第59話 献帝「僕、隠れちゃうぞ。胡赤児の奴が戻った来たらびっくりするだろうな」

 献帝が軟禁されている宮城には、既に、連絡の兵が走っていた。

 この時、宮城を警固する、と言うより、献帝を軟禁する任務を担っていたのは、赤鬼のような猛将胡赤児だった。

 献帝の執務室に、献帝を横目でにらみながら陣取っていた胡赤児の下に、連絡の兵が駆けこむ。

「報告! 弘農の張済の兵が長安に入ろうとしています! 」

「弘農の張済だと? 奴は、弘農で、皇甫嵩、朱儁の首を取ったら、そのまま待機する手はずになっていたはずだが? 」

「張済ではなく、正確には、その甥の張繍が軍を率いてきた模様です」

「誰が来ようと、長安城に入れるな」

「いや。もう、樊稠殿の判断で、既に、城門を通過させています」

「バカ野郎! 勝手なことをするな! 追い返せ! 」

 すると、新たに報告の兵が走ってくる。

「緊急事態です! 呂布が城門を突破して、まもなく、宮城に押し寄せようとしています! 」

「呂布だと! なんで呂布が長安に現れる! 」

「分かりません! 一般の兵に扮していましたが、あの体格、顔立ちは紛れもなく、呂布でした! 呂布の騎兵部隊が間もなく、宮城に押し寄せようとしています! 」

「宮城の門を閉じろ! 迎え撃つ準備をしろ! 」

 胡赤児はそう叫ぶと、二人の兵士を殴って追い返す。殴られた兵士は、這う這うの体で部屋から出て行く。

 その様を献帝も察知している。傍らの宦官司馬懿に目配らせした。司馬懿が小声でささやく。

「今がチャンスです」

 献帝もうなずいた。

 胡赤児は、鬼のような眼差しを献帝に向けると、ずかずかと歩み寄る。

「いいか! 小僧! 逃げようなどと考えるな! この部屋の出入り口はすべて、俺の息のかかった兵に押えられている! 逃げようとしたら、遠慮なく首を斬れと命じてある! 命が惜しかったら、おとなしくしていろ! 」

 献帝は平然として応じた。

「この部屋は朕の部屋だ。よそに行くつもりなどない」

 胡赤児は、鼻で笑う。

「朕、朕、朕……。小僧! 皇帝気取りでいられるのは今だけだ! 今度のことが終わったら、ふん! 貴様は禅譲して乞食に身を落とすことになろう! 」

 胡赤児の言葉にも、献帝は動じなかった。ただ、じっと、胡赤児の言動を観察するだけである。

 胡赤児は、一通り献帝に罵声を浴びせると、献帝の執務室から退出した。

 自ら、前線に赴いて、兵を指揮しようというのであろう。

 献帝は、胡赤児が扉を閉じる時、その向こうの中庭にも、複数の武装兵が立ち並んでいることを確認した。

 自分たちが逃げ出さないように見張るための兵ということであろう。執務室が完全に包囲されているというのは、誇張ではなかろうと、献帝も悟った。

「胡赤児の奴、ようやく出て行った」

 と献帝は一息つく。今、部屋にいるのは、忠実な宦官司馬懿だけである。

 司馬懿は、部屋をざっと見渡した。どこからも見張られていない。ということを確認しているのである。

 それから、そっと献帝に耳打ちする。

「今が隠れるチャンスです」

 献帝は、年相応のいたずらっ子のような笑みを浮かべる。

「そうだね。胡赤児の奴が戻った来たらびっくりするだろうな」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る