5 幼馴染みの独占欲
昼飯を食べ終わり、食器をキッチンに持って行こうとしていたオレを「ねぇコウちゃん」と幸佑が呼び止めた。振り返ると、いつになく真剣な顔をした幸佑がじっとオレを見ている。
その顔を見た瞬間、首のあたりがゾワッとした。こんな表情の幸佑を見たのはいつ振りだろうか。何か大事な話に違いない、そう感じた俺は気を引き締めながら椅子に座り直した。
「どうした? 相談事か?」
「俺ね、いろいろ考えたんだ」
「うん」
「遠山さんのことがきっかけだったんだけど、いろいろ考えて、考えてるうちに気づいたんだ」
「トオヤマって誰だ?」と思ったものの、話の腰を折るのもどうかと思い「何に気づいたんだ?」と先を促す。
「俺がコウちゃんのことが好きだってこと」
「…………は?」
思わずポカンと口を開いてしまった。
(……なんだって?)
てっきり考え込んでいたことについて話すのかと思っていた。何か重大なことか、それともオレが来なくなった後のことか、そういう相談に違いないと身構えていたオレは、予想もしなかった言葉に呆気にとられた。ポカンとしたままのオレに幸佑が眉を寄せる。
「コウちゃんひどいよ。好きって告白したのに返事が『は?』とか、さすがにそれはないと思うんだけど」
眉尻を下げる幸佑に「いやいやいや」と首を振った。
「おまえ、なに言ってんだよ」
「だから、コウちゃんが好きって話」
「……マジか」
「マジです」
イケメンが真面目な顔で頷いている。表情を見る限り冗談を言っているようには思えない。だからこその「は?」だった。
幸佑が男も恋愛対象にしていることは知っている。それが悪いだとかおかしいだとか思ったことは一度もなかった。自分がヘテロだからといって幸佑を変だというのはおかしい。しかし、オレがその対象になるなんて誰が思うだろうか。自分でいうのもなんだがオレは平凡でメガネで小柄なただの男だ。これまで幸佑がつき合っていたセフレの男たちとはまったく違う。
(そもそもそんな気配、一度だって見せたことなかっただろ)
小中高と多くの時間を一緒に過ごしてきたが、オレを好きだというような素振りを見たことは一度もない。高校を卒業した後はさっさとこのマンションに引っ越したし、それからはたまにメッセージのやり取りをする程度のつき合いだった。今回のバイトの話がなかったら直接会うこともなかっただろう。それが、どうしてオレに告白するなんて展開になるのか理解できない。
「コウちゃん、聞いてる?」
「……聞いてる」
「俺、告白したんだけど」
「……うん」
「初めての告白なんだけど」
「は?」
オレの反応に、幸佑が「ちょっと、その反応もひどいよ」と頬を膨らませた。
「俺、告白されることはあっても告白したことないんだよね」
「そ、そうか」
「だからコウちゃんが初めての相手」
「おう……」
「ねぇコウちゃん、告白してるのにその反応はどうかなって思うんだけど」
そう言われても困ってしまう。そもそもオレだって告白されるのは初めてで、こういうときどうすればいいのかわからない。視線をうろうろさせるオレに「ま、コウちゃん告白されたことなさそうだし、しょうがないか」と幸佑が笑った。
「もし俺じゃなかったら、告白された側なのにあっという間に振られてるからね?」
「……もしかしてからかってんのか?」
「違うよ。コウちゃんが好きっていうのは本当。あ、あとかわいいって思ってるのも本当だから」
最後の言葉に思い切り顔をしかめた。
「……オレがかわいい……?」
「うん、コウちゃんはかわいいよ」
眉をひそめながら見た幸佑は冗談を言っているふうにもからかっているふうにも見えない。だからこそ混乱した。混乱しながら「いつからだよ」とつぶやく。
「そんな感じ、これまで全然なかっただろ」
「うーん、いつからだろうなぁ。たぶん小さい頃からずっと好きだったんじゃないかなぁ」
「なんだそれ」
顔をしかめるオレに「俺だってびっくりしてるんだ」と幸佑がはにかむ。
「コウちゃんのことずっと幼馴染みだと思ってたからさ。でも、たぶんずっと好きだったんだと思う。きっかけが遠山さんってのは納得いかないけど」
「……あのさ、トオヤマって誰?」
「ここで会った俺の元セフレ」
「あぁ……」
あの失礼な男、トオサマって名前だったのか。
「あの人に迫られてるコウちゃん見たとき、カッチーンてきたんだよね。俺の大事な幼馴染みに何してるんだって。ムカついて、苛々して、あのときはそれだけだったんだけど。それからコウちゃんがあの人のこと好きになったらどうしようって急に心配になって」
「オレが?」
「だって遠山さんモテるからさ。しかもノンケとか関係なくどんな男でも落とすって聞いていたから……コウちゃんがあの人のこと好きになったらどうしようって、けっこう本気で焦った」
「いやいや、それはない。ムカつくことはあっても惚れたりしねぇよ」
「あはは、そっか。うん、そうだよね。コウちゃんはやっぱりコウちゃんだ」
そう言って幸佑がコップの縁を指先でつるっと撫でた。
「あの日の夜さ、そんなことばっかり考えて眠れなかったんだ。目を瞑っても頭に浮かぶのはコウちゃんのことばっかりで、目が覚めても何やっててもコウちゃんの顔ばっかり浮かぶ。コウちゃんが遠山さんを好きになったらどうしよう、あの人が俺の知らないところでコウちゃんにちょっかい出してたらどうしよう、そんなことばっかり考えた。……こんなの変だって俺もさすがにわかった」
幸佑がコップに残っていた麦茶をぐいっと飲み干した。
「それでわかったんだ。俺、コウちゃんが好きなんだって。こんなに好きになったのはコウちゃんが初めてだ」
「高校受験以来だよ、こんなに頭使ったの」なんて笑いながら、それでもオレを見ている幸佑の目は真剣そのものだ。
「自分の気持ちに気づいてからは心配で不安でしょうがなかった。もしコウちゃんが誰かに告白されたらどうしようって考えただけで苛々した。誰かとキスしたらなんて考えるのも嫌だったし、コウちゃんが誰かとつき合うかもなんて考えるだけでムカついた」
もしかして、まだあのときのことを疑っているんだろうか。
「あのさ、トオヤマさんって人には何もされてねぇからな?」
「うん」
「つーかオレ、誰ともつき合ってねぇし」
「わかってる。でも気がついたらそんなことばかり考えてた。コウちゃんが誰かとキスしてるの想像したら相手ぶん殴るかもって思ったし、誰かと付き合ってるってわかったら、コウちゃんここに閉じ込めちゃうかもなぁって思ったりもした」
オレを見る幸佑の目が光ったような気がした。寒くないのになぜか鳥肌が立ち、そんな自分に戸惑いながら半袖から出ている腕を手でさする。
「それではっきりわかった。コウちゃんのことが好きなんだって。ずっと前から好きだったんだって」
「……いつから、その、オレのことを……」
「ん~、たぶん隣に引っ越して割とすぐの頃からじゃないかなぁ」
「いやいや、おまえまだ三歳とか四歳とかだったろ」
「あ、それよりはもう少し後ね。でも、少なくとも小学校に入ったくらいには好きになってたと思う」
「小学校……」
「あの頃さ、俺いっつもコウちゃんに抱きついて寝てたでしょ? じつはあのときドキドキしてたんだよね。それなのに抱きつくのやめられなかった。それってたぶん好きだったからだと思うんだ。そうだ! コウちゃんが中学に入る前、一緒にプールに行ったの覚えてる? 着替えてるコウちゃん見て、ちょっと興奮したの思い出した」
「こ、興奮……」
「ね、俺、けっこう前からコウちゃんのこと好きだったんだよ。あぁ、だからか!」
幸佑が何かに気づいたようにポンと手を打った。
「きっと無意識にコウちゃんが好きだったから男も平気だったのかも」
にこっと笑う幸佑に「それとこれとは別だろ」と言うと「コウちゃんツッコミうまいよね」と返される。
「ねぇコウちゃん、俺のこと嫌い?」
窺うような幸佑の表情に一瞬言葉が詰まった。好きか嫌いかなんて考えたこともない。小さいときからいつも一緒にいた幸佑は俺にとって弟みたいな幼馴染みで、それ以外のカテゴリに入れたことすらなかった。それなのに急に好きだの嫌いだの言われても困ってしまう。
「ねぇ、嫌い?」
オレが困惑していることに気づかないのか、幸佑がもう一度聞いてきた。じっと見つめる眼差しから視線を逸らし、「嫌いになんてなったことてねぇよ」と答える。言い方がぶっきらぼうになったのは心底困っているからだ。
「じゃあ好き?」
「そりゃまぁ、こうして面倒見に通うくらいには」
「でもそれって幼馴染みとして好きってことだよね?」
「そりゃそうだろ。オレはおまえに会ってからずっと幼馴染みだと思ってきたんだぞ」
「それもそっか」と答える幸佑が少しだけ寂しそうな声を出す。ちょっとだけ罪悪感みたいなものを感じたオレは、そっと幸佑を見た。
(んな顔すんじゃねぇよ)
本当に一人ぼっちになったような表情に胸が痛む。こういうのを捨てられた犬みたいな様子、というんだろう。だからって上辺だけで好きだと言っても仕方がない。そんな言葉は幸佑だって望んでいないはずだ。テーブルに反射しているガラスのどんぶりの色を見ながら「どうすりゃいいんだ」と考える。
「ねぇコウちゃん」
いつの間にか横に幸佑が立っていた。見上げるとニコッと笑い、しゃがみ込んでオレの顔を覗き込む。
「俺のこと気持ち悪い?」
「なんでだよ」
「だって同じ男にそういう目で見られるの、いくら幼馴染みでも嫌かなと思って」
「……んなこと思ってねぇよ」
これは本心だ。そもそも気持ち悪いと思っているなら男のセフレがいるとわかった時点で近づかない。そりゃあ少しは心配はしたが、それだけだ。
「じゃあさ、こういうことしても平気?」
幸佑が俺の手を握った。そうして指と指を絡めるように握り締める。もしかしなくても、これはいわゆる恋人繋ぎというやつじゃないだろうか。初めてする恋人繋ぎに戸惑っていると、幸佑が絡めた指で手の甲やら関節やらをスリスリと撫で始めた。
「こういうのは平気?」
平気かと言われると……どうなんだろう。
(いや、そもそも幼馴染みでこういう繋ぎ方しねぇだろ)
そう突っ込みたいのに声が出なかった。口を開こうとすると関節をスリスリと撫でられて変な声が出そうになる。器用に動く幸佑の指を見ているうちに段々おかしな気分になってきた。
(幸佑は、こういう意味でオレを好きだってことなんだよな……)
初めてした恋人繋ぎを見る。こうやって手を繋ぎながらデートしたいと思っているんだろうか。一緒に街を歩いたりカフェに行ったり、それからいい雰囲気になったら……。
(……キスとかもしたいんだろうか?)
そう思った途端にとんでもなく恥ずかしくなった。何を考えているんだと動揺しながら「も、もういいだろ」と手を引こうと引っ張る。ところがグッと握り締められ手を離すことができない。
「なんだよ」
「じゃあさ、こういうのは?」
握っていないほうの手が頬に触れた。ただ触られただけなのに息が詰まる。
「気持ち悪い?」
そう言いながら幸佑の指が肌を撫でるようにゆっくりと動いた。その指がコツンとメガネのフレームに当たった。途端に顔がカッと熱くなる。誰にも触れられたことがない場所を触られた気がして視線が泳いだ。別に恥ずかしいことをしているわけでもないのに顔が熱くてたまらない。
「ははっ。真っ赤になったコウちゃん、かわいい」
「おま……っ」
からかわれたと思った。ふざけるなと思い、文句を言おうと開きかけた口に何かが触れた。
(な……っ)
触れたのは幸佑の唇だった。メガネのどこかに幸佑の顔が当たったのか、レンズが少しだけ傾く。それがあまりに生々しくて心臓がドクドクと音を立て始めた。そんなオレにかまうことなく幸佑は何度も触れたり離れたりをくり返す。そうして最後にチュッと音を立てて離れていった。
「ね、気持ち悪かった?」
幸佑が何か言っている。それはわかっている。ただ、耳がうまく声を拾ってくれない。何か言おうとしても唇が痺れたようになり動かなかった。
そのまましばらく無言が続いた。相変わらず幸佑の片手は指を絡めたままで、頬に触れている手もそのままだ。手の甲をスリスリと擦られて腕がビクッと震える。
「……いまの……」
「え? なに?」
「……いまのはオレの……」
震える声に幸佑が「あ、もしかしてファーストキスだった?」と微笑んだ。
「そっかぁ、コウちゃんの初めて、もらっちゃったのかぁ。……うわ、やばい、ドキドキしてきた。どうしよ、初めてのチュウってなんか興奮するね」
「……おまえ……」
オレがキスしたことないとわかっていてやりやがったな、そう思った。
「コウちゃん大丈夫?」
「よくそんなことが言えるな」
ギロッと睨むと、はじめはキョトンとしていた幸佑が悪戯がばれたような子どものように笑う。
「あー……だってしたかったんだもん」
「もんとかかわいく言うな。そもそもこういうのは好きなやつとするもんだろうが」
「うん、だからした。俺の好きな人はコウちゃんだから」
迷いのない眼差しにグッと言葉が詰まる。
「ほっぺた撫でても嫌がらなかったから、これはいけるかなぁって思っちゃったんだ。ごめんね? それにコウちゃんの顔、キス待ち顔に見えたからさぁ」
「キ……ス待ち、って」
それ以上の言葉は出てこなかった。誰がキス待ち顔だ、ふざけんな。頭の中ではそんな口汚い言葉が出てくるのに声にならない。代わりに出てきたのは「オレのファーストキスが」という、なんとも情けない言葉だった。
「初めてっていいよねぇ。甘酸っぱい気持ちっていうか、ほら、キスはレモンの味とか言うし」
「ま、俺とコウちゃんは担々麺の味だったけど」なんて笑う幸佑にムカッとした。空いている手で幸佑の額に特大のデコピンをかましてやる。
「い……ったいよ、コウちゃん!」
「うるさい!」
「ひどいよコウちゃん!」
「ひどいのはおまえのほうだ! す、好きとかいきなり言い出して、しかもキ、キスまでしやがって!」
「あはは、コウちゃん顔真っ赤」
「おまえなぁっ」
「いきなりキスしたくなるくらい、俺はコウちゃんが好きなんだよ」
真剣な声と表情に再びグッと唇を噛んだ。
「俺はコウちゃんが好きだ。だからセフレとは全部別れたし、これからもセフレは作らない。だって俺にはコウちゃんがいればいいから」
迷いのない言葉と眼差しに、オレはただただ受け止めることしかできなかった。
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