5 幼馴染みの独占欲

 昼飯を食べ終わり、食器をキッチンに持って行こうとしていたオレを「ねぇコウちゃん」と幸佑が呼び止めた。振り返ると、いつになく真剣な顔をした幸佑がじっとオレを見ている。「もしかして最近考え込んでいたことを話そうとしているのかもしれない」と思ったオレは椅子に座り直した。


「どうした?」

「俺ね、いろいろ考えたんだ」

「うん」

「遠山さんのことがきっかけだったんだけど、いろいろ考えて、考えてるうちに気づいたことがあって」


「トオヤマって誰だ?」と思ったものの、話の腰を折るのもどうかと思い「うん」と言って先を促した。


「俺ね、コウちゃんのことが好きみたい」

「…………は?」


 大変なことでも告げられるのかと身構えていたオレは呆気にとられた。


「……は?」


 なんだって? 理解できない言葉に、二度も「は?」と言ってしまう。


「コウちゃんひどいよ。好きって告白したのに返事が『は?』とか、さすがにそれはないと思うけどなぁ」

「いやいや、おまえなに言ってんだよ」

「だから、コウちゃんが好きだって言ってんの」

「……マジか」

「マジです」


 イケメンが真面目な顔でそう答えた。失礼なあの男の壁ドンや前後の言葉も大概だったが、幸佑の言葉も大概だ。幸佑が男もそういう対象にしていることは知っている。とはいえ、オレみたいな平凡な男に告白なんてするはずがない。「もしかして幸佑そっくりの別人なんじゃ?」なんてことまで考えた。


(そもそもそんな気配、いままで一度だって感じたことねぇし)


 小中高と多くの時間を一緒に過ごしてきたが、オレを好きだというような素振りは一切なかった。高校を卒業した後はさっさとこのマンションに引っ越したし、それからはたまにメッセージのやり取りをする程度のつき合いしかない。今回の話がなかったら直接会うこともなかっただろう。それが、どうしてオレに告白するなんて展開になるんだろうか。


「ちょっとコウちゃん、告白されたのにその態度ってどうなの。まぁいままで告白されたことなさそうだし、しょうがないとは思うけどさ。これが俺じゃなかったら、告白された直後に即フラれてるからね?」


 そう言って幸佑がため息をついた。それにハッとし、最後の言葉にムッとする。


「おまえ、いまの完全に馬鹿にしてるよな」

「違うよ。告白され慣れてないコウちゃんもかわいいねって話」

「絶対違うだろ」

「コウちゃんをかわいいって思ってるのは本当だからね。それに好きって気持ちも本当」

「……いつからだよ。そんな感じ、これまで全然なかったよな?」

「うーん、いつからなんてわかんない。たぶん小さい頃からずっと好きだったんじゃないかなぁ」

「はぁ? なんだそれ」

「俺だってびっくりだよ。コウちゃんのこと、ずっとただの幼馴染みだと思ってからさ。でもずっと好きだったんだと思う。いろいろ思い返してるうちに、それがわかったんだ。ま、きっかけは遠山さんだったんだけど」

「そのトオヤマって誰だよ」

「ここで遭遇した俺の元セフレ」


 あぁ、あの失礼な男か。いま思い出しても眉間に皺が寄りそうになる。


「あの人に迫られてるコウちゃん見たとき、カッチーンてきたんだよね。俺の大事な幼馴染みに何してるんだって。ムカつきすぎて、あの日は夜寝られなかった。そのとき気づいたんだ。だって、ただの幼馴染みならそこまでムカついたりしないよね? それで俺、ちゃんと考えることにしたんだ」


「高校受験以来だよ、こんなに頭使ったの」なんて笑いながら、それでもオレを見ている目は真剣だ。


「たとえばだけど、もしコウちゃんが誰かに告白されたらって考えただけでイラッとした。誰かとキスするなんて絶対に嫌だし、そもそもコウちゃんが誰かとつき合うなんて考えるだけでムカついた」

「トオヤマさんって人には何もされてねぇからな? そもそもオレ、誰ともつき合ってねぇし」

「知ってるよ。でも気がつくとそんなことばかり考えてたんだ。コウちゃんが誰かとキスしてるの想像したら相手をぶん殴りそうだなぁって思ったり、誰かと付き合ってるってわかったら、コウちゃんここに閉じ込めちゃうかもなぁって思ったりもした」

「…………なんだって?」


 いまとんでもない言葉が聞こえた気がしたが、聞き返す前に幸佑が言葉を続ける。


「それで気づいたんだ。俺はコウちゃんのことが好きなんだって。ずっと前から好きだったんだって」

「……いつからなんだよ」

「ん~、たぶん隣に引っ越して割とすぐの頃からじゃないかなぁ」

「は? おまえまだ三歳とか四歳とかだろ」

「あ、それよりはもう少し後ね。でも、少なくとも小学校に入ったくらいには好きになってたと思う」

「小学校……」

「あの頃さ、俺いっつもコウちゃん抱っこして寝てたでしょ? あのとき、コウちゃんからいい匂いがしていっつもドキドキしてたんだよね。そうだ! コウちゃんが中学に入る前、一緒にプールに行ったことあったでしょ? あのとき着替えてるコウちゃん見て、ちょっと興奮したのも覚えてる」

「……」

「ね、俺、けっこう前からコウちゃんのこと好きだったみたい」

「……」

「そっか、無意識でもコウちゃんのこと好きだったから男も平気だったのかも」

「いや、それとこれとは別だろ」

「あはは、コウちゃんツッコミうまいね」


 笑っている幸佑を見ながら段々頭が痛くなってきた。


(幸佑がそういう意味でオレを……?)


 駄目だ、何度考えても理解できない。


「ね、コウちゃんは俺のこと嫌い?」


 窺うように顔を覗き込む幸佑に「嫌いになんてなったことてねぇよ」と答える。


「じゃあ好き?」

「そりゃまぁ、こうして面倒見に通うくらいは」

「でもそれって幼馴染みとして好きってことだよね?」

「そりゃそうだろ。オレはこの十数年、おまえを幼馴染みとしか見てないんだからな」


「それもそっか」と答える幸佑が少しだけ寂しそうな顔をした。それに若干の罪悪感を覚えるのはなぜだろう。


(だからって、絆されたりはしねぇからな)


 そんなことで幸佑の気持ちを受け入れるのはよくない。同情で好きになるなんて幸佑だって望んでいないはずだ。


「ねぇコウちゃん」


 気がついたら幸佑が横に立っていた。見上げるとニコッと笑い、椅子の横にしゃがみ込む。


「俺のこと気持ち悪い?」

「なんでだよ」

「だって同じ男にそういう目で見られるの、いくら幼馴染みでも嫌かなと思って」

「……んなこと思ってねぇよ」


 これは本心だ。そもそも何か思うことがあるなら、あれだけセフレがいるとわかった時点で思っている。心配はしたものの、それでも幸佑のことを嫌いにはならなかった。オレにとって幸佑は弟みたいに思う幼馴染みに変わりなかったからだ。


「じゃあ、こういうことしても平気?」


 幸佑が俺の手を握った。突然の行動に若干驚いていると、指と指の間に指を通し始める。これはいわゆる恋人繋ぎというやつじゃないだろうか。そうして絡めた指先で手の甲やら関節やらをスリスリし始めた。


「……っ」


 指先でただ擦られているだけなのに変な気持ちになってきた。視界に入る幸佑の指が気になって目で追ってしまう。


(指、けっこう長いんだな)


 こんなにマジマジと幸佑の指を見たのは初めてだ。背が高いと指まで長いらしく、それに俺より骨張っても見える。なるほど、イケメンは手までイケメンってことかと妙に納得できた。そんなふうに指を見ていたら、急に首のあたりがぞわっとして驚いた。


(なんだ、いまの)


 内心驚いていると、またもや幸佑の指がスリスリと関節あたりを撫でる。それに連動するかのように再び首がぞわっとした。くすぐったいような奇妙な感覚が腕を伝って首や胸元あたりをゾワゾワさせる。


「も、いいだろ」


 手を引こうとしたら握り締められてしまった。なんだよと睨むと、もう片方の手が頬に触れる。


「ねぇ、こういうのは平気?」

「っ」

「それとも気持ち悪い?」


 今度は頬を撫でられた。そんなことを他人にされたのは初めてで、どうしていいか戸惑ってしまう。口を開きかけたものの何て言えばいいのかわからない。すると幸佑の指がコツンとメガネのフレームに当たって、ますますドキッとした。


「真っ赤になったコウちゃん、かわいいね」

「おま……っ」


 文句を言おうとしてできなかった。なぜなら目の前いっぱいにイケメンの顔があったからだ。

 驚き動けなくなっていたオレの口に何かが触れた。熱いそれは何度か触れたり離れたりをくり返し、最後にチュッという音を立てて遠のく。同時にぼやけていた幸佑の顔も段々とはっきりしてきた。


「ね、気持ち悪かった?」


 声は聞こえているものの口を開くことができない。何が起きたのか混乱しながら、もう一人のオレが冷静に「いまのファーストキスだろ」と脳内で告げた。


(……マジか)


 まさか幼馴染みに、それも同じ男にファーストキスを奪われるとは思わなかった。大事に大事に取っておいた、いや、結果的にそうなってしまったファーストキスをこんな形で失うことになるとは……。


「コウちゃん、大丈夫?」

「……よくそんなことが言えるな」

「だってしたかったんだもん」

「もんとかかわいく言うな。そもそもこういうのは好きなやつとするもんだろうが」

「うん、だからした。俺の好きな人はコウちゃんだから」

「そ、れでも、いきなりは駄目だろ」

「でもほっぺた撫でても嫌がられなかったし。それに何ていうかな、キス待ち顔に見えたから?」

「キ……スまち、って」


 幸佑の言葉に絶句した。誰がキス待ちだ、ふざけんな。そんな口汚い言葉が頭に浮かぶのに声にならない。代わりに出てきたのは「オ、オレのファーストキスが」という、なんとも情けない言葉だった。


「うわぁ」

「おま……っ、喜んでんじゃねぇよっ」

「だってコウちゃんの初めてを俺がもらえたなんて、うれしいに決まってるでしょ。そっかぁ、コウちゃんの初めてのキスかぁ。ははっ、初めてってそれだけで甘酸っぱい気持ちになるよね」

「初めて初めてって連呼すんなっ」

「だって記念すべき初めてを俺がもらったんだよ? うれしすぎて踊りたいくらいだよ」

「うるせぇぞっ」

「あ! それならさ、この先の初めても全部俺にちょうだい?」

「はぁ?」


 いきなり何を言い出すんだ。混乱と羞恥と少しの怒りを込めながら立ち上がった幸佑を睨みつける。ところが幸佑は頬を少しだけ赤くしながら興奮したようにオレを見ていた。


「俺ね、好きな人ができたら同棲するのが夢だったんだ。ねぇコウちゃん、コウちゃんもここに住みなよ」

「はぁ!?」

「W大ならここからのほうが近いでしょ? あ、家賃はいらないよ? ここ賃貸じゃないし。水道代とか食費とかも俺が出すから心配しないで。服とか大学で使うものとかは家から持ってくるとして、食器とかは買えばいいよね? ネットでもいいけど一緒に買いに行くのもいいなぁ」

「ちょっと待て! おまえ何を勝手に、」

「そうだ、ベッドも買い替えよう! 大きさはいまのと同じくらいでいいとして、コウちゃん好きなの選んでいいよ。あとシーツとかもコウちゃんが好きなの買おうね」

「あれダブルとかってサイズじゃねぇだろ。そんな簡単に買い替えたりすんなよ、もったいねぇだろうが」

「平気だよ、業者の人が運んでくれるんだから。そうだ、せっかくならキングサイズにランクアップしちゃおっか。部屋はちょっと狭くなるけど、どうせ寝室にはベッドしか置かないからそれもいいなぁ。それに一緒に寝るなら大きいほうがいいよね?」

「は!? 一緒に寝る!?」

「同棲したら一緒に寝るの当然じゃない? あ、またコウちゃんの初めてがもらえるね」

「だから! 勝手にいろいろ、」

「俺は別にベッドにこだわりないけど、強いていうならスプリングはしっかりしてるほうがいいかな。そのほうが寝心地いいし、するとき絶対気持ちいいし」


 駄目だ、人の話を聞いちゃいない。このままじゃ勝手に話を進められて大変なことになる。そう直感したオレは「だから待てって言ってんだろ!」と言いながら立ち上がり、形のいい額にデコピンをかましてやった。


「……った~。ちょっとコウちゃん、何するのさ」

「おまえがオレの話聞かねぇからだろ!」


 開きかけた口を一応閉じた幸佑は、若干涙目の目でオレをジトッと見ている。


「オレは同棲なんてしないからな。そもそもオレとおまえは恋人じゃねぇだろうが」

「俺はコウちゃんのこと好きだよ?」

「そ……れは聞いた」

「じゃあコウちゃんは? 俺のこと嫌い?」


 寂しそうな顔でオレを見下ろす幸佑は、まるで小さい頃を思い起こさせるような表情だった。


(小学校に通い始めた頃、いっつもこんな顔してオレを見てたっけ)


 いや、中学生になったときもこんな顔だった気がする。さすがに保育園児のように「なんで一緒に行けないの?」とは言わなかったが、言いたそうな顔をしていたのを思い出した。


「……わかんねぇよ」


 そうとしか答えようがない。


「そっか」

「いきなりあれこれ言われてもわかんねぇって」

「でもさ、手を握られてほっぺも触られて、最後にキスされて嫌じゃなかったなら、それって好きってことじゃない?」


 デコピンしたオレの手を握りながら幸佑がそんなことを言い出した。


「コウちゃんも昔から俺のこと好きだったんだよ。だっていっつも一緒にいてくれたし、お風呂も寝るときも一緒だったでしょ? 抱っこだってさせてくれてたよね?」

「それは子どもの頃の話だろ」

「でも、嫌いだったらそういうのしなくない?」

「子どもの頃の気持ちなんて覚えてねぇよ」

「じゃあさ、いましたキスが気持ち悪くないなら好きってことにならない?」

「なるか。そんな簡単なことじゃねぇだろ」


 再び恋人繋ぎをしようとする幸佑から手を取り戻し、ムッとしながらそう答える。


「コウちゃんってばガード堅いなぁ。大体の人はこれで流されてくれるのに」

「おまえは流されたオレとつき合いたいのかよ」

「ううん。コウちゃんはコウちゃんのままがいい」

「そんなこと言っても流されねぇからな」

「あはは、わかってる。そういうコウちゃんも好き」


 不意打ちの「好き」にドキッとした。そんな自分にさらにドキッとする。


「とにかく同棲はしない。ほら、退けって。オレはこれから片付けすんだよ」

「コウちゃんってば厳しーい。あ、じゃあさ、同居はどう? 大学でもルームシェアしてる人、いるでしょ?」


 なおも無理を言う幸佑を無視し、食器を持ってキッチンに入った。そうしていろんなことを洗い流すように勢いよく食器を洗い始める。洗いながらも幸佑の言葉が何度も脳裏をよぎった。


(そもそもなんでオレなんだよ)


 オレはただの幼馴染みで、しかも平々凡々なただのメガネ男だ。トオヤマとかいう男が言ったとおり幸佑には似合わない人種だという自覚もある。そんな平凡なオレをキラキラしたイケメンの幸佑が好きになるなんてあり得ない。もしオレが男女問わずモテるような男だったが可能性はなくもないだろうが、選り取り見取りの幸佑がわざわざオレを好きになる理由がわからなかった。


「ねぇコウちゃん」

「っ」


 突然背後から話しかけられ、内心飛び上がるほど驚いた。それをごまかすように「な、なんだよ」と振り向くことなく答えると、腹に両手を回され抱きしめられる。


「コウちゃん、俺本気だからね」


 耳元で囁かれ首筋がぞわっとした。


「俺ね、初めて人を好きになったんだ」

「……初めてって」

「ほんとだよ。だからこれまで恋人なんてどうでもいいって思ってたんだろうな。でもコウちゃんは違う。誰にもコウちゃんを取られたくない。コウちゃんが誰かとつき合うなんて絶対に嫌だ」


 腹に回った幸佑の手に力が入るのがわかった。


「だからコウちゃんも俺のこと、好きになって」


 聞いたことがない幸佑の真剣な声に、オレは不覚にも動けなくなってしまった。息まで止まったオレの手から洗剤の泡が流れ落ち、その感触に鳥肌が立つのがわかった。

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