか躱すことも簡単にできる。それでも急に背後に立たれたり肩を抱かれたりするとギョッとするものの、オレと幸佑の関係は幼馴染みのままだった。

 そうして季節は残暑からすっかり秋に変わっていた。


(あったけぇなぁ)


 半分覚醒した頭がそんなことを考えた。「そういえば新しい毛布、出したんだっけ」と思いながら寝返りを打とうとしたところで、体に何かが巻きついていることに気がつきパッと目が覚めた。


「幸佑、抱きつくなっ。起きろ。起きねぇんなら離れろ」

「うーん、あと一時間……」

「せめて五分とか言えよ、かわいくねぇな。じゃなくて、抱きつくなって何度も言ってるだろ」

「だって寒いんだもん」

「だから新しい毛布を出したんだろうが」


 この毛布は買ったばかりの新品だ。ついでに言えばマットレスや敷き布団、枕に至るまで全部新品だと言われて唖然とした。「いつの間に」とつぶやくオレに、「コウちゃんが泊まるようになる前だよ」と笑っていたのを思い出す。


(あれだけ無駄遣いするなって言っておいたのに……って、こいつは!)


 モゾモゾと動き出した手を掴み「おいこら」と体から引き離した。


「てめぇ、どこ触ってやがる」

「ん~? コウちゃんのいいところ?」


 そう言いながら、引きはがした手が再び触ったのはオレの股間だった。


「……っ! この、スケベ野郎が!」

「い……ったいよ、コウちゃん」

「おまえが悪い!」


 手の甲を叩き、足に絡んでいた幸佑の足を蹴りながら起き上がった。ギロッと睨みつけると、まだ眠たそうな幸佑が「だってコウちゃんの勃ってたから」と口にする。


「やかましいわ! 朝の生理現象だから仕方ねぇだろ! それにおまえだって勃ってんだろうが!」

「そりゃあ勃つよ? だって好きな人と一緒に寝てるんだもん。俺は健全な男の子だもん」

「男の子だもん、じゃねぇよ!」


 性懲りもなく尻を撫でようとする手をはたき、肌触り抜群の毛布をめくってベッドから抜け出した。


「ねぇコウちゃん、どうせ勃ってるならまたやろうよ」

「何をだよ」

「何って、そりゃあナニを……って、だから痛いってばコウちゃん」


 言い終わる前に形のいい額を指で弾いた。若干涙目になっている幸佑を無視し、朝飯を用意すべく眼鏡を掴んで寝室を後にする。


「……はぁ」


 リビングで着替えながら、ついため息を漏らしてしまった。さっきの幸佑とのやり取りのせいじゃない。いや、まったく関係ないわけじゃないが、思い出すと居たたまれなくなる出来事のせいだ。


(なんであんなことしたかな)


 それは二週間前のことだった。あの日も幸佑は「最近寒いから」とかなんとか言いながら寝ているオレに抱きついた。それに文句を言いながら体をねじろうとしたとき、幸佑がオレの尻に腰をグッと押しつけてきたのがわかった。

 もちろんオレは「なにやってんだよ!」と怒った。いくらなんでもそれはない。幼馴染みでもやっていいことと悪いことがある。そう言いながら逃げようとするオレを背後から抱きしめた幸佑が「こうなるくらいコウちゃんのことが好きなんだけど」と耳元で囁いた。

 不覚にもオレはその声に腰を抜かしてしまった。初めて聞く幼馴染みの大人の声に顔がカッと熱くなり、なぜか下半身まで熱くなる。


「ね、抜きっこしようよ」

「はぁ!?」


 ギョッとするオレを無視して幸佑がオレの下半身に手を伸ばす。慌てて逃げようとするオレを背後から抱きしめた幸佑は、「ほら、勃ってる」と言いながらそこを撫でやがった。

 言われてオレは愕然とした。まさか幼馴染み相手に……ショックと混乱で何も考えられなくなった。

 幸佑はそんなオレの状態をわかっていてズボンに手を突っ込んだに違いない。そうしてあれよあれよという間に、いわゆる抜き合いというものをしてしまった。


(マジで何やってんだよ)


 あのことは大いに反省している。もう二度とやらないと決意もした。それなのに、さっきみたいなことがあると、ついあのときのことが蘇ってどうしようもない気持ちになった。


(幸佑のやつ、手慣れてたな)


 普通、同じ男のあれを触りたいなんて思うはずがない。それなのに幸佑は迷いもなく握った。


(やっぱ男のセフレがいたから慣れてんだな)


 そう思ったらモヤモヤしてきた。これまでセフレを見かけたこともあればキスしているのを見たことだってある。でもこんなふうにモヤモヤしたことはなかった。それなのに、ああいうことをほかの男ともしていたのかと思うと重苦しい気持ちになった。


(別にオレには関係ないだろ)


 モヤモヤを吹き飛ばすように頭を振る。

 幸佑が誰とつき合おうと関係ない。いつか刺されるんじゃないかと心配することはあっても、相手がどうこうなんて考えたこともなかった。男とつき合うのはどうなんだと注意したこともない。

 それなのにモヤモヤしてどうしようもなかった。どうして急に過去のセフレが気になるのかわからず、髪ををわしゃわしゃと掻き回す。


「コウちゃん、どうしたの?」

「え!? あ、いや、別に……」


 急に声をかけられてビックリした。振り向くと着替えた幸佑が寝室から出てくるところだった。すっかり見慣れた姿だというのに、なぜか顔を見ることができずに視線を逸らしす。


「朝飯、目玉焼きにするかスクランブルエッグにするか考えてただけだ」

「じゃあオムレツがいい」

「選択肢に入ってないやつ言うんじゃねぇよ」

「あはは」


 笑う幸佑はいつもどおりだ。さっきベッドで見た幸佑ともあのときの幸佑とも違う。そのことにオレはなぜかホッとしていた。

 とにかく朝飯だとキッチンに入った。冷蔵庫の中身を確認していると、顔を洗った幸佑が「コップ出しとくね」と言って顔を覗かせる。


「あぁ。あとパン焼いといて。オレはオムレツの準備するから」

「やった、ほんとに作ってくれるんだ」

「作るって言っても、レンチンするだけのやつだからな?」

「それでも俺のリクエストを叶えてくれるんだもん。コウちゃん大好き」


 なんでもない「大好き」に心臓がドクンと跳ねた。それを誤魔化すように卵を割り、カチャカチャと溶き卵を作る。そうして専用の容器に流し入れてレンジにセットした。そうしながらも、オレはモヤモヤした気持ちを振り払えずますますモヤモヤしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る