第51話 賈詡曰く「我が計は成った。我らはここ子午道で、呂布を待ち受け、殲滅する」

 そのころ、漢中からは一人の騎兵が駆け出て、子午道へと入っていった。

 この騎兵は、張繍である。

 漢中の呂布たちに、長安での異変を知らせた後で、弘農に引き返し、皇甫嵩と朱儁に復命しようというわけである。

 急ぐ旅ではないし、気楽な一人旅ということもあろうか、張繍は、数日かけて、ゆっくり、かつ、慎重に子午道を通り、桟道を抜けて、長安側の山道に入った。

 灰色の空が広がり、寒風がまともに吹き付ける。漢中とは打って変わった気候に、張繍は、身を震わせた。

 弘農への道を急ごうとした瞬間、山道を取り囲む森の間から、わらわらと歩兵が姿を現した。

 その数、百は超えている。いずれも弓矢を構えており、一斉に放たれたら、とても防げるものではない。

 張繍は、それなりの武勇があったが、部隊を率いていない状態では、多勢に無勢である。

「むむっ……。やむを得ないか」

 そう、つぶやくと、張繍は、あっさりと投降した。


 縄で縛られた張繍は、指揮官のいる幕舎へと引き立てられた。

 幕舎で待ち構えていたのは、李傕と郭汜。それに賈詡といった面々。張繍は、いずれの者とも面識があった。

「誰かと思えば、張繍ではないか。馬鹿者! 早く縄を解け! 」

 李傕が張繍を取り押さえる兵士を怒鳴りつけたために、張繍の縄はすぐに解かれて、席を与えられた。

 その上で、李傕が張繍に訊ねる。

「張繍よ。お前は、伯父とともに弘農を守っていたはずなのにどうして、こんなところにいる? 」

 張繍は拱手して答えた。

「皇甫嵩の命令を受けて、長安の事件を董卓に知らせるために、漢中に行っておりました。今は、その帰り道です」

「漢中では、董卓に会ったかね? 」

「いいえ。董卓は、既に、漢中を出て、次の目的である蜀攻略のために、剣閣へと進軍しておりました。そのため、漢中の太守となった呂布と会えただけです」

「呂布が漢中の太守か。呂布を後方において、蜀攻略に取り掛かるとは、董卓はなかなか、堅実だな」

 李傕がそう言うと、郭汜は、

「それにしては、長安は、あの通り、無防備だったがな」

 と、ゲラゲラと笑う。

 賈詡が冷徹な眼差しを張繍に向けて訊ねた。

「呂布は、お前をどう扱った? 」

「いきなり剣を突き付けられました。斬られるかと思いました」

「斬られそうになったとな。何故だ? 」

「呂布は、私が李傕殿や郭汜殿と通じていると疑ったようです。私が伯父と共に弘農に残ったのは、あえて、皇甫嵩、朱儁を招き入れた上で、頃合いを見て、二人を殺害するためではないかと。つまり、スパイだと疑われたのです」

「ふむ……。呂布が、それほど知恵の回る男だったかな……? 」

 賈詡は顎髭をさすると、しばし考え込む。その後で口を開いた。

「さては、李儒が漢中に残っていたのではあるまいな? 」

「いいえ。李儒とは会っておりません。ただ、呂布の側には、奥様と思われる女武将が侍っており、いろいろと入れ知恵していたようですが」

「呂布の妻と言えば……」

 賈詡は誰だったかと思い出そうとして天井を見上げる。

 一方、李傕と郭汜は相好を崩して言葉を交わした。

「呂布の妻と言えば有名じゃないか。四千年に一人と噂される、あの美女だ」

「そうそう。長安に数百人はいる歌い女、舞女の中から、ここ二年連続して第一位に選ばれていた貂蝉だ。男なら、一目見れば、誰だって、貂蝉に一目ぼれするそうだ。張繍、お前も貂蝉に魂が抜かれたんじゃないのか」

 郭汜に言葉を向けられて、張繍は首を傾げる。

「武装をしておられましたので、美貌かどうかまでは分かりませんでしたが」

「お前はバカだな。せっかく、四千年に一人の美女と対面したのに、よくよく見なかったのか? 」

「もったいねえな。武装していたって、顔を見れば、それだけで魂が抜かれるはずだぞ。握手しなかったのか。もったいないな」

「何の話をしておる! そんなことはどうでもよい! 」

 賈詡がピシャリと言うと、李傕と郭汜は、口を閉じた。賈詡が言葉を続ける。

「呂布の妻の貂蝉が知恵者で、お前たちの役目に気付いたとしても、もはや、手遅れだ。張繍よ。お前は、呂布から何か命令を受けているのであろうな」

「呂布は、飛龍騎を率いて、子午道から長安に駆けつける模様です。その際に、懸念されることが、長安側の山道に伏兵が置かれていること。そこで、私は弘農に戻るや、皇甫嵩、朱儁らとともに兵を率いて、子午道に向かい、伏兵が置かれることを防ぐように命じられました」

 張繍の言葉に、李傕と郭汜は、ゲラゲラと笑う。

「まさに手遅れだ。今さら、皇甫嵩、朱儁が駆け付けたって遅いわ」

「それに、皇甫嵩、朱儁が兵を動かそうとしたならば、張繍、お前たちが奴らの寝首を掻く手はずになっているのだろう」

「おっしゃるとおりです」

 と、張繍が拱手する。賈詡は、

「張繍よ。それでは、直ちに、弘農に戻り、呂布に言われたとおりに、皇甫嵩、朱儁らに復命するがよい。その上で、お前の伯父に、かねてからの作戦通りに事を起こすように伝えよ」

「はっ。そのとおりにいたします」

「我が計は成った。我らはここ子午道で、呂布を待ち受け、殲滅する」

 賈詡の言葉に、李傕と郭汜も、

「やってやろうぜ」

 と気勢を上げた。

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